069.胸中-Inwardly-

1991年6月2日(日)PM:18:01 中央区特殊能力研究所三階


 多目的トレーニング場にいる六人。

 白紙 伽耶(シラカミ カヤ)と白紙 沙耶(シラカミ サヤ)は軽く木刀で打ち込み合っている。

 二人から少し離れた場所にいる朝霧 紗那(アサギリ サナ)と銀斉 吹雪(ギンザイ フブキ)。

 本気で激闘を繰り広げていた。


 徒手空拳だけの紗那。

 吹雪もエレメントは使用してない。

 その為、劣勢なのは吹雪だった。


 二人の激闘をみている三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)。

 時折、十二紋 柚香(ジュウニモン ユズカ)に解説している。

 そこに、白紙 彩耶(シラカミ アヤ)と古川 美咲(フルカワ ミサキ)が近付いてきた。

  「そこまでにしなさい。伽耶、沙耶、吹雪ちゃん。今日のトレーニングを始めましょうか」


 彩耶の言葉に伽耶、沙耶、吹雪の三人が集まる。

 義彦、柚香、古川は多目的トレーニング場の入口部分、観覧席に移動。

 紗那も、三人に続いて観覧席に入った。


 トレーニングが始まったようだ。

 少ししてから時折、木と木がぶつかり合う様な音が聞こえるようになった。

 柚香と紗那は、観覧席の一番前の長椅子でその様子を見ている。

 義彦と古川は一番後ろの長椅子に座っていた。


「なぁ、古川所長。あの言葉の通じない猫耳少女達どーするつもりなんだ?」


 しばらく無言で訓練の様子を見ていた義彦。

 ふと、古川に問いを発した。

 柚香と紗那の二人は、トレーニング風景を見ながらいろいろな事を話している。

 しかし、古川も義彦と同じようにそれまでは無言だった。


「一応対策は考えてあるが、それが可能になるのは明後日からだからな。それまでは悠斗君と愛菜ちゃんに頑張ってもらうしかないかな」


「明後日って何かあるのか?」


「いや何もないよ。単純に東京から応援が来るだけだ。その中の一人が、言葉がわかる可能性があるってだけさ」


「そうなのか、しかし確証はないんだな」


「実際に会わせてみないと何とも言えないかな」


「それはそーか」


「それよりも、悠斗君にだけ、何故あんなになついたのかが気になるかな」


「確かにそうだけど」


「そうは言っても直ぐにはわからないだろうし、気長に調べるしかなかろうな」


「調べてわかればいいけどな」


 しばらく無言になった二人。

 古川がふと、独り言のように言葉を発した。


「彩耶が、どんなトレーニングしてるか気になって見にきてみたが、基礎的な剣術トレーニングか」


「そうみたいだな。伽耶と沙耶は近距離型だってのもあるんじゃないかね」


「そうだな。吹雪ちゃんも剣術を上達させたいみたいだしな」


「そうかもな」


「さて、そろそろ私は戻るよ。義彦、紗那ちゃん、柚香ちゃん、またね」


「あぁ、わかった」


 突然の古川の言葉に、後ろを振り向いた紗那と柚香。

 歩いていく古川に一礼をして見送った。

 軽く右手を上げてトレーニング場を後に、廊下に出て行こうとした古川。

 だが突然、彼女が振り返り義彦の方を見た。


「義彦、これから時間はあるか?」


「ん? 吹雪達のトレーニングが終わるまでならあるけど」


「それで充分だ。ちょっと付き合え」


「あぁ、わかった。柚香、紗那、何かわからんが行ってくるわ。柚香、もし吹雪のトレーニングが終わるまで戻らなかったら、先行っててもいいから」


「わかったー。義彦さん行ってらっしゃい」


「い・行ってらっしゃいませ」


 何故か若干ぎこちない紗那。

 怪訝そうな表情になる義彦。

 しかし成り行きとはいえ、自分が彼女を殺しかけた事を思い出す。

 表面上は気にしてない素振りで、古川の後を追った。

 実際の所、どのように思われているのか、そればかりは彼にはわからない。


 トレーニング場を後にした二人。

 エレベーターに乗り、一階に向かう。

 五階に向かうと思っていた義彦。

 予想を裏切り、一階に向かうエレベーター。

 予想外の古川の行動に、義彦は真意を量りかねている。


 既に誰もいない受付の電話から、何処かに内線をかける古川。

 一時間から二時間程留守にする事を伝えている。

 その会話から、何処かに連れて行かれる事を義彦は理解した。

 しかし、何処に連れて行かれるのか皆目検討がつかない。


 研究所から外にでた二人。

 義彦は古川に付いていくだけ。

 元魏の所にでも行くのかと思ったがどうやら違うようだ。


「何処に行くんだ?」


 怪訝な表情の義彦。

 古川に何となく聞いてみる。

 しかし何とも微妙な返事しか返ってこなかった。


「おまえに逢いたいと思ってるだろうからな」


「俺に会いたい?」


 鸚鵡返しに聞き返すも、その考えている意味合いは微妙に違う。

 義彦の疑問とも取れる返し。

 何故か全く関係ない、お菓子の話を振って来る古川。

 菓子自体は嫌いではないが、ほとんど間食を取る事のない義彦。

 これと言って答える事も出来なかった。


 主に食べ物関係、それも年頃の女の子が好みそうな甘い物の中心の会話。

 そもそもの聞くべき相手が間違っているわけなんだが、古川はそんな事もお構いなし。

 古川の真意がますますわからない義彦。

 顔には出してないつもりだが混乱の極みに陥りつつあった。


「結局俺に会いたい人物って誰なんだ?」


 古川に問うも、行けばわかるの一言でばっさり切られた義彦。

 マンションに入っていく古川、義彦もその後に続いた。


 一階のオートロックを、数字を打ち込んで開けた古川。

 その手馴れた様子から、彼女の自宅がこのマンションの一室である可能性が高い。

 義彦はここで一つ重大な勘違いをしている事に気付いていなかった。


 古川が竹原 茉祐子(タケハラ マユコ)を引き取るつもりなのは知っている。

 しかし公表しないのは、まだ問題がいろいろと解決してないからだと思っていた。

 逆に言えば、茉祐子はまだ病院にいると思っているのだ。

 彼女の説明が不十分だったと、十二歳になったばかりの少女を責めるのは酷な事だろう。


 そんなこんなで自身の勘違いにも気付かない義彦。

 その勘違いに気付いていれば、即座に誰か理解出来たのだろう。

 しかし、茉祐子は病院にいると思い込んでしまっている彼には、その勘違いすら気付けなかった。


 マンションのエレベーターが最上階の十階に停止。

 古川に続いて降りる義彦。

 これから向かう先は、古川の住居としている場所だろうと考えている。

 そしてそれは確かに間違いの無い事だ。


 一○一○号室で止まる古川は、鍵を回し玄関の扉を開けた。

 玄関に入った古川は、靴を脱ぐと同時に当たり前の挨拶をする。


「ただいま」


 その声に反応して返ってくるおかえりの声。

 即座に聞いた事があると感じる義彦。

 黒髪の、義彦のよく知っている可愛らしい少女。

 部屋の奧の方から玄関に歩いてきた。

 普段はポニーテールにしているが、今日はその黒髪を完全におろしている。

 そこには義彦の事を、おにぃと呼ぶ少女、茉祐子が立っていた。


 声を出さなかったものの、驚いた顔の義彦。

 髪を下ろしている事により、茉祐子と認識するまでの時間。

 茉祐子と認識した後、何故ここにいるのかという疑問。

 そしてそこから導き出される答え、考えられる致命的な勘違い。

 最終的に、そこまで至るまでの思考時間は、明確な隙となった。


 勢いよく近寄ってきた少女の初撃であり、止めを避ける事が出来なかったのだ。

 一目散に義彦目掛けて飛んできた少女。

 獲物を狙う鷹の如く彼の首に抱きついた。

 何とかその場に踏み止まり、倒れるまではいかなかった義彦。


「おにぃ、こんばんわー」


「マ・マユ、こ・こんばんわ」


 それでも、今までの経験からなのか即座に状況を理解する。

 動揺と驚きに満ちていた表情も、ほんの僅かな時間だけだった。


「もう一緒に住んでいたんだな」


「うん、今日からなのー」


「何か勘違いしてる感じがしたからな」


 古川は、してやったりというような表情だ。

 義彦から離れた茉祐子はその手を握り、部屋の奧に導いていく。


「お邪魔します」


 改めてそう言った義彦は、抵抗する事もなく導かれる。

 微笑ましいものをみるように二人を見ている古川。

 その視線は、娘を見る母の心境なのか、妹を見る姉の心境なのか?

 彼女自身にもわからなかった。


 居間にある少し小さめのテーブルに義彦を座らせた茉祐子。

 古川と義彦に、コーヒーを入れるとテーブルに置いた。

 そして最後に、オレンジジュースの入ったコップを持ってくる。

 義彦の来訪に、茉祐子は嬉しそうに微笑んでいた。


「ここなら研究所も病院も近いからー」


 茉祐子はオレンジジュースを一口飲んだ。


「学校が遠いのが難点なんだけどな」


「マユは歩くの嫌いじゃないから大丈夫だよ!」


「あれ? でも学区の問題とかあるんじゃないのか?」


「まぁ、そうだな。本来であれば学区が変わるわけだが」


 古川は少しだけ思案するような表情になる。

 しばらくして、彼女は再び言葉を続けた。


「いろいろとあったわけだしな。少し時間をもらったのさ」


「そうか」


 言葉が意味する深い部分には気付かなかった義彦。


「そう言えば、悠斗さんになついていた猫耳の少女二人はどうなったのー?」


 茉祐子は古川と義彦に問いかけるようにそう言った。

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