061.変質-Deterioration-

1991年6月1日(土)PM:19:30 中央区宮の森


 聞こえなくなった長耳の男の、言葉にならない声。

 吹 颪金(フキ オロシガネ)に、林檎を握り潰すように、頭を握り潰されたのだ。

 血と脳漿とが混じって、何処の部分かもわからなくなった脳髄。

 颪金の指を伝い落ちていく。


 誰も叫び声を上げる事はない。

 その場にいた全員が、目の前に起きた惨事に言葉を失っていた。

 頭を失った長耳の男の体が、地面に力無く落ちる。

 颪金の瞳には、今自分の行った事に対する何の感情も認められなかった。


「ウガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ」


 突如、耳を劈くような叫び声をあげた颪金。

 果たしてその叫び声にはどんな意味があるのだろうか。

 目の前で起きた、現実離れした事態を理解した桐原 悠斗(キリハラ ユウト)。

 その場に崩れ落ち嘔吐し始めた。


 嫌なものでもみるかのような眼差しの三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)と三井 龍人(ミツイ タツヒト)。

 近藤 勇実(コンドウ イサミ)は厳しい表情だ。

 苦々しい顔をしている相模 健一(サガミ ケンイチ)と相模 健二(サガミ ケンジ)。

 それでも、五人が颪金から視線を外さないのは、場数の差だろう。

 自らの家族の凶行に、彼等はその場に崩れ落ちている。

 吹 山金(フキ ヤマガネ)と吹 嵐金(フキ アラシガネ)の二人だ。

 颪金がいたであろう場所。

 直径二メートルはあるだろうクレーターが出来ている。


「――吹雪を一度戻したのは正解だったのかもな」


 呟く様な義彦の声は乾いていた。


「颪・・金・・・颪・・金・・・おまえ・・は・・・」


 フラフラと前に進みだした山金。

 彼の声に、現実に引き戻された嵐金。

 何とか父を止めようとしている。

 反応するかのように突如動きだした颪金。


 山金と嵐金の前に、颪金を邪魔するように土壁を作り出した健二。

 消耗しきって回復していない健一。

 巨大な岩塊を一個作るだけで精一杯だった。


 颪金を追って飛び出した龍人と義彦。

 土壁の前に一瞬止まり、大振りで繰り出された颪金の唸る拳。

 颪金の足元の大地を、絡みつかせるように操作し、一気に捕縛した健二。


 一瞬、颪金の動きを止める事には成功した。

 しかし拳の動きを止める事は出来ない。

 土壁もろとも砕け散った。


 僅かな差で、龍人が山金と嵐金の前に、風の壁を起す。

 砕け散った土壁の散弾から、二人を助けたのだ。

 義彦は颪金に接近し、風の纏った拳を繰り出す。

 しかし颪金の動きは早く、義彦の繰り出す拳を躱し続けた。


 胃液しか吐き出すものもなくなった悠斗。

 吐き気はまだ少ししているが、そんな場合じゃないと気合をいれる。

 しかし義彦と颪金の動きは、彼には目で追うのがやっとだ。


 颪金の拳をまともに受けた義彦は、吹き飛ばされた。

 何とか倒れる事無く踏ん張ったが、口の端から血がたれる。

 その血を、左手を口元に持ってきて拭った。


 龍人の瞳は緑白に、義彦の瞳は赤黒に輝いている。

 二人同時に、颪金に竜巻を放った。

 しかし、龍人の放った竜巻に突進し拳で殴りつけ、吹き飛ばした颪金。

 更に近づいてきた義彦の放った竜巻も、拳で殴り吹き飛ばした。


 既に颪金に接近していた義彦と龍人。

 抜群のコンビネーションで攻め立てる。

 しかしそれでも、颪金に一撃も与えることが出来ない。

 再び吹き飛ばされ、緑鬼邸の壁を突き破った義彦。

 龍人は木に叩きつけられた。


 動きの止まった颪金に射出された、健一の作り出した巨大な岩塊。

 そこに現れた銀斉 吹雪(ギンザイ フブキ)。

 瞳の色が即座に青白くなり、巨大な氷の刃を放つ。

 岩の塊を左の拳で粉々に粉砕。

 更に氷の刃さえも、右の拳で粉々に打ち砕いた。


 悠斗は既に颪金に向かっている。

 作り出していた、二メートルはあろうかという土の刃で斬りかかった。

 しかしその土の刃でさえも、傷をつける事もなく砕け散る。

 颪金の纏うエネルギーの奔流に粉砕されたのだ。


 目の前に繰り出された颪金の拳。

 両手のナックルガードで防いだ悠斗。

 吹き飛ばされ、緑鬼邸の壁を突き破っていった。


 再びフラフラと颪金に進みだす山金。

 何とか止めようとする嵐金。

 ふら付いてその場に膝をつく健一。

 山金を止めようとしたが、既に疲労が限界を超えていた。


 近藤が、ジッポの火から作り出していた火炎。

 巨大な鎗状にして颪金に解き放つ。

 健一の意図を察した健二が、山金を止めようとする。

 近藤の放った巨大な火炎の槍を、両手で受け止めた颪金。

 そのまま、あっさりと握り潰した。


 即座に目の前に飛んできた颪金。

 彼の打ち下ろした拳を、何とか躱した近藤。

 しかしその余波に、吹雪共々吹き飛ばされ地面を転がった。

 颪金を呼ぶ山金の声と、止めようとする嵐金と健二。


 嵐金と健二は、実力行使に出るか迷っていた。

 しかし、山金を止めていれば、或いはこの後の結果は違ったかもしれない。

 山金の目の前に飛んできた颪金。

 彼からから振り下ろされた拳。


「グシャリッ!!」


 その拳はまるで、プレスでもするかのようだった。

 山金の体を縦方向に潰してしまう。

 その余波をまともに受けて、吹き飛ばされる嵐金と健二。

 そこには、直径三メートルはあろうかというクレーター。

 そして、山金だった肉片の一部が散らばっていた。


 その中で小さいクレータの一つに佇む、緑髪の男。

 彼の心は今、何を思い、何を感じているのだろうか。

 感情があるのかさえ、判然としない表情からは、読み取る事は出来ない。


 ふと、その表情が苦悶と苦痛に歪み始めた。

 膝をついて倒れた緑髪の男、颪金は血を吐いた。

 地面に手を付くと同時に、少しずつ、体の至る所が盛り上がり破裂してゆく。

 徐々に、その一面は血の海になり始めた。


 その光景に、なんとか立ち上がった健一と健二が唖然としている。

 嵐金は、ぶつぶつと何か呟いていた。

 絶句している近藤と吹雪。

 体を抑えながら歩いてきた、悠斗、義彦、龍人の三人。

 その状況に唖然とした。


 何度も破裂と再生を繰り返す颪金。

 悶え苦しみ、とうとうのた打ち回りだした。

 徐々に、破裂し砕けていく体に、再生が追いつかなくなる。

 それでも再生しようとする体が、徐々に異形の者に変貌していった。


「スプラッター過ぎる光景だな・・・。自滅って事か?」


 右手を押さえながら、壁の穴の側で立ち尽くす龍人。

 異形の姿に変わっていくものの、崩壊の方が進行が早い。

 徐々に、手足がぐずぐずに崩れていく。


 義彦は、この光景を吹雪に見せないように、吹雪を抱きしめる。

 吹雪は、自らの耳を押さえていた。

 抱きしめてくれている、義彦の胸で震えている。

 悠斗は、左肩を押さえながら、茫然と目の前の現実をただ見ていた。


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1991年6月1日(土)PM:19:34 中央区宮の森


 その場に崩れた、颪金だったものの瞳から色が消失する。

 僕は今、目の前で起きた事の壮絶さに、現実感を欠いていた。

 余りにも酷い状況だったからなのか、頭の中は真っ白だ。


「何かやばい、全員建物の中に逃げろ!」


 龍人さんが必死に何か叫んでいる。

 苦々しい表情の健一さんと健二さん。

 足元もおぼろげな嵐金さんに肩を貸しつつ走ってきた。

 三人ともあちこちに、擦り傷や切り傷が出来ている。


 近藤さんと龍人さんが何か言葉を交わしている。

 吹雪さんを何とか立たせた三井さん。

 何だろうか?

 凄く緊張感で張り詰められている場面だ。

 わかっているのに、何も考えられない。


 突然の衝撃に、僕も含めてその場にいた全員が吹き飛ばされた。

 現実に強制的に戻される。

 直後僕の瞳に映ったものは、また現実離れしていた。

 まるでアニメとかでも見ている気分。


 颪金だったものは崩れかけた体ではあった。

 既に人としての形はほとんどしていない。

 何て表現していいかすらわからない醜悪な姿。


 下半身は、膝先がドロドロに溶けている。

 腕も、手首から先はドロドロにとけて、地面に零れていた。

 顔も体も、表面が融けかけており、その瞳だけが黒い、とても黒い。


 緑と紫と黒のエネルギーの奔流のようなもの。

 それが、無節操に体の表面を駆け巡っている。

 そのエネルギーの奔流が、一瞬光ったと同時に放たれた衝撃波。

 同時に颪金を囲むように、竜巻が巻き起こった。


「早くいけ、ここは俺と義彦で何とかする」


 龍人さんは、颪金に向かって両手を前に出していた。

 どうやら、竜巻を起こしたのは龍人さんのようだ。

 最初の衝撃も、今の様に颪金が放ったんだろうな。


 近藤さんが嵐金さんを背負い走ってくる。

 健一さんと健二さんも走ってきた。

 すれ違い様に、嵐金さんの表情が一瞬見えた。

 まるで、魂の抜けたような顔だ。


 僕の目の前に来た三井さんがじっと僕の瞳を見ている。

 僕も逸らしてはいけない気がして、三井さんの瞳を見ていた。

 三井さんが、抱きしめている吹雪さん。

 そっと僕の方に押し出した。


「悠斗、悪いが吹雪を頼む。吹雪も悪いが、今はあいつを止めるのが先だ」


 吹雪さんは泣いていたのだろう。

 腫れぼったい目をしている。

 何がそうさせたのかはわからない。

 けど僕は、彼女の手を取り、建物の中に導くように歩き始めた。

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