059.気配-Indication-

1991年6月1日(土)PM:19:15 中央区緑鬼邸二階


 何処まで経緯を話すべきなのか迷う三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)。

 とりあえず、碧 伊都亜(ヘキ イトア)誘拐の犯人は捕まえた事。

 あの巨大な蟻らしき奴らが、再び襲撃する可能性は低い事だけを伝える。


 詳しい事については、あえて触れなかった。

 余計な不安を助長させる可能性を考慮したのだ、

 それでも、それだけの説明でも、一応納得はしてくれたようだった。

 とりあえずこれで一安心だな、そう思った義彦。


 銀斉 吹雪(ギンザイ フブキ)が義彦の手を取り廊下に連れ出す。

 その表情から、何か言い難い事があるのだろうと察した。

 廊下の、少し奥の方に移動した二人。


「三井兄様、急にごめんなさい」


「いや、いいんだが。大広間の障子が隅にある事から考えれば、何かがあったんだろ」


「はい。外にあったと思いますが、ここに二体侵入しました」


「そうか。可能性があるとは思っていたけど、まさか本当に来るとは・・・」


「それはもう過ぎた事なのでいいんです。本音を言えば、事前に説明して欲しかったですけど」


 吹雪は少し口を尖らした。


「事前に説明しなかったのは悪かった。すまん」


 義彦は、素直に吹雪に頭を下げた。


「み・・・三井兄様、冗談ですよ、冗談。頭を上げてください」


 素直に頭を上げた義彦。


「悪かったと思っているのは本当だ」


「それはもういいんです。珍しく焦ってた三井兄様を見れましたし」


「――いや確かに否定は出来ない」


 義彦は少し口篭った。


「そんな事よりもですね。ごめんなさい。愛菜ちゃんの前で力を使ってしまったのです」


「そう言う事か」


「愛菜ちゃんから、その後に、聞かれたので、正直に言うしかありませんでした。その事を、桐原君に正直に伝えるべきなのか迷いまして」


 中里 愛菜(ナカサト マナ)とのやり取りを、極力言葉通りに説明する吹雪。

 説明を聞き終わった後に、少し思案する義彦。


「結局は二人の問題になるだろうし、悠斗が隠している事を、愛菜に伝えているなら、とりあえず今まで通りでいいんじゃないのか?」


「そうなんですけど。予期せぬ時に発覚したらどうしようかなと」


「心配はわからないでもないけど。不用意に干渉するのもな」


「そうですよね」


「結局は悠斗次第なんだろうな。俺達に出来る事は、正直に伝える方向に背中を押してやる事だけだろうな」


「そうですね」


「とりあえずしばらく様子を見てみようか」


「はい、わかりました」


 その時、突然禍々しい気配を感じた義彦と吹雪。

 顔を見合わせた二人は、気配のする裏口の方へ駆け出そうとしている。

 同じように感じたのだろう、走り出そうとする桐原 悠斗(キリハラ ユウト)。

 愛菜は悠斗を止めようとして、その手を止めた。


 驚きの表情の夕凪 舞花(ユウナギ マイカ)。

 側にいた白紙 伽耶(シラカミ カヤ)は、彼女の手を優しく握った。

 瀬賀澤 万里江(セガサワ マリエ)も舞花の側に移動する。


 顔を顰めている白紙 沙耶(シラカミ サヤ)と朝霧 紗那(アサギリ サナ)。

 極 伊麻奈(キワ イマナ)も少し怯えた顔だ。

 他にも数名が、大広間の入り口から、裏口の方に視線を向けている。


「伽耶、沙耶、紗那、舞花、伊麻奈はここにいろ」


「わかった」


 伽耶の手を、舞花はぎゅっと握る。


「三井さん達も気をつけて」


 沙耶は、伊麻奈を後ろから抱きしめた。


 裏口に視線を向けている竹原 茉祐子(タケハラ マユコ)と口川 優菜(クチカワ ユウナ)。

 二人の側に移動した紗那。

 不安そうな二人を慰めている。


「他の皆も、俺達が戻るまでここを動かないでくれ」


 一人先に行ってしまった義彦。

 悠斗と吹雪も、彼を追いかけて走り出した。


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1991年6月1日(土)PM:19:16 中央区宮の森


 真っ暗闇の意識の中、私はは思い出していた。

 憎しみに彩られた記憶。

 悲しみに彩られた過去。


 村に突如、襲撃を仕掛けてきた人族。

 焼かれる村、殺される仲間達。

 妻と娘と三人、何とか逃げ出す事は出来た。

 村の他の者達がどうなったのかすらもわからない。

 ただひたすら逃げる日々。


 人族に追われ、森の奥へ、山の奥へ。

 誰も寄り付かない、秘境とも呼べる地。

 逃げる為には、足を踏み入れるしかなかった。

 それでも何とか生き残り続ける事が出来た。

   家族三人、様々な知識を有していた事。

 更に魔術への造詣が深かったからだろう。


 様々な生物に、生命を脅かされながら生きる日々。

 自分が死に瀕した事もあった。

 妻や娘が死ぬかもしれない、そう思った事もあった。

 それでも家族三人、何とか生き続けた。


 外界との接触を断っているに等しい状況。

 どうなっているのかもわからない。

 どれぐらい月日が経過しているのかさえ、数えるのを諦めてしまった。


 そんなある日、家族三人、黒い何かに飲み込まれた。

 気付けば見知らぬ土地にいる事に気付く。

 わけもわからぬまま、再び人族に襲われた。

 抵抗も虚しく捕まり、妻と娘とも離れ離れになってしまう。


 状況もよくわからぬまま、無理やり仮面を被らされた。

 同族であるはずの者達からも、罪人扱いされる日々。

 この心には、吐き出す事も出来ぬ憎しみだけが、憎悪だけが積み重なっていく。

 あの日あの時までは。


 私を捕まえた男、軽薄そうな顔の優男。

 アラシレマ・シスポルエナゼムと名乗ったあの男。

 まるで赤子の手をひねるかのように、簡単に私は倒された。

 あの時の屈辱は忘れない。


 何処かに連れて行かれた妻と娘。

 二人を助ける為には、どうしても力が必要だった。

 だから、人族であるあの男の提案も受け入れる事が出来たのだ。

 あれからどれ位の時が経過したのかはわからない。

 それでも悪夢のような記憶だとしても、私は忘れるわけにはいかないのだ。


 だからこそ、倫理を逸脱した実験にも手を染めた。

 手駒を増やす為にも、様々な実験も行ってきた。

 提供された実験体の、人族を使い、酷使してきた。


 絶対的な防御力を手に入れる為。

 知識だけは持ち合わせていた禁忌にも、足を踏み入れた。

 偶然捕獲した、緑髪の男。

 試験的に、私の腕に刻印した魔方陣と同じものを刻みつけた。

 躊躇する事すらなかった。


 更に、負の属性を付与する事が出来ると聞かされたとある因子。

 応用した手術により、刻み込んだ。

 緑髪の男と、女王蟻の体に魂に埋め込んだ。


 適合するかどうかはわからない。

 本当であれば、自分自身にも行いたかった。

 しかしそれで死んでしまっては意味がないのだ。

 だからこそ、自分の手駒に、その力を使わせる事を考えた。


 そう言えば、何故、私は、今更、こんな事を思い出しているのだろうか?

 確か・・私は、突然現れた、憎くて憎くて。

 どうしようもなく憎い憎い憎い憎い。

 人族と戦っていたはず。


 ああ、そうだ。

 憎い。

 憎い憎い。

 憎い憎い憎い。

 憎い憎い憎い憎い。

 憎い憎い憎い憎い憎い。

 憎い憎い憎い憎い憎い憎い。


 これは憎悪だ。

 果てしない憎悪。

 それだけが、今の私の生きる意味。

 圧倒的な力で打ちのめされ、そこで記憶が途切れている。

 妻と娘は、今何処で何をしているのだろうか?


 思い出すだけで、憎しみが憎しみだけが、憎しみこそが、憎しみだ。

 妻を傷つけ、娘を泣かせたアラシレマ・シスポルエナゼムへの憎悪。

 村を焼き払い、私達を追いやった人族への憎悪。

 私を罪人にし、蔑んだ同族への憎悪。


 信じる事の出来る者ものなどいない。

 この世界にもどの世界にも。

 利用できるものは、何でも利用し、ここまで来たはずだ。


 妻と娘を取り戻す為、倒れるわけにはいかないのに。

 憎め!!

 憎め憎め!!

 憎め憎め憎め!!

 憎め憎め憎め憎め!!

 憎め憎め憎め憎め憎め!!

 憎め憎め憎め憎め憎め憎め!!


 一方的に、罪人の烙印を押された私には、怖いものなどない。

 鬼畜と罵られ様が、悪魔と蔑まれ様がだ!  止める事も、止まる事も、もはや出来ないのだ!


 復讐を完遂し、妻と娘を取り戻すまでは。


 目覚めた私が最初に見た光景。

 緑髪の虚ろな眼差しの男の顔。

 気付いたのは、頭を駆け巡る耐え難い激痛。

 そして訪れたのは、暗黒の世界。

 どこまでも漆黒に彩られた、暗闇の世界。


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1991年6月1日(土)PM:19:16 中央区宮の森


 私の意識の中では、闇が渦巻いている。

 自分の意識を掻き消し、理性と言う壁を取り払おうとする何か。

 抗う事も出来ずに、同族である伊都亜に、手を掛けようとしていた。

 そこに現れた人間達に挑みかかる自分。


 自分でありながら、自分ではない。

 誰かが操る自分の体の行いを、ただ見ている事しか出来ない自分。

 そして、自分ではない自分に飲み込まれる。

 消えてゆく恐怖に苛まされながら、気が狂いそうになりながら、何も出来ない。


 本当にそうなのだろうか?

 これは自分の中に、心の奥底に眠る衝動なのか?

 いや、そんなはずはない。

 そんなはずはない?

 わからない。


 自分が、自分ではない自分に上書きされていく?

 でもどちらも、自分なのだ。

 なら、どちらもでいいのではないか?

 抗えないのであれば、委ねてしまっていいではないか?

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