038.願事-Hope-

1991年5月31日(金)AM:7:32 中央区西七丁目通


 俺は吹雪の家から、一度家に帰ることにした。

 今日の授業で必要なものが、鞄に入ってないからだ。


 見えてきた三井探偵事務所。

 ここは龍人の仕事場でもあり、家でもある。

 一階が事務所、二階と三階が、住居だ。


 だがそれとは別に、各階に部屋が二つずつ。

 もちろん入口も別々。

 不思議な構造。

 なんでこんな構造なのかは、おそらく龍人も知らない。


 俺は、三階の三〇二に住んでいる。

 三〇一に居住しているのは、柚香だ。

 彼女は何か、事情があるようだ。

 だけど、詳しい事は知らない。


 本人からも、話しが出た事はない。

 なので、俺も聞かないでいる。

 おそらく、一年前の事件に関係しているのだろう。

 だが誰でも、思い出したくない事があるものだ。

 俺にも、思い出したくない事があるし。


「あー、やっと帰ってきた!」


 三〇一のドアが開いて、柚香が出てきた。

 今日は珍しく、赤みのさしている髪を、完全におろしているな。

 それにしても、階段を上がる音で、気付いたのだろうか?

 既に、学校に行く準備は、終わっているようだ。


「義彦さん、ご飯は?」


「食べた」


「それじゃ、学校行く準備って、制服よれよれじゃないですか!?」


「あぁ、このまま寝てたからな」


「もう、アイロンかけますから」


「いいよ、別に」


「駄目です」


 柚香、一度言い出したら、中々折れないからな・・・。

 しょうがない、諦めるか。


「アイロン持って行きますから、学校行く準備してて下さい」


「わかった。シャワー浴びてるから、勝手に入っててくれ」


 俺は三〇二に入って、制服を分かりやすいように、テーブルに置く。

 そしてシャワーを浴び始めた。

 しばらくして、誰かが来た気配がする。

 たぶん、柚香だろう。

 何か言ってるようだが、独り言だろうか?

 あ、バスタオル出すの忘れた。


「柚香、バスタオル取ってくれ、黒いタンスの一番下だ」


「・・う・・うん」


 囁くように、微かに聞こえた。

 今更何だ?

 まぁいいか。

 風呂場のドアを開けた俺。

 そこには柚香が立っていた。


「きゃー!!」


 柚香は、バスタオルを俺にぶつけて戻る。

 あぁ、俺が裸だったからか。

 あいつも、年頃の女の子だものな。


 癖っていうのは、中々侮れない。

 しょうがないか。

 体を拭いた後、バスタオルを腰に巻いて風呂場から出た。


 紅潮しながら、柚香がアイロンをかけてる。

 タンスからシャツと、ブリーフを取りだす。

 その間、柚香はこちらを振り向かない。


「お・・終わりましたから、早く着て下さい」


 こちらを向かない柚香。

 手だけで、制服のズボンを俺の方に差し出しす。


「さんきゅ」


 俺は柚香の手から、制服のズボンを受け取り履いた。


「柚香、悪かった」


「い・・いえ、こちらこそ・・・」


 何か、気まずい空気だな・・・。

 話題を変えよう。

 鞄に、今日の授業で必要な物をいれつつ、何か無いか考える。


「柚香、吹雪って覚えてるか?」


「えっ!? は・・はい」


「あいつに、料理を教えてくれないか?」


「え? それはいいですけど? 突然なんで?」


 昨日の事を、言うべきか・・いややめよう。


「料理した事、ほとんどないらしくて、覚えたいんだとさ」


「はぁ? わかりました。私で教えれる事なら」


「それも踏まえて・・あ、歩きながら話すか」


 階段を降りて、事務所の前を通った。

 龍人が丁度シャッターを開けてる所に遭遇。


「おう、義彦、柚香、行ってらっしゃい」


「あぁ、行ってくる」


「龍人さん、行ってきます」


 事務所の中に戻ろうとする龍人。

 突然こちらを振り向いた。


「義彦、朝帰りも程ほどにな」


「はっ!? 勘違いするような言い方すんな!」


「勘違いするようなねぇ?」


「何ニヤニヤ笑ってるんだ?」


「何でもないよ」


 龍人め、何か腹立つな。


「あ、柚香、昨日話してた件だけど、行ってみるといい。義彦にでも、詳しい事は聞けばいいさ」


「はい、わかりました。ありがとうございます」


「何の話しだ?」


「学校行きながら、柚香に話してもらいな、んじゃな」


 そう言うと、龍人は事務所の中に戻る。

 何か、俺が説明出来る話し?

 柚香に何か言ったっけ?

 二人で歩きながら、そんな事を考えていた。


「義彦さん、お願いがあります」


 柚香が、俺の正面に立ち、頭を下げてきた。

 周囲の視線は別にどうでもいい。

 けど、道のど真ん中でしなくてもいいだろうに。


「なん!? と・とりあえず頭上げろよ」


 突然の事に、変な声出しちまった。

 それでも、頭を上げない柚香。

 そのまま言葉を続ける。


「塾の事、龍人さんに聞きました。私も連れて行ってもらえませんか?」


「龍人が許可してるなら、別にいいんじゃないか?」


「ありがとうございます」


 頭を上げた柚香は、至極真面目な顔だった。


「俺も別の事で、用事があるから、学校終わったら真っ直ぐ行こうか」


「はい!」


 そんなに、改まらなくてもいいだろうに。

 いずれ実技授業もあるみたいだし、丁度いいかもな。


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1991年5月31日(金)AM:8:17 中央区菊水旭山公園通


 僕は今日も愛菜と一緒に登校した。

 いつも通りの毎日。

 ふと近くで視線を感じる。


 腰まである茶色がかった髪。

 ハーフっぽい顔立ち。

 可愛いというよりは、綺麗という言葉が似合いそう。

 制服は愛菜とたぶん同じ。

 僕と視線が合うと、目を逸らした少女の特徴だ。


 気のせいかと思った。

 だけど、また視線を感じる。

 再び少女を見ると、目を逸らされた。


 見た事のない謎の少女。

 気にはなった。

 だけど、愛菜が隣にいる。

 この状態で声を掛けるのは、違う問題を引き起こしそうだ。

 結局僕は、その少女に声を掛ける事はなかった。


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1991年5月31日(金)AM:10:37 中央区三井探偵事務所一階


「笠柿の言っていた、依頼人というのはあなたですか?」


「そうです」


 そこには、初老の黒髪の男性が座っている。

 少し違和感の感じる黒色から考えて、鬼人族(キジンゾク)なのかもな。

 鬼人族(キジンゾク)というものが存在する事を知っている人間は、そう多くない。


 髪の色が派手というだけで、差別意識を持つ人間が多い。

 その為、人間社会に深く溶け込んでいる程、黒髪に染めている。

 無駄な軋轢を回避するの知恵みたいなものだ。


 そう考えると、隣の青年もおそらく鬼人族(キジンゾク)か。

 俺は別に、偏見は無い。

 どっちかというと、俺も偏見される側だしな。


「依頼を受けるかどうかは、お話しをお伺いした上でも、よろしいでしょうか?」


「はい。構いません」


「それではお願いします」


 こうして俺は、その初老の男性の話しを、聞く事にした。


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1991年5月31日(金)AM:11:12 中央区特殊能力研究所五階


「今の所は、何か不明って事か」


「そうですね」


「これから俺と兄貴で、もう一度現場に行って、調べてみるつもりです」


 ソファーに座っている古川 美咲(フルカワ ミサキ)。

 対面で座っているのは相模 健一(サガミ ケンイチ)と相模 健二(サガミ ケンジ)だ。


「そうか、わかった」


「警察と、合同で調査する事になると思います」


「何かわかるといいんですけどね」


「そうだな」


「何かわかれば、報告します」


 健一と健二は、報告を終えて所長室を出て行った。

 一人、所長室に残った古川。


 被害者が増える前に、何とか出来ればいい。

 希望的観測だが、彼女はそう考えた。

 しかし、その為の人員が不足しているのは理解している。

 その反面、彼女の心の中には、それとは別の思いもあった。

 余り無理をさせたくないという気持ちだ。


 コーヒーを一口飲んだ古川。

 彼女は窓の方に向き、外の景色を眺め始めた。


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1991年5月31日(金)PM:13:11 中央区幌見峠


 日差しのおかげで、昨日とは違い現場がよく見える。

 今の所、何か証拠になるようなものは何もない。

 そもそも犯人も被害者も、こんな所で何をしてたんだ?


 ガードレールに付着した赤黒い物。

 おそらく血なんだろう。

 ガードレールの向こう側。

 木々の中にも何本か、血らしきものがついたのもあるな。


 健二がこっちに歩いてくる。

 何かわかったんだろうか?

 俺の視線に気付くと、首を横に振るだけだった。

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