治安維持課
滝川零
プロローグ
当時私はまだ三歳だった。
だが、もっとも印象的なことが起こった年なので鮮明に覚えている。
世界はおよそ半世紀の間、『管理の神』通称“MOG”という人間のあらゆるものを管理してくれる、システムに任せっきりの時代を生きていた。
しかし、その中にも不満を持つ者がおり、それは個人ではなく、集団であった。システムの崩壊を目的としたその組織は、本当に世界を混乱に導いてしまった。
あの“三ヶ月の混乱”からおよそ二四年。
管理の神がいなくなった世界に生きる人々は、自分の考えで生きるという、システムが導入される前の時代に戻った生活を送っていた。
1
二一四七年、一二月。
真冬の寒空の下、一台の車に乗る黒いスーツ姿の男女。
そんな二人のもとに無線が入る。
『二二区で強盗発生。現場付近の治警(ちけい)は直ちに現場に急行せよ』
無線からの機械音声に現場に向かうと、男性が返した。
女性はしぶしぶシートベルトを締める。
車内のボタンを押すと、外装ホログラムが解除され,警察車両へと早変わりし、赤灯が光り始める。
秋月(あきつき)リゼ。
『警視庁治安維持課一係』に所属している女性捜査官。真っ黒なショートボブに切れ長の目つきをした彼女のパートナーが車を運転する男性、弓月(ゆづき)アレン。彼女とは同期で入庁してから、ずっと組んでいる相棒だ。
彼女と恋愛関係を噂されたが、既に別の女性と婚約している。
『警視庁治安維持課』、大きく三つの係に別れている。略称は『治警』。
設置目的は広域の治安維持。特殊な犯罪捜査に当たる。
過去の警察組織では特殊捜査班にあたるもので、誘拐、殺人事件などを担当している。
かつて、『MOGシステム』というものに管理されていた世界は犯罪など起こることはほぼなかった。
あの革命の五年で世界はまるで一周してしまったかのように、システムの出来る前の世界に逆戻りだ。
だから、彼女達のような、特殊な犯罪にあたる存在を政府は新たに、正確には名前を変えただけの元の警察組織を作ったのだ。
「お疲れ様です」
三階建てのとある会社のビルに着き、近くの交番の警察官に敬礼される。
“KEEP OUT”と表示される、テープ型のホログラムの周囲には人だかりが出来ている。立てこもり事件を珍しく思う野次馬だ。
「何が楽しくて見たがるのかしら」
「放っておけ。俺達は事件解決に勤しむとしよう」
車のトランクを開けると、大きくて黒い、鋼鉄製のケースが収納されている。
「解錠(オープン)」
私がそう言うと、ケースが開く。
中には特殊な形状の銃と、特殊警棒の『スタンバトン』が二つずつ入っている。
「認証、治安維持課一係、秋月リゼ」
彼女が銃を手に取り、そう呟く。
ユーザー認証がなされ、いつでも撃てるようになった。
対犯罪者鎮圧用特殊銃『ハンター』、社会の秩序を保つため、罪人を裁くための私達に与えられた武器。
オンラインの状態で、警視庁本部にあるメインサーバーから事件の情報が送られ、それに応じて発射できる弾の種類が決定する。
立てこもり事件を起こす犯人なら、即刻その場で射殺対象、『炸裂弾』が発射される。
「今日も血を見ることになりそうね」
私は一言だけ言うと、送られてきた立てこもり犯の情報に目を通す。
兵藤ゲン、性別男、年齢四八。予想動悸、会社をリストラされた精神的ショックからの報復行為。
「ありきたりだな」
「どんな理由にしろ、私達の仕事を増やさないでほしいわ」
行こう、と言うアレンに続いて私も扉を開けて中に入る。
一階には受付カウンター、その横にエレベーターがあるだけだ。
「エレベーターは避けた方がいいな」
扉が開いた瞬間、犯人に出くわす可能性を考え、私達は非常階段から慎重に進むことにした。
「まるで昔の刑事だな」
非常階段を上る最中、アレンが思い付いたように言う。
「世界がそうなったのよ。全てが管理されていた時代は、私達が小さい頃に終わってしまったから」
彼はそうだったな、と言うと銃を握る手に力が入る。
三階に出る扉を開け、廊下を歩く。
現場である部屋の扉の前まで来た私は、手首の端末に、部屋の可視化が出来るよう要求する。
私の視界には内部の様子が見えるようになった。
支給されている端末とリンクしたコンタクトのおかげだ。
人質達は、みなロープで手足を縛られており、円になるよう座らされている。その中心に立つのが犯人だ。
兵藤は片手に包丁、反対の手で女性社員を掴んで引き寄せていた。
「このまま突入なんてしたら、犯人の気が動転して女性が危なくなるな」
「なら、囮になってくれる」
「何」
自分の案を彼に耳打ちする。
少し考え込んだようだが、了承して銃を置いた。
「お前ら、ちょっとでも動いてみろ。この女をすぐに殺すからな」
「兵藤、馬鹿なマネは止めろ」
気が立って叫ぶ兵藤に怒鳴るのは、彼をクビにした上司だった。
「元はと言えば、お前が悪いんだ。今まで必死に生きてきた俺にこんな仕打ちを」
今にも切り掛かる勢いの兵藤が、部屋の扉が開くのに気付く。
「誰だ」
血走った目で扉を見ると、一人の男が両手を上げて入ってくる。何も持っていないアレンだ。
「俺は警察の者だ。だが、安心しろ、装備は何も身に着けていない」
「そんなことが信用できるか。後ろを向け」
顔は半分兵藤に向けておき、言われるがままに後ろを向くと、兵藤が何も持っていないのを確認しようと、女性を少し離れて立たせる。
その瞬間、アレンは振り返ると同時に懐にあったスタンバトンを投げる。
慌てた兵藤は女性を突き飛ばし、その間を投げたそれが通り抜ける。
そして、アレンの後ろからリゼがハンターの引き金を引く。
青い光を帯びた炸裂弾が、彼の体に命中した。
次の瞬間、兵藤の体は爆発し、臓物の混ざった血が周囲の人間にかかる。
一瞬の静寂が場の空気を支配した。
遅れてアレンが、
「何とか終わったが、これは全員セラピー送りだな」
疲れた声で呟く。
私達は治安を維持する者。
そのために、毎日凶悪な犯罪者に立ち向かう。
『管理の神』はいなくなった。
しかし、犯罪減少のためにまた新たなシステムが作られた。
それが、『テミスシステム』。
法・掟の女神の名。
私達、治警はそれが下す判決に従い、生まれ変わったこの世界を守る使命を請け負ったのだ。
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