ムーンライトマーマレード

ムーンライトマーマレード（７）

　階段に向かうと、玄関でスーザンが郵便を受け取っていた。

「あら、ちょうど」

　呼び止められ、カーブした手すりにお腹をつけてするする降りた。

「クレアさま宛てでした」

　茶色い小包には確かに私の名前がある。すぐさま包装を破っていくと、中身はマーマレードだった。どこででも買える工場生産の小さな瓶だ。

　瓶のラベルにはこうあった。“苦味ひかえめ、満足の甘さ”。

　包み紙の差出人のところは汚れて読めなくなっていた。

「――およしになったほうがいいですよ。差出人不明で届いた食べ物なんて」

　お盆がぬっと現れて私は我に返った。

　次の仕事に向かう途中のスーザンがのぞきこんでいた。

「きっと学校の友だちよ」

「どうして小包なんか？」

「マーマレードがどうとかって話をした覚えがあるわ」

「それを聞いて、誰かが毒を入れて寄こしたのかもしれない」

　スーザンは推理小説が好きなのだ。お盆をちょんと手すりの端に置いて、長居を決め込む姿勢だ。

「クレアさまだけがご存知の何かがあって、その口封じとか。泥棒なんか入ったことだし、警察に話したほうがいいかもしれませんよ」

　うちでは必ず今度のことを“泥棒”と表現した。どんな気軽な会話でも、パパが宝石をすり替えた可能性など、かけらもないよう振る舞うことになっていた。

「平気よ。ちゃんと紙封がしてあるわ」

「そういう細工も巧妙にするんですよ、最近では」

「最近の小説では、でしょ」

　逃避文学というけれど、不可解な出来事に際して作り話の気分に逃げ込むというのは逃避のやり方として現実的なのかもしれない。成り上がりのパパがダイヤをだましとったという筋立ては世間での通りがよく、はっきりしない悪い評判をひっくり返す方法は、結局はっきりしなかった。

　困ったのは近所の奉公人仲間との付き合いもあるスーザンたちだ。「この件には黒幕がいる」という世界観の採用は、日々の仕事に戻るのに必要な手続きなのだろう。

「クレアさま、瓶をそう触らずに。犯人の手がかりがあるかも」

「あんまり大騒ぎしないで」

「日に透かしてごらんなさい。色が分離していないかどうか」

「鳥か猫に食べさせてみるわ。それでいいでしょ」

　私はティースプーンをかすめ取り、お盆のせいでモタモタしているスーザンを振り切って庭に出た。

　近所の猫が庭師の手押し車の中で昼寝をしている。私が花壇のへりにしゃがむと、ぼさぼさの白猫はちょっとこっちを見て、また昼寝に戻った。

　私は紙封ごと瓶をねじった。草の上にフタを放り、ひと匙すくう。

　急いで口に入れた甘ったるいゼリーを、そのまま飲みくだした。

　速効性ならすぐにそうとわかるくらい、とても苦い味がするはずだ。眠るように効く毒の中には、まったく無味無臭のものもある。―――という話だ。小説では。私もスーザンの推理小説を時々借りた。

　瓶とスプーンを握ったまま、毒殺ものの傾向をさらっているあいだも、お子さま向けマーマレードはシロップのあとくちばかり強く、甘くて腹が立ってきた。

　ちっとも幸せじゃない。最後に口にするのならもっと幸せな味がよかった。

　そう考えてから、自分が死んでもいいと思っていたことに気づき、怖くなって泣いた。