しゃべる短剣と銀兜~襲いかかる女は股間の聖剣にて成敗す! 男は死ね~

シーモア・ハーク・ロッチ

曲がる角には福来たる

 全速力で角を曲がると、勢いよく何かにぶつかった。


 その拍子に足がもつれ、俺は前のめりに倒れてしまった。


「あいたたた」


 と、少女は言った。


 幾千万の星がきらめくまんまるの瞳、太い鎖のような金色の三つ編み、甘い香りのする双房。


 見ればいいとこのお嬢さんに覆いかぶさっていた俺は、というか俺のマラは、股を分け入り秘所を分け入り、破瓜の血に濡れていた。


 思わぬ事態に俺は射精した。





 さて、戸惑う方が大部分だと思うので少し時間をさかのぼってみよう。


 俺は走っていた。


 様々な果物に野菜・武器に防具・香辛料に反物……混みあう市場を駆け抜けた。


 走って走って走った。


 追われていたからだ。


 もちろん相応の理由がある。


 ひとつ――職業は義賊、しかし人はこれ泥棒と呼ぶ。


 ふたつ――頭をすっぽり覆う兜をかぶり、手には短剣。


 みっつ――下半身丸出しのフルチン状態。


 賑やかな市場の衆人環視による羞恥のためか、股間はみなぎっていた。


 銀兜によって顔を見られていないのが救いだが、それも時間の問題だ。


 変質者同然の俺を衛兵のほかインスタントな正義感に燃える暇人に加え、面白がって子供や犬まで追っかけてくる始末。


 路地の物陰に隠れていると窓から騒ぎを見下ろす見物人が笑い転げ、投げる酒瓶の割れる音に衛兵たちの罵声と足音が近寄ってくる。


 全速力で逃げる俺は路地裏をジグザグに抜け、角を曲がって大きなお屋敷が並ぶ通りに出た瞬間、勢いよく何かにぶつかった。


 視界が一瞬にして傾き、景色は急速に滲んで色が混ざりゆく。


 痛いというよりも、激しい灼熱感と下腹部が濡れる感覚に、手に持つ短剣を自分に刺してしまったのかという絶望感と諦めがじんわりと全身に広がった。


 しかしそれは間違いであった。


 その証拠に『短剣』が――幼い女の子の声で――言った。


「処女! あ、もう違うか! お赤飯、お赤飯炊こう!」


 オセキハンが何を意味するのかは不明だが、ともかく義賊失格だ。


 罪なき民から奪ってしまった――処女を奪ってしまったのだ。


 悪どい金持ちからの盗みをモットーとする俺が――と嘆くのも束の間、どうも義賊失格にはならないのかもしれないと胸をなでおろした。


 しかしちっぽけなプライドを保てたことの引き換えに、義賊から大罪人にジョブチェンジだ。


 つまり一大事の中の一大事であることに気付いたのは、彼女に見覚えがあったからだ。


 まんまるの瞳、太い眉、桃色の唇、あどけなさが残る顔立ちながらしっかりと格別の気品を備える目の前の女の子は、この国のお姫さまだった。


 ピリっとした痛みに曲がる八の字眉、微笑むやんごとなきお方のその健気な心遣いにたまらず再び射精をすると、鳥歌う午後の青い空にむけ彼女の顎が天を衝いた。


 ふと目を上げると、口を半開きにした女と目が合った。


 しかし間抜けな表情はほんの一瞬のみ、ギリリと食いしばる口許には鋭い犬歯、驚きに見開かれた目は鷹のように鋭くなり、眉間と鼻に亀裂が走った。


 腰の剣が音もなく抜き放たれた。


 夜を凝縮したようなその黒い瞳に、絶対の殺意があった。


 右手にしゃべる短剣、頭には鏡のように滑らかな銀兜、死と恐怖のどん底に落とされ窮地に追いやられた俺は、自らの命の危機に、三度目の射精を迎えた。





 鷹の目の女はお付きの者でも護衛役なのだろう、倒れて気を失う主人と覆いかぶさる男を見て、ただならぬ殺気をまとい剣を抜き放った。


 刺突剣。


 ハンドガードの華美な装飾を最小限に抑えた実戦向きの対人用。


 美しい顔の高さに剣を持ち上げると、遠近感を殺す真っ直ぐなその構えに刀身は点にしか見えなかった。


 切っ先の延長線にあるのはドラムロールのように高鳴る俺の心臓、黒壇の瞳は死を与えるべき目標しか写していなかった。


「ま、待ってくれ。これは偶然に偶然が重なった事故なんだ」


「笑止」


「ヒャッハー、串刺しだあぁぁあぁ」


 俺にしか聞こえない『短剣』の、幼女の声は、ひどく楽しそうだ。


 奇妙な兜をかぶる俺の話を聞く耳を持つはずもなく、言葉足らずの弁解は黒髪の女に攻撃準備が十分に整うだけの時間を与えたに過ぎなかった。


 銀兜にすっぽりと覆われているはずの耳に、黒髪女がゆっくりと肺に空気を送り込む音がはっきりと聞こえた。


 その音が止まり攻撃がくりだされる寸前、俺は行動に移った。


 すっくと立ち上がったのだ。


 まったくの予備動作なしの行動に動揺を毛すじほども見せなかったが、血に濡れて天を衝く怒張したマラとビクビクと痙攣する主たるお姫さまを見て、黒髪女はぐるんと白目をむいて気を失った。


 ぐらり身体が傾き地に膝をつく寸前、黒髪女は意識を取り戻し、鞘を杖代わりにしてなんとか踏みとどまったものの精神的ダメージは相当なものらしく、顔は真っ青だった。


「き、貴様……」


 両目いっぱいに涙を浮かべたのも束の間、野犬のように歯をむき出しにして吠えた。


 次の瞬間、その姿は背景に滲んで溶けて消えた。


 大股で五歩は離れている場所から一気に距離を詰めてきた。


 ひどく緩慢に、しかし的確に俺の心臓へ進む刺突剣の動きはスローモーション。


 ああ、これは死ぬな。


 我ながら月並みでのんきな感想が浮かんだところで、右手の短剣――短剣に封じ込められた花の妖精・ヴィヴィ――の焦らすような声がはっきりと聞こえた。


「しょうがないにゃぁ」


 体内器官を握りつぶされるような感覚にマラが反応してビクンと跳ねると、先っぽから策が飛び出し、女を激しく咳き込ませた。


「さあ走れフォレスト! ごーごーごー!」


 気を失ったままのお姫さまに後ろ髪を引かれながらも、痺れるような快感に下半身の力が入らず子鹿のように震える俺は、尻に帆をかけ逃げ出した。

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