サンダウン:ACT2
自分が住んでいるマンションの屋上に、涼子は立っている。しかし、そこには通常のそこで見られる景色より、ずっと幻想的な光景が広がっている。
地面は、マンション屋上のコンクリートを覆い隠すように苔や草木が生い茂っている。いや足元だけではない。そこから見える民家、マンション、クリーニング屋さん、コンビニエンスストア、見渡す限りの建物全てが植物に侵食されている。
遥か遠くに大樹が見える。地球を突き破って宇宙にまで飛び出してしまうのではないかと思えるほどの大樹。
空が淡い夜明けの闇を抱えながらも透き通った美しい蒼と、薄い桃色の色の空とで混じり合って、不思議な景色の空を映し出している。
星はいつもよりもずっと大きく、多く、輝きも力強く見える。
自らの手を見る。広げた左手に、五本の指に、手首に、細い植物のつるが巻き付いている。
瞬きと共に、彼女の両の瞳から大粒の涙が流れる。
目を開くと幻想的な景色は消えていた。
辺り一面に生い茂っていたはずの植物はもうどこにも見当たらない。遥か遠方に見えた大樹も、ピンクと蒼の空も、手に巻き付いた植物も、すべてが消えていた。星は全て闇夜に広がる雨雲に覆い隠されている。
――どんな出会いにも必ず別れがある。でもそれは、ずっとずっと先の事だと思っていた。
真冬の暴風雨の引き起こした土砂降りは、ひれ伏せさせようとするが如く、容赦なく彼女を殴りつけていた。
第一節【茨城 涼子 プロローグ】
EPISODE 003 「サンダウン:ACT2」
彼女と駅前まで一緒に帰った日の晩、彼女はブログの更新を心待ちに、何度か更新ボタンを押したが更新はなかった。彼女は部屋の明かりを消し、ベッドに潜りこんだ後、遠ざかる彼女の後姿、黒い車から出てきたスーツの男、そして別れ際の彼女との握手の感触を思い出しながら眠りについた。
ピ、ピ、ピ、ピ……。朝日差し込む室内に鳴る電子音。その電子リズム鳴る間隔と音は徐々に早まる。
……ビタッ! ベッドでうつ伏せになっている少女の右手だけが素早く動き、アラームの一時停止ボタンを押した。
「……」
少女はうつ伏せのまま動かない。右手が脱力し、だらりと時計から滑り落ちる。
スー……。寝息。
スマートフォンがひとりでにスリープ状態から目覚める。機械というもの、実に目覚めと寝起きが良い。
「~♪」
女の子の間でわりと人気のある、男性歌手の甘くポップなメロディーと歌声がスマートフォンから流れる。茨城涼子の脳内チャートにおける、一日の始まりに聞きたい曲一位の歌だ。
少女は意識も朦朧なまま、半ば本能的に音の発信源たるスマートフォンを左手で探る……が、ない。
厳密には、ベッドから離れた机の上に充電中のまま置いて、そのままベッドに入った為、彼女の手の届く範囲にそれがない。そして一つの事実として、彼女にゴム人間の特殊能力の才能は、ない。茨城涼子は、ゆったりとした動きではあるが、観念したようにベッドから身を起こした。
「さむっ……」
涼子が体を震わせた。
また始まるいつもの一日。いつものように起きて、いつものように朝ごはんを食べて、お弁当を作って、身だしなみを整えて、着替えも終わって、学校へと出かける。
いつもの時間の電車に乗って、少し居眠り。昨日の今ぐらいの時間に、少し不思議な感じの人に出会ったような気もするが、それが男だったか女だったかのかさえも、もう全く思い出せない。
昨日も通ったいつもの通学路を通り、学校に辿り着く。いつも通り非合理性の塊の紙媒体のノートと教科書の山を抱え、でもそれに何の疑問も抱かず、いつもの授業が始まる。期末テストも近い。いつもよりは真面目に勉強しないとならない。
でもそれさえも含めて「いつもの日常」であるはず。彼女は授業中、ふいに後ろを振り向く。涼子の視線の先は無人の机、麗菜の場所だ。
仕事や体調の都合で彼女が突如休むこと自体は、そんなに珍しい事でもない。ただ連絡がないのは珍しい事だった。
放課後になっても、結局その日彼女は学校に姿を見せなかった。涼子は少し気になって、スマートフォンからコミュニケーションアプリを立ちあげると一言メッセージを送った。
「今日学校来なかったけど、調子悪かった?」
メッセージの返信は返っては来なかった。
…… ☘
また始まるいつもの一日。いつものように起きて、いつものように朝ごはんを食べて、お弁当を作って、身だしなみを整えて、着替えも終わって、学校へと出かける。
いつもの時間の電車に乗って、少し居眠り。まどろみの中で、涼子は麗菜の事を考える。昨晩はずっと彼女の返信とブログの更新を待っていた。でもどちらにも動きは無かった。
昨日も通ったいつもの通学路を通り、学校に辿り着く。いつも通り非合理性の塊の紙媒体のノートと教科書の山を抱え、でもそれに何の疑問も抱かず、いつもの授業が始まる。期末テストも近い。いつもよりは真面目に勉強しないとならない。
彼女はふいに後ろを振り向く。涼子の視線の先は無人の机、麗菜の場所だ。
放課後、彼女はコミュニケーションアプリを立ちあげる。送ったメッセージは未読のまま。その日も彼女は姿を見せなかった。
…… ☘
……また始まるいつもの一日。いつものように起きて、いつものように朝ごはんを食べて、お弁当を作って、身だしなみを整えて、着替えも終わって、学校へと出かける。
いつもの時間の電車に乗って、少し居眠り。まどろみの中で、涼子は麗菜の事を考える。昨晩はずっと彼女の返信とブログの更新を待っていた。でもどちらにも動きは無かった。
昨日も通ったいつもの通学路を通り、学校に辿り着く。いつも通り非合理性の塊の紙媒体のノートと教科書の山を抱え、でもそれに何の疑問も抱かず、いつもの授業が始まる。期末テストも近い。いつもよりは真面目に勉強しないとならない。
彼女はふいに後ろを振り向く。涼子の視線の先は無人の机、麗菜の場所だ。
……本当にこれは、「いつもの日常」だろうか? 三日間全く音沙汰がない。
麗菜以外のクラスメイトも、三日間全く姿を現さない麗菜の事をいよいよ気にし始めている。
涼子の中にある不安が、心配の気持ちを押しつぶし始めていた。
彼女の心配と、その気持ちと今にも取って代わりそうな不安の二つのせめぎ合いがピークに達したのは、授業中の事だった。
生真面目で通る禿げ頭の男が、黒板の前に立ち喋っている。眠気を誘うような言葉の数々が、今は全く耳に入らず、集中できない。
授業中の携帯電話。涼子はそういう事を滅多にしない人物だった。それでも、この時彼女はこうしなければ不安でどうにかなりそうだった。
(ごめん先生。少しだけ、少しだけだから……)
涼子は教師の目を気にしながら、素早くスマートフォンからコミュニケーションアプリを立ちあげる。
昨日の放課後に送ったメッセージは未だ読まれていない。彼女は連絡先一覧から1人の人物を選択する。カズマくん、と彼女のアプリ上で表記される連絡先をタッチ。
このカズマというのは、麗菜のカレシだ。カズマと麗菜の二人が付き合っている事実は当事者本人と麗菜自身の家族ぐらいしか知らないが、例外的に涼子はその事実を共有しているし、今でこそ学校は違うものの、中学時代は同じ学校の生徒だった。
この状況に対して、彼なら何か事情を知っていないだろうかと望みをつけ、涼子はメッセージを送る。
「カズくん、麗菜ちゃんと何かあった? 昨日から学校来てないの」
メッセージを送った後、スマートフォンをスリープ状態に戻し、スカートの中に戻そうとした所、スマートフォンが手の中で震えた。
涼子はポケットの中に携帯を戻す事を止め、指紋認証ロックを解除する。
やはりカズマからの返信。
「わからない。」
送られてきた返信はあまりに短い返事に思えた。だが彼女はその短い返信の下に「カズマがメッセージを入力中...」のアプリ側からのシステムメッセージの表示を目にする。
涼子は目を見開いた。今カズマはリアルタイムで、続きのメッセージを入力している最中……。
彼女はスマートフォンの操作もそのままに、スカートのポケットにそれをねじ込むと意を決して立ち上がる。
そして腹部に手を当て、授業中の教師に手洗いの許可を求めた。
「先生、すみません。おなかがいたいので、少しお手洗いに」
真面目で通る教師が、突如立ち上がった涼子の表情を見る。
涼子の額に脂汗が浮かび、湧き上がる焦りと不安が、表情をこわばらせている。授業中の教員は、真面目で通る教師だったが、であるからこそ彼女のただならぬ様子に、ふざけや遊び、不正のない真剣さを感じ取った。
「ああ、うん。急がなくていいよ」
だが、涼子の様子を見た男子生徒が便秘や腹痛と思い、大便だ、下痢だと下品な野次で彼女を辱める、彼女の頬は紅潮しなかった。彼女の表情は青ざめていた。彼女の心から沸き上がりつつある不安が恥辱と混じり、彼女を恐怖に震わせている。
その時
「ふざけるのもいい加減にしろ!」
真面目で厳しいが、滅多怒鳴らない教師が怒鳴り声をあげた。教室が静まり返る。
「……恥ずかしいと思わないのか」
「……すみません」
突如の教員の怒鳴り声に男子生徒は萎縮し、謝罪した。自分の席で立ち尽くす涼子に、教師の禿頭が向いた。
「
その声は、今の怒鳴り声とは対照的に、とても優しく静かな声だった。
「……はい。ありがとうございます」
涼子は深く頭を下げると、そそくさと教室を出る。既に心臓が張り裂けそうだった。
涼子は急いで女子トイレに駆け込み、個室のドアを開き、下着を降ろすことなく便座に腰かけた。
スマートフォンの指紋認証ロックを解除しようとするが……認証解除を解除するための親指が震えで動いてしまい、うまくいかない。
涼子はやむなく手入力でロック解除用の暗証番号を直接入力。0-9-1-2、麗菜の誕生日……解除。既にカズマからの新着メッセージが届いている。
メッセージを開くと、このように書いてあった。
「昨日レナのお母さんから電話が来た。「レナの事を知らないか」って。でも俺「最後に会ったの週末だから何も知らない」としか言えない。」
……今日は木曜日。カズマが麗菜と最後に会ったのが金~日曜日あたりの話であるのなら、涼子が最後に彼女を見かけたのは月曜日。麗菜の友人知人家族の中で、最後にその姿を見かけたのは自分自身である可能性に涼子が思い至った。
彼女との最後の会話、別れ際の握手、遠ざかる後ろ姿……。あの時の光景がフラッシュバックし、彼女の記憶を駆けてゆく。
「わたし さいご月曜日に れなちゃんと、一緒に駅の近くまで飼えって。途中dわかれて、それから、わからないの」
涼子が震える手で、変換や文字を間違えながらもメッセージを送った。
返信はすぐに返って来た。
「レナの家族が、レナの事務所に連絡取ったけど来てないって。今、警察に捜索願だして、探して貰ってる……」
捜索願い。その文字列を目にした瞬間、涼子は激しく
「はぁ……はぁ……うそ……レナちゃん、どこにいるの……」
その心情を体が表すかのように、強いめまいがした。天井のパネルが回転しているかのように見える。座っていなければ、きっとそのまま倒れてしまうだろう。
カズマがメッセージを入力中....。
スマートフォンの画面に表示されるコミュニケーションアプリのシステムメッセージ。涼子はその画面からすら逃れたかった。
「見つかったらすぐ連絡する」
画面に表示されるカズマからのメッセージ
涼子は普段なら必ず言うはずの「ありがとう」を、その時言う気持ちになれなかった。メッセージを見ると、アプリを終了させ、放心した。
……それから、どうやって家に帰ったのかは思い出せない。家に帰り、制服のままベッドに倒れる涼子の姿があった。スマートフォンを手に取る。時刻はまだ1時を少し過ぎたばかり。本来ならまだ授業が行われている時間帯のはず。記憶があまりに曖昧だが、時間からして途中で早退して家に帰って来た事だけは確実のようだった。
いくら考えても、不安と心配と、そして恐怖から来るストレスが、彼女の気持ちを複雑に絡ませるせいで、まったく考えも進まず、答えもでない。その内疲れから、彼女の意識はベッドの上で、まどろみの中に落ちて行くのだった。
EPISODE 004 「ヘヴィ・レイン:ACT2」へ続く。
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