第一節 主人公:茨城 涼子 プロローグ

アイドライク・トゥ・ティーチ・ジ・ワールド・トゥ・シング

第一節【主人公:茨城 涼子 プロローグ】


EPISODE「アイドライク・トゥ・ティーチ・ジ・ワールド・トゥ・シング」





「ただいまー」

 マンションの一室の玄関を、リュックサックを背負った少女がくぐった。

 

「おかえりー。今日も空手?」

 そんな少女をパジャマ姿の茶髪の女性が迎えた。その女性を少女の母、と呼ぶにはまだ相当若い。そして事実、家族ではあるにしろ少女の母ではない。


「うん、お風呂借りていい?」

 少女が聞いた。少女の身体はこの真冬だというのに熱を放っていて、その若くなめらかな肌は、まだ少し汗ばんでいる。


「いいよー。あたしもう入ったから」

「はーい。お母さんは仕事?」

「うん」

「そっか。じゃお風呂借りるね」

 姉の返事をそこそこに聞き終えると、少女は空手道着の入った水色のリュックサックを背負ったまま風呂場へと向かった。




……



「ふー……」

 少女が湯船に浸かる。少女の名は茨城 涼子リョウコ、彼女は横浜の高校に通う高校一年生の女の子だ。春からは2年生になる予定だ。


 家族はほかに、父と、母と、社会人の姉が1人。両親は仕事の都合であまり家に帰って来ない。母はそれでも週末ぐらいは帰ってきてくれるが、父は去年の秋に山梨県に転勤となり、それ以来全然返ってこない。



 寂しい、という気持ちがないわけではない。だが涼子だってもう女子高生、必要な事は大体自分一人でこなせるし、私生活や学校生活、制服のスカートの丈のことで何かと干渉してくる両親との生活は多少離れていたほうが、かえって気楽であるのも事実。


 別に仲そのものは良い。それは彼女にとって十分な事実だった。それにいざとなれば同居してる姉だっている。

「はー……、ヤだな期末」

 少女が湯船の中で気怠い表情を作る。女子高生という生き物は、常に危険と困難、ストレスにさらされている。


 例えば期末試験、あんまり好きじゃない生物科目の先生もそうだし、クラスの女の子たちとの付き合いもそうだ。進路とかいうのもそうだ。春か夏ぐらいになったら、そろそろ考え始めないといけない。


 カレシもいない。そういうの、私もそろそろ作った方がいいのかなとか、友達の私生活を見ていると、考えてしまう夜もある。

(でも別れちゃうの怖いし……)


 現状を別に、特別嫌ってなんかいないけど、例えば明日アラブの王族と暮らしを交換できるなら、ぜひとも変わってみたい。自身のそれが「素晴らしい人生」と呼べるほどのものではないと彼女は思っている。


 でも、”あの子”との関係だけは特別――。

 涼子は湯船の中から立ち上がった。



……



 湯船にいた時とは一転、自らの悩みを浴室に置いてきてしまったのか、涼子の表情は明るくなっている。パジャマ姿に首にはタオルがかけられ、右手にはマグカップ。足取り軽く自室へ向かう。



 コースターの上にマグカップを置く。その中には冷蔵庫の中で良く冷やされたミルクが注がれている。涼子は机の上で閉じて置かれたノートPCを開くと、電源を立ち上げる。それから彼女はマウスを手に持つと、すぐにインターネットに接続した。


 既定ホーム画面のYAHOOを軽く無視して、鼻歌交じりに彼女はお気に入りの場所へ向かう。

 


 辿り着いたページは、一つのブログサイトである。


 「La Vie en Rose」とピンクの文字で書かれ、その下には「ラ・ヴィアン・ローズ」と小さくフリガナ。

 ブログ看板バナーにはどこか大人びた印象の美しい女性が写っている。現代のPCテクノロジーを駆使した写真加工技術によって写真は少女がまばゆい光を放つかのように美しく加工されている。


 まるで神話の中のエデンの園のような輝かしい風景の写真だが、その正体がゲートボールと愛犬家のペットを伴ったウォーキングを例外として、それ以外のキャッチボール、花火、ダンス、鬼ごっこや駆けっこに至るまで、思いつくおおよそ全てが禁止された、ちょっと広いだけが取り柄の近所の退屈な公園だなどと、誰が気づく事ができようか。



 嘘ではない。なにせ証人たる写真のカメラマンが、ここでこうしてパソコンを開いている。



「あ、更新きてるー」

 涼子がページをスクロールすると、彼女はまだ未見の新着記事を見つけた。続きを読む。クリック。読み込み中、カチカチ。彼女のクリックに急かされるように記事全文が表示された。





 記事名「今年のお正月休みは……(*>ω<*)」

 みなさんお元気ですか!? 新年も明けて、お正月休み、みんなどんな風に過ごしてるんだろ~。今年の私はなんと……! 友達と一緒に大阪に行っちゃいました! (。→∀←。)

 目当てはもちろんユニバー(笑)

 写真は遊園地のカフェで出てきたカプチーノとパスタ!絵がそっくり!こんな上手なキャラメルマキアート、わたしも自分で出来たらいいのにな~(笑)

 食器もオシャレだし、すごく美味しかった~☆

 みなさんもぜひ近くまで来たら寄ってみてくださいね°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°





 ブログには上部バナーの長身の美しい女性と、写真加工で顔の隠れた少女のツーショット。遊園地の景色の写真。可愛いキャラクターの絵が浮かぶキャラメルマキアートの画像、一緒に食べたトマトクリームパスタ。


 全部が楽しかった。


 クスクス笑いながら記事を一通り読み終えた涼子が、微笑んでスマートフォンを手に取った。外で浪費したバッテリーを補充するため、充電ケーブルと接続。彼女の白いスマートフォンがヴィィ、と微かに震え、充電状態の確立を告げる。


 涼子はスマートフォンを手にして指紋認証ロックを解除すると、そのまま写真フォルダへと向かった。彼女の写真アルバムは大概、犬や猫などの動物、食べ物、空の写真で占められている。そのリストの中に半例外的に付け加えて良いのが、一人の女性との写真だ。


 涼子は基本的に、自分一人だけが写るような写真は絶対に撮らない。友達とも写真はあまり撮りたがらない。主に恥ずかしいからだ。でも、この子といる時は涼子にとっても例外だ。


 特別、と言葉で表現する事こそ容易い。しかし涼子にとってはもっと重要な関係だ。

 涼子はアルバムの中の新しいリストの中から、1枚のフォトを選択し開く。


 彼女が今パソコンのウェブブラウザで開いているサイトの写真と、同じ場所、同じ構図、同じ茶髪の女性、そして隣に写った涼子自身。こちらの写真では顔は隠されていない。とても楽し気な2人の少女が写っていた。



…… ☘ ☘



「ねえレナちゃん。私にも少しちょうだい」

 涼子がテーブルの上のパスタを指して言う。

「いいよー。一緒に食べよ!」

 茶髪の女性は快諾し、彼女の手元に置かれたパスタを、取り皿にパスタを分けてくれる。


「わあー、ありがとー」

 両手を合わせるように音を鳴らし、涼子が微笑んだ。



 パスタを取り分ける友人から目線を外し、おもむろにガラス壁の向こうに広がる店の外を見やる。保護者として姉が同伴してくれたが、友達と2人で大阪まで来るなんて、今までにないちょっとした冒険だ。



 姉は今、一人で遊びに出ている。おそらく、という前置きはつくが、このテーマパーク内のどこかで、きっと姉は素敵な出会いを求め、彼女なりに楽しく一日を過ごしている事だろう。



 ――まだ新年間もない時期、大阪も地元と同様厳しい寒さに冷え込むが、こうして店の中にいれば暖房が効いていて快適だ。



「はい、どーぞ」

パスタを取り分け終えた麗菜が、涼子の意識を店の中へと引き戻した。



「ありがとー。いただきまーす」

 再度手を合わせると、涼子は受け取ったトマトクリームパスタに口をつけた。

「ふふふ、涼子ちゃん行儀良いよね~」

「べつに、そんなことないしー」


「ウソ。涼子ちゃん育ち良いよ」

はにかみながらも否定するそぶりの涼子を見て麗菜が微笑む。



 涼子と食事を共にするこの少女の名は、野原 麗菜 (ノバラ レイナ)。涼子からはレナちゃんと呼ばれ、白華しろかレナとしての名も通しつつある女子高生だ。


「レナちゃんの方が凄いよー。お仕事増えてるんでしょ?」

「うん、まあー。でもそんなじゃないよわたし」

 麗菜が謙遜する。


「またあー。写真集出すんでしょ?」

 涼子が指摘すると、やや予想しないツッコミだったのか、麗菜の身体が同様で小さく跳ね上がった。


「げ、涼子ちゃん、なんでそれ知ってるの」

「えへん、白華レナの活動は、私何でも知ってるもの」


 涼子がスマートフォンを軽快に操作すると、一枚の写真を麗菜に突きつけた。麗菜が男性と親し気に写るツーショット写真。公的には「弟」あるいは「友達」として扱われるその男性との手の繋ぎ方は、大変に親し気だ。



「ああ、あいつ、もう最悪……」

 麗菜が溜息を大きくつき、頭を抱える仕草をした。


 おおよそ彼が涼子に情報を漏らしたに違いないだろう。あるいは個人的に買収されたかもしれない。本業でない水着写真集の撮影なんて、恥ずかしいから出来れば知られずに済みたかった。



「でも凄いよ。声のお仕事も増えてるんでしょ?」


 涼子が言うと、麗菜は声を小さくしながら謙遜する。

「ま、まだ専門学校とか小っちゃな会社とか、そういうの向けのでちょっと喋ってるだけだし……」



 何を隠そう、野原麗菜は 女子高生でありながら、白華レナの名で活躍する声優でもある。本人は謙遜してばかりだが、涼子の目から見てそれはとてもとても凄い事だったし、彼女の目を通さなくても実際に凄い事だった。



 仕事の都合で付き合いこそ隠しているが、麗菜のカレシも中学時代からの付き合いで、他の友達みたいに男を定期的に変えたりすることもない。



 涼子が麗菜をじっと見た。背も高くて、足もスラっと長くて、おっぱいも大きくて、肌も自分よりずっと白くて、細くて、お化粧も上手で、耳元のイヤリングと、小さく白いバラを模したネックレスもオシャレで、キレイ。でもきっと私がつけても似合わない、と涼子は思ってしまう。


 同い年のはずなのに、2つか3つほど麗菜の方が年上のお姉さんなのではないかと錯覚するほど、少なくとも涼子は自分と彼女の間にある顕著を感じていた。



 だが麗菜の方はというと、そんな事はいささかも気にしていないようだった。

「はぁ~、ついに水着写真まで出し始めちゃって。私のレナちゃんが、どんどん遠い所に行っちゃう~……」

 冗談交じりだが、涼子がわざとらしく溜息をつき、悲嘆の表情を作った。


「もー、やめてよ涼子ちゃん。私達ズっ友でしょー」

 麗菜が親友の変顔に噴き出し笑って答える。

「うん! ズっ友!」

「うんズっ友」

 二人は笑顔でその強固な友情を確かめ合った。



 それからも二人は食事を終えたあとも、あちこち遊びまわり、遊園地の外の大阪の景色を見て回ったり、色んなものを食べて、スマホ片手に多くの写真を撮影し、沢山の、本当に沢山の思い出を作った。



…… ☘ ☘




 ……この写真一枚を見るだけで、涼子はその時の素敵な思い出を多く思い出せる。とても、とても鮮明に。

 最高の親友って、本当に最高。特に私のそれは特に。

 その関係こそ涼子の一番の自慢で、誇りだ。


 もう中学時代からの付き合いだし、これまでずっと友達、これからもずっと友達。ズっ友。


 涼子はスマートフォンを操作し、いくつかの友人や家族などとの雑多な連絡を済ませると、勉強に向かった。




EPISODE「アイドライク・トゥ・ティーチ・ジ・ワールド・トゥ・シング」END

EPISODE「ヘヴィ・レイン ACT:2」へ続く。


(※次エピソード名称は予告なく変更を行う可能性があります。予めご了承くださいませ。)

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