グリムの野に咲く百合の花――白雪姫

九蘇屋ロウ

白雪姫

1. 出会い

 むかしむかし、とある王国を囲むように広がる森がありました。めったに人の立ち入らない森の中では、「小人さん」と呼ばれる少女が一人暮らしていました。「小人さん」といっても、彼女は妖精や怪物のたぐいではなく、姿形は普通の人間です。ですが森の動物たちにとって、人間といえば「猟師か木こりのような、筋骨隆々のたくましい男」というイメージ。それと比べてしまえば、彼女は小人同然です。


「『小人さん』じゃないのですけど……」


 少女はぼやきながら、早朝の散歩から帰るところでした。つい今しがた、青い鳥から小バカにされたのです。

 小さくないっていうんなら、オレのことを捕まえてみなよ、と。

 とはいえ青い鳥はいつも軽口をたたいていますから、彼に悪気はありません。それに少女も普段はそれほど気にしません。

 ただ、ごくたまに、不意に「小人さん」という呼び名が嫌になるのです。

 少女は立ち止まって、森の空気を一杯に吸い込んで、ほっと一息ついてから歩みを再開しました。


 家に戻ると、少女は朝食をとってから本を読みます。森の生活でできることといえば、読書と、動物たちとお話するぐらいです。少女にとって書物は友達でした。

 書棚の前に立って、右に左に、本棚中に目線を泳がせて、今日はどれを読もうかと思案します。いくつもの背表紙に目移りしながら思い悩んだ末、「これ」と思った一冊に手を伸ばしました。


 そのとき、コンコンと扉がなりました。


 こんな森に用があるのは、猟師か木こりぐらいでしょう。ですがこの家はどこの国からも遠く離れていて、遭難でもしないかぎり迷い込むことはありません。不思議に思いながら、少女は本棚から離れて玄関を開けました。


「……え?」


 そこに立っていたのは、物語にでも出てきそうな女性でした。

 金の糸で彩られた純白のドレスという、およそ森という場所には似つかわしくない衣装をまとっています。ですが少女には、そんなことは気になりませんでした。

 女性は、雪のように白く輝いていたのです。

 ただひとつ、瞳だけが力なくよどんでいました。ですが、そのうつろなまなざしが、むしろ神々しさを引き立てていました。


 ――世界で一番美しいのは彼女なのかもしれない。

 少女は女性の顔を見上げながら、息をのみました。


「おなかすいた」


 そんな、神聖とさえ思えるような女性は、消え入りそうな声でつぶやきました。そしてつぎの瞬間、女性は糸の切れた人形のように少女へと倒れ込んだのです。


「わっ」


 少女は思わず両手をあげて女性を受け止めようとしました。ですが少女にとって、女性は見上げるほどの高さです。支えきれないかも、と少女は目をつむって身体に力を込めました。

 しかし予想に反して、少女はいともたやすく女性を受け止めることができたのです。

 自分の腕におさまる女性を見下ろして、少女は「おや?」と疑問を感じました。そして青ざめました。腕の中の女性はあまりにも軽くて、あまりにも青白くて、触れているというのに現実味が感じられなかったのです。

 少女はあわてて彼女を家へと引っぱり込んで、ベッドに寝かせました。それから台所へ向かって、食材のストックを確認します。


 ――できるだけ手早く作れて、栄養のある料理を。


 そう考えると、火を起こすのはかなりの手間ですから、豆や麦などの穀物は使えません。幸い数日前に焼いたパンが残っていましたが、ずいぶんぱさぱさになっています。お客様に出すにはあまりにもお粗末です。

 ほかには、と見回すと……ありました。ブドウのワインです。たまたま作り方の書かれた本を手に入れたため、奮発して材料をそろえて手作りしたのです。

 とはいえワインはぜいたく品。あまりたくさんは作っていません。小さなビンに一杯分だけです。ちょっとだけ惜しいな、と少女は思いましたが、そんなことを言っている場合ではありません。少女はパンとビンをかかえてベッドに戻ります。

 横たわる女性をあらためて眺めてみますと、やはりぞっとするほど美しいのでした。


 ――このまま眠るように消えてしまうかもしれない。


 少女は不安に駆られて、女性の肩を揺さぶります。


「起きてください! 起きてくださいおねえさん!」


 少女の手によって、女性はゆるゆるとまぶたを上げました。少女はすかさず食事を差し出します。


「とりあえず、これを食べてください」


 パンをワインに浸して、女性の口元へと運びます。最初のうち、女性は力のない目つきのままゆっくりとあごを動かしていましたが、だんだんと瞳の中に光が宿ってゆき、一口目を食べ終えたころにはすっかり目を見開いていました。


「美味しい」


 そして女性は、はっきりとつぶやきました。

 人から料理を褒められる経験のなかった少女は、胸のくすぐったさをごまかすようにパンとワインを女性に押し付けます。


「ありがとう」

「……いえ、たいしたことはありません」


 満面の笑みとともに返ってきたお礼に対して、少女は思わず目をそらしました。


「具合は良くなりましたか?」

「ええ、おかげさまで」

「そうですか」


 雪のような白さはあいかわらずでしたが、女性の顔はたしかに最初よりも血色が良くなっていました。


「もうすこし休んでいてください」


 少女はベッドから離れ、本棚から一冊つかみ取ってから、ベッド脇の椅子に腰かけました。


 ――もう消えてしまう心配はないでしょう。


 窓から注ぐやわらかな日差しを受けながら、少女は安堵とともにページをめくりました。

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