第54話 Back Door./2 - Secateurs -
第二の扉。
‡
『…………』
カツーン、コツーン、カツーン、コツーン―――
夜明け前、ぼんやりと白み始める空の下、白亜の廃墟を往く影がひとつ。
静謐な白の中を、高く長く足音を立てて、黒い影が揺れ動く。
『…………』
ガリガリガリ、ザリザリザリ、ジャリジャリジャリ、ゴリゴリゴリ―――
影の揺れ動きに合わせて、重たい音が続いていた。
力なく垂れた右の手指で、引っ掛けるようにして引き摺る巨大な裁ち鋏の立てる音だった。
『んんん~~~……』
低く呻るように、長く長く息を吐く。
此処へ戻ってきたのは、自分が唯一知る存在、自らを「妹」と呼んだものの気配を追ってきたからだが、建物に入ってから様子が変わった。
『“ドクター"の気配がする……』
「ハーデス」と呼ばれていた大柄な男とともに、消えてしまった人。大切な人。
帰ってきているのか。
『んんん~~~……』
はっきりしない。頭がもやもやしている。それでも足は動いている。きっと頭では分からなくても、体が行くべき場所を分かってる。
『ん……』
ゆらり、身体を揺らして、廊下の角を曲がったときだ。
ガチャ、―――
「ほっ、と。ん、屋内? 何処に出たんだろう」
『此処は……《
「パン……? おや、君は―――」
他とは装丁の違う大振りの扉から、二人分の白い影が白亜の廃墟に転び出た。
ぼんやりと歩いていた黒い影は、それらを認めると、小さく首を傾げた。
『……だれ?』
まるで寝起きのように重たい瞼を、ゆっくりと瞬く。
瞬きをする間に、彼らの背後で閉じられた扉が消え失せ、最初に飛び込んできた青年は少女の姿となった。
『ありゃ。また縮んじゃった……この建物が原因なのかな?』
ぶかぶかになったローブをたくし上げ、手指の自由を確保しながら、見覚えのある姿となった赤い瞳の少女は物珍しげに周囲を見回す。
黒いほうは、手指に引っ掛けていた大鋏を胸元に引き寄せ、ジャキ、と音を立てて開いた。
『今度は何の用……? “ドクター”を攫って、次はわたしってこと?』
『ちょ、待った待った。ボクはもうタナトスに鎌を返しちゃったし、此処に来たのもタナトスを追ってきただけなんだ』
無表情、無感動な言動と裏腹に、殺気に満ちるタナトスに対して、ヒュプノスは諸手を挙げて釈明する。
『あーでも、あの扉はキミに通じちゃったみたいだね。この世界ではキミもタナトスってことになってるから、どれかひとつはそうなるだろうなって気はしてたんだ』
『どういうこと……?』
白い少女の釈明に、黒い少女が殺意を和らげるのと同時、
―――リィ――――ン…………
甲高い、鈴の音を引き伸ばしたような音が廃墟内に木霊した。
『これは……?』
『何か、来た……これは……ともや……?』
□
「此処って……あの病院か」
俺は見覚えのある白亜の塔に戻ってきていた。
正直、あまり戻ってきたくはなかった。瞳の奥であの部屋で見たものの残像がチラつく。
「目的地って此処なのか?」
前を行く鬼雛に問いかけると、彼女はこちらを振り返って肯いて見せる。
「
「ふーん……」
「あれれ、驚かないんだ? 今明かされる衝撃の事実! ……なのに」
「まぁ、なんとなくそんな気はしてたからな」
ずっと感じていたものがあった。
喫茶店で絡まれるようにして合流し、これまでずっと共にいたことで、徐々にそれが形となって表れていた。
「お前らも俺と同じ、自分を失った人間なんだろうな、ってな」
類は友を呼ぶ、とでも言うのだろうか。
拠り所を失くした人間は、単数でいることを怖がるのかもしれない。
俺があのとき、あの喫茶店に入ったのもきっと、ひとりでいるのが怖かったのだ。
「……ま、実際のとこはよく分からんけどな。“ドクター”は守秘義務とやらでほかの蘇生者については何も教えちゃくれなかったし」
「え、そうなの? てっきり“ドクター"から全部聞いてたから驚かないだけなのかと思ってたのに。あの人、そんなに秘密を作るようなタイプじゃないよね、
「う~ん、どうだったかなぁ~? お姉さんのときにも何も教えてくれなかったと思うなぁ~」
「
「ぇと、ぁの……はい、特には」
「えー? むむーぅ、みんな知らないのかーぁ」
腕を組み、眉根を寄せて唸る鬼雛。疑問を解くためには“ドクター”本人に会うのが一番手っ取り早いが……。
『…………』
カシャン、と。
廃墟の入り口の前に黒い影が降り立つ。手には長大な裁ち鋏、その切っ先を地面に突き立て、寄りかかるようにして立っている。
「タナトス、か……?」
確信が持てなかったのは何故なのか。隣にいるべきはずの男がいないからか。
芯が抜けたように何処か力無く、ぼんやりとした顔でこちらを見ている。
『……そっちの子たちは?』
「あ? ああ、こいつらは―――」
「あーまたかーぁ。これで何度目だろうなーぁ……」
はあ、と大きく吐息し、げんなりと肩を落とす鬼雛。その様子を見ても、タナトスに変化は見られない。
「あー……ひょっとして知り合いか?」
「ウチらは“ドクター”のとこにいたんだよ? とーぜん知ってるよーぉ」
『"ドクター”……』
ぼんやりとしていた表情が、少しだけ陰りを帯びた。
「そういえば、“ドクター"は? 一緒じゃないの?」
『“ドクター”は、まだ戻ってない……』
「へ? 戻ってないって……どこか出かけてるってこと? っへーぇ! あの人も外に出ることあったんだーぁ」
驚きを露にする鬼雛に嘘の色はない。どうやら本当に初めてのことらしい。
「……ホントにお前らここを根城にしてんのか」
「だーからぁ、そう言ってるじゃんかーぁ。まだ信じてなかったわけーぇ?」
「それで俺のこともよく知ってるってわけだ……よォやく納得したよ」
はぁ、と息を吐きながら、杖を持つ手を振り上げて後ろ頭を掻く。
ガツ、と音を立てて振り下ろし、俺は改めてタナトスへと視線を向ける。
「ァー……それでその“ドクター”のことなんだがよ……」
『解ってる。……来て、見てほしいものがあるの』
言葉を遮るようにして、肯き、踵を返して白亜の塔へと戻っていく。
俺は何も言わず首を傾げている鬼雛に頷いて見せ、その後をついていくよう促す。
『えっと……兄さんも来てくれる? そっちの人も』
『ボクらも? いいのかい?』
『……いいでしょう』
タナトスが兄さんと呼びかけた相手は、どう見てもタナトスより幼い少女のようだったが、それは俺も一度は見たことがある相手だ。
特に驚きはしなかったが、少し前を行く鬼雛がチラチラ振り返りながら「兄さん?えっ、タナトスって兄弟いたの??どういうこと???」としきりに尋ねてくるのを、うんざりとしながらも新鮮に感じていた。
□
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます