第55話 Back Door./3 - a Scythe -

「おいショウ、ショウ! しっかりしろ!」


 ぼやけた視界の中で、誰かが俺の名を呼んでいる。

 その声に引っ張り上げられるように、おぼろげだった意識が覚醒を始める。


「ぁァ……シンか……?」


 辛うじて出た声は掠れていて、自分の口よりももっと遠くで囁いているように感じた。頭頂部を貫いた衝撃で、鼓膜が揺らいでいるのか。

 額に冷たさがくる。誰かの手が触れている。髪をかき上げられて、頭部を調べられている。


「大丈夫、出血はしてるけど、傷は大したことない。臣也さん、バッグからガーゼと包帯を取ってちょうだい、あと消毒液も」


「はい!」


「トーヤさん。ちょっとショウの頭、揺れないように抑えててくれる? 優しくね」


「はいよ」


 両のこめかみに支えがきて、視界の揺れが少し収まる。

 頭頂部から額、顎にかけてを、湿ったガーゼで拭き取られる。おそらく、流れ出た血を拭ったのだろう。

 熱を持った傷口に、ひんやりと冷たいガーゼが当てられ、それを包帯で巻いて固定する。痛みというより、どこか心地よさがある。痛覚が鈍化しているのか。


「応急処置だけど、今はこれで我慢してね」


「ショウ、早速で悪いんだが詳細を話してくれ。相手は「3人の女」で間違いないか? 誰かほかにいなかったか?」


 手帳を開いての臣也の問いかけに、答えようとするが声が出ない。


「ほら、口開けて。水入れるよ、飲んで」


 首の後ろを抱えるようにして支えながら、顎を引かれて口を開けさせられ、ペットボトルの水を一口分流し込まれる。


「―――ハァ……ァー、そうだ。相手は、女が、三人連れで……」


「様相は? 憶えてる範囲でいい、髪形とか、服装は?」


 トーヤの手から水のボトルを受け取って、壁に背を預けて二口、三口と嚥下する。


「ァー……一人は銀髪で、白のライダースを着てた。もう一人はピンクってか、赤っぽい髪で、作務衣みたいなのを着てたな……」


「奴らだ……」


「心当たりあるって顔だな……」


 臣也とトーヤが傍を離れ、キヨが改めて傷の具合を確かめるように頭部に触れる。


「悪ぃ、キヨばあ……俺ぁ役立たずだな、ガキのお守りも満足にできやしねェ……」


「そんなこと言わないで。きっとすぐ見つかるわ、大丈夫」


 言葉や表情は気丈に振舞っていても、こちらに触れた手の震えまでは隠せない。

 怯えている。怖れている。失うこと、奪われること、離れてしまうこと。

 そういったキヨから伝わる感情が、余計に己を惨めにさせる。


「……―――」


 吐き出しそうになる悪態を、水を飲んで流し込む。今ここで己を責めたとて、奪われた紫緒は戻ってこない。

 時間の無駄だ。無駄にしている時間は、ない。


「相手の目星は付いた。狙いも……多分、把握はできてる。紫緒を攫っていったなら、月代の遺産が目的だろう。それが表に出ない限り、紫緒の安全は保障される……はずだ」


「だといいけど。で、どうすんの? 警察にでも行く?」


「ああ……いや、それも考えた。けど、今警察は、長柄谷 智哉の事件で掛かりっきりだろ。たぶん相手にしてもらえない。俺たちだけで、やるしかない」


「おゥシン……モチロン、俺も連れてってくれんだろ……?」


「ダメよショウ、安静に――」


 壁に手をついて、何とか立ち上がろうとする俺を、キヨが抑えようとする。

 だけど俺は、その手を強く、強く握り返して、


「シン」


 無駄にしている時間はない。無駄にできる人員もない。

 怪我人だろうが病人だろうが、使えるものは全て使う。

 今がそのときだ。


「……分かった。けど無理するなよ、お前も大事な《家族》なんだ」


「分ぁってるよ……」


 心配そうな、けれど諦め顔のキヨに笑んで見せ、俺は改めて壁に手をついて立ち上がろうとした。そのとき、―――


ガチャリ、と。


「ぁ……?」


 手を付いた壁が、向こう側へと


『ぇ――ぶっ!?』


 から、今まさにこちらに歩み出んとしていた小柄な影に、支えを失った俺の背がぶち当たる。


「おやおや、大丈夫ですか? だからと言ったんですがねぇ」


 さらにもうひとつの影が、上体を反らして懸命に俺を支えている小柄な方から、俺の肩を押して解放する。


『いたた、あーびっくりした……開けた途端急に誰かが倒れ込んでくるなんて聞いてないわよ……』


 反らした腰を後ろ手に押さえながら、こちらの横をすり抜けるようにして前へと回りこんでくる。

 鮮やかな夕日のような朱色が視界の中でくるりと身を回し、真紅の輝きがこちらを見上げるように煌く。


『ちょっと……あなた怪我してるじゃない。大丈夫? 傷に障ったりしてない?』


「ぁ、あ……?」


 突然のことに、自分の頭が付いてこれていない。戸惑い、言葉を選んでいると、相手はゴソゴソと己のコートのポケットを探り、針の短い注射器のようなものを取り出して、


『失礼』


 こちらが何かを言う前に、包帯の上からブッ刺した。


「おい、何を―――!」


 臣也の焦ったような声にも、まるで動じずに注射器の針を抜いて、容器と針をそれぞれ左右のポケットに収めながら振り返る。


『診たところ擦過傷と挫傷のようだったから、用の薬を塗布しといたわ。20分もすれば治るはず。この包帯を巻いたのは? 貴女?』


「は、はい」


 キヨが肯くと、にっこりと笑って、


『とても素晴らしいわ、見事な腕ね。医療術の心得が?』


「え、ええ、まぁ、少しだけ……あの、あなたは?」


 キヨの疑問に、朱色髪は鼻梁を下から上に指でなぞり、は、とした顔をしてその手をぱっと払った。


『あ、まだ名乗っていなかったか。私はアラストル。一応、一通りの免許は持ってるから安心して。まぁ……この国でも通用するかは、まだ試してないんだけど』


 未だ俺の肩を支える手が、トン、とこちらの肩を叩き、目を細めてにこにことした顔で、


「まぁ、悪い方ではないので、安心してください」


 誰も、何も言えない静かな時の中、背後でパタン、と壁の閉まる音が響いた。



    †



 第三の扉。



    †


 正直なところ、アラストルはこの組分けに納得しかねていた。

 【Thanatos】と書かれた扉が三枚現れたことにも納得はしていなかったが、それならば三方に分かれようという提案を出したのは自分だった。


『どうして三つも出てきたのかは謎だけど……おそらくどの扉を通ってもタナトスには行き着くはず。そうよね?』


「ええ、そのはずですねぇ」


 この〔裏口バックドア〕を開けた当人である黄桜の曖昧な返答に、アラストルは眉根を詰めて振り向く。


『どういうこと? タナトスへのなんじゃないの?』


「それは先ほども訊かれましたが……私にも分かりません、としか。普段は私ひとりで通るものですからねぇ、大勢で通ろうとするのは初めてなので……」


『じゃあ……ここにいる面子メンツが影響して、道を三本に別けたってこと? それなら、三方に分かれてそれぞれの道を進むしかなさそうね……』


 そういうわけで、三つのチームに別れて此処からは進むことになったのだが、


『……何か、釈然としないわね。別に不満があるわけじゃないんだけど、すっきりしないわ』


 先にそれぞれの扉を通っていった二組を見送って、残された最後の一枚に手を掛けながら、アラストルは扉に向かって語散る。

 組み合わせを決めたのは自分だ。〈信用できないものハーデスやシルヴィア〉に〈信用できるものヒュプノスや少女〉を宛がった。そこに間違いはないと確信は得ている。

 いつの間にか姿を消していた小悪魔のことも、思考の隅のほうで引っかかっている。


「ふぅむ、《到達者》としての予感、というものですか?」


『そういうんじゃないけど……あの連中から目を離してしまって、後悔しないか今から心配してるのよ』


 ハァ……と息を吐いて、アラストルは改めて扉の取っ手を捻り、


「あ、ですよ?」


『え……』


 既に引き開けてしまってから言うのは卑怯じゃないだろうか。

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