第48話 Devil's Way, Cross with Demons/3
†
通りには、人と同じで表と裏が存在する。
それは言わば街の裏であり、縮尺を正しく拡大できれば世界の裏と呼ぶこともできるだろう。
表には表の顔があるように、裏には裏の顔がある。
「…………」
僕は表を歩かない。何故なら僕は裏側の人間だからだ。
表側の人間が裏を避けて近づかないように、裏側の人間も極力表に出るべきじゃないと僕は考えている。
だから、この通りの裏ですれ違う人間というのは、須らく裏側の人間ということだ。
「…………」
裏側の人間は、ときに同位の人間とすれ違ったとしても、その相手を気に掛けたり、まして声を掛け合ったりなどはしない。
何故なら、裏を歩いている人間は得てして「裏の顔」を曝して歩いているものだからだ。
今ここですれ違うこの何某も、きっとそうであるに違いないのだろう。
だから、僕らが肩を掠めてすれ違ったとき、その相手が声を掛けてきたのには、心底驚いたものだった。
「どちらへ行かれるのですか?」
挨拶もなく、名乗りもしなかった。ただ足を止めて、振り向かずにそれだけを尋ねていた。僕の思い違いでなければ、それはきっと僕に向けて掛けられた言葉だ。
「…………」
僕は答えなかった。というより、答えなど持っていなかった。だって、そんなことをこんなところであんな相手に尋ねられるとは思っていなかった。
相手の口振りは、道端で会った知り合いに行き先を尋ねるような気軽なものだった。だから僕は、きっとこの相手は自分の知り合いと僕とを見間違えたか何かしたのだろうと思った。
「何故そんなこと訊くんだい?」
答えを返すのは、正直危険な行為だと薄々は分かっていた。何故なら自分たちは今「裏の顔」を曝し合っている状態で、相手は僕のことを別の誰かだと思って話しかけてきている。
言葉を返せば、それで僕がその誰かではないことが伝わってしまうかもしれなかった。
しかし、―――不思議なことに、その相手は僕をその誰かと勘違いしたままだった。
「〈
「……ふぅん?」
「……あまり驚かれないのですね?」
しまった。反応を誤ったか? きっとこの相手は、僕がその知り合いじゃないと分かれば、何らかの制裁か報復を下すだろう。僕に騙すつもりはなく、向こうが勝手に勘違いしてきたんだとしても、一番最初にそれを否定しなかった僕のほうに非があるのは間違いない。
内心の焦燥を気取られないように、僕は極力顔を動かさないようにして、相手の次なる反応を待った。
「……いえ、貴方のことですから、既に仔細御承知だったのでしょうね。ともあれ、私は主人の命により貴方を探し、合流するようにと言われております。私どもが共に在れば、向こうも合流できやすいでしょう。よろしいですね?」
「……ああ、分かった」
相手の言葉には、とても「断る」と言えるほどの猶予はなかった。それだけ逼迫した状況を向こうは抱えているのだと受け取れたので、この場は素直に肯くしかないと思った。
しかし困ったことになった。このまま彼を誤魔化しながら「知り合い」を演じ続けても、何れぼろが出るのは目に見えている。だって僕は、相手の名前も分からなければ、相手の主人という人がどんな存在なのかも分からないのだ。
仮に彼ひとりをどうにか騙せたとしても、その主人まで騙せるとは思えない。もしもその主人という人とこのまま合流でもしてしまったら、確実に僕は消されるだろう。
この危機的状況をどうするべきか分からないまま、僕らはひたすら裏の道を歩いた。
†
さて。
本来在るべきものが無くなってしまった、静寂の邸に、訪れる影がひとつ。
『 』
ヒュ、という風を切る音、キン、という小さな金属音、ぎぎぎぎ、と音を立てながらゆっくりと開く大扉を抜け、コツ、コツ、と足音を立てて進入する。
『誰もいないの』
テーブルの上には火の灯されていない燭台がひとつ在るだけ。出迎えてくれるものもいない。
背後で、大扉がゆっくりと閉まり、残るのは耳が痛いほどの静寂。
『 』
自分の呼吸の音さえ、うるさく聴こえてしまうような。
そんな静けさの只中にあれば、突然視界が遮られたとしても、もしかしたら驚きも動揺もしないのかもしれない。
『だ~れだ♪』
両手で視界を遮られ、背中に密着するように寄り添われ、耳元で小さく囁かれても、それは一切微動だにしなかった。
『……あれ? 反応がない。もしもーし?』
目を塞いでいた手を肩に付いて、頭上から人の顔が逆さまに降りてくる。その緑色の瞳や、金色の髪を見ても、それはやはり口を開かない。むしろ逆に、それの顔を改めて見た相手のほうが、何かに気づいたように眉を跳ねた。
『むむ? むむむむむ……』
ふわりと浮き上がって、逆さまに浮かんだ状態で、脚を組み、腕を組み、じっとそれの顔を見つめ、やがて首を傾げ、反時計周りに回転して、トッ、と降り立った。
『だれ?』
『こっちのセリフだけど?』
『ボクはお留守番。あなたは?』
『わたしは……うーん、お客さん、かな?』
互いに互いの顔を見つめて首を傾げること数刻。
『まお……ご主人様なら、今ちょっと留守にしてるよ? あらすとるが連れて行っちゃったから』
『そうなの? というか、此処にはわたしの、……お兄ちゃん?の気配を辿って来たんだけどね?』
『お兄ちゃん? ウーンと、誰だろう? でも、たぶんその人もまお……ご主人様と一緒じゃないかな。ボク以外の人はみんな行っちゃったよ?』
『なんだ、そうなの。それじゃあ……えーと、どうしようかな』
それが此処に到った理由は、この屋敷の主人に会うためではない。
それはただ、自分が唯一知っている気配を辿ってきただけだ。
もしも。
もしもそれが、“もうひとりの自分”の気配を探ることができたら。
この物語の結末は、もっと早く、もっと静かに、冷ややかなものを迎えられただろう。
しかしそれはもしもの話で、現実はそう巧く動かない。
『……うん、向こうが遮断しない限りは、まだ追えるかな。じゃあ、わたし行くね』
『うん! またね!』
笑顔で手を振り合い、ひとりは門の外へ、ひとりは門の内に残り、そこでこの偶然だが必然的な邂逅は終わった。
交わした言葉こそ少なく、またお互いに腹の内を隠しての接触だったが、この遭遇劇が後の展開を左右しうることを、今はまだ、誰も知らない。
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