第46話 Devil's Way, Cross with Demons/1

    †


「……まぁ、できないことはないんじゃないかな」


 長い沈黙のあとで、臣也はそう切り出した。


「姿を眩ますこと自体はそんなに難しいことではないと思う。確かに、今街は厳戒態勢だし、たくさんの大人たちが捜し回ってるけど……必ず“見落とし”があるだろうからね」


「“見落とし”? 刑事たちが何を見落とすってのさ?」


 隣に座るトーヤが、卓の上に寝そべるように両手を投げ出した姿勢のまま、首を傾げて彼を見上げる。


「俺は今日、色々あって街の端から端まで移動することになったんだけど、そのときは刑事はおろか組の構成員とも鉢合わせにならなかったんだ」


「んー……まぁ、そういうこともあるだろ。動員できる人数には限界があるし」


「お嬢は昼過ぎに現場を見て、そこからしばらく路地裏を見て回ったって言ってたでしょう? その間、誰かと会いました?」


「いや……会ったのはそこの黄桜って奴くらいだな。なんか大通りのほうに人だかりが出来て―――」


 そこまで言って、トーヤはぱっと身を起こし、バン、と卓を叩いた。


「“人の中”か!」


「そういうこと。相手は別にかくれんぼしてるわけじゃないから、物陰や建物の中に潜む必要はないんだ。人混みに紛れてしまうほうが、むしろ


 桐生親子が感心したように目を丸くするが、鬼麟はまだ首を捻っており、黄桜はにこにこと煙管を吹かしていた。


「だから―――っと、ん、ショウからだ。何かあったのかな?」


 胸ポケットの中から震える携帯を取り出し、ディスプレイに表示された名前を読み上げる。


「紫緒ちゃん、目を覚ましたのかしらね」


「もしもし? ―――ショウ? どうし―――何だって?―――分かったすぐ行く。今何処だ、場所は―――ダメだ、お前はそこでじっとしてろ。続きは会ってから話す、とにかく、動くなよ、いいな。……なんてこった」


 一頻り通話をした後、臣也は一度天を仰いだ。


「どうした? 何かあったのか?」


「―――紫緒が攫われた。若い女三人組に襲われて、何処かに連れ去ったって……」


 項垂れ、深く息を吐く。


「いや落ち着いてる場合かよ!? さっさと立て、場所は何処だ!」


「家から歩いて10分の住宅街だ……俺は取り乱してはいない、状況を整理するんだ……それから皆に指示を出す……」


 低く震える声で、臣也はブツブツとうわ言のように繰り返す。


「桐生さん、すみません。我々は急用が出来たのでこれで失礼します。お嬢、キヨさん、行きましょう」


「あ、ああ……」


 立ち上がり、一礼し、コートを取り上げて踵を返し、駆けるような足取りで店を出て行く。



    †



「まずは家に戻る。お嬢と俺は装備を、キヨさんは救護箱をお願いします。ショウが怪我を負っているようなので」


「ええ!」


「で、そのガキを攫っていった奴は何処のどいつだ?」


「詳しいことは分からない。でも女の三人組だったって。……それならがある。キヨさんを狙ってた奴らだ」


「キヨばあを? なんで?」


「それは……分からない。とにかく、今は急いでショウのやつと合流しましょう」


 臣也の脳裏に、兄の言葉が掠めていく。



    †



「おやーぁ? 何かあったのかなーぁ?」


 店内の一角で、足早に出て行く一団を見送る少女たちがいた。


「……じゃないだろうな?」


 白い髪の少年が苦い顔で言うが、少女のひとりはけろっとした顔で、


「何が? 何で? ウチらはトモくんにしか用ないんですけどぉー」


「……気安く呼んでんじゃねーぞ」


「なぁんでーぇ。あたしのことも鬼雛キッス☆って呼んでよーぉ」


「チッ……白けるぜ」


 少年が席を立つと、少女たちも揃って席を立った。


「付いて来る気かよ?」


「とーぜん。用があるって言ってるっしょーぉ? 別にウチらは歩きながらでもへーきだし。ね? 鬼濡キヌー☆」


「あ、はい……」


 黒髪眼鏡の少女は、少年に寄り添うというよりもぴたりと張り付くようにして並び、押し付けるでも引っ張るでもなく、オドオドとした様子で陰のように少年の脇に立つ。

 少年が距離を取ろうと一歩を踏み出すと、まったく同じタイミングで同じ歩幅の一歩を踏む。


「おい……」


「あはは~、鬼濡に気に入られてんだ~。あ、先行ってていいよ~、お会計はこの鬼鉦キセイさんがしておくからね~」


 領収書をひらひらと振って、金髪の長身がひとりでレジのほうへ向かう。金は持っているのかと気になったが、彼女の手には分厚い革の財布が握られている。心配はなさそうだ。


「あっはは♪ だーいじょぶだよーぉ、お金ないトモくんに集ろうなんて思ってないってーぇ」


「そォかよ……」


 実際、少年に手持ちの金はない。ポケットは空だ。この喫茶店が「後払い」のシステムだったのは不幸中の不幸だ。もし彼女たちが来ていなければ、少年には「無銭飲食」の罪過も科されることとなっただろう。


「悪いな、助かったよ」


「えぇー? そーんな思ってもないこと言っちゃってーぇ……でも、ちゃーんとお礼言えるのって、イイコトだよねーぇ♪」


「そォだな……行くぞ」


 会計を済ませて金髪が戻ってきたところで、白髪の少年は松葉杖を衝いて先を行く。そのすぐ後ろを黒髪眼鏡が歩調を合わせて付き従い、金髪と茶髪が後に続く。


「行くぞって、ドコ行くか分かってんの~?」


「お前らが知ってるだろ?」


「……まーぁねーぇ♪」


 白髪の少年を中心にして、彼らもまた夜の街に消えていく。



    †



「さて……我々はどうしましょうかねぇ」


 三人が慌ただしく出て行ったテーブルで、四人は暫し呆けたような空気に包まれた。

 卓上に残された少年の写真を手に取り、紋付の男性は顎を撫でながら唸る。


「うぅむ……長柄谷ながらやの倅はあの歳で若頭として積極的に親父殿を助けていたと聞いていたが」


「そうなんすかー。桐生さんとはずいぶんとタイプの違う若者っすねぇ」


「あやね、学校での彼はどんな風だった?」


 写真を渡された少女は、眉尻を下げた心配顔で父親の質問に答える。


「うぅん……クラスも違うし、実のところあんまり顔を合わせたことはないの。でも、非行に走ったようなことは聞いたことないかな。遅刻とか早退はしてたみたいだけど、おうちの都合ってことで大目に見られてたみたい」


「あれあれ……? 意外と桐生さんと似てるかもしれないぞ……?」


 少女の横から写真を覗き込む。黒髪、長身でもなく、太っても痩せてもいない。写真に撮られることがあまり好きではないのか、やや不機嫌そうな表情で、ピースなどもせず、視線も横に流れている。ブレザー型の制服はボタンを全開にし、シャツも第一ボタンが外れていて、ネクタイはさらにその下で緩く結ばれている。

 一見すると擦れた不良生徒にも見えるが、これくらいの弛緩は普通にあることだ。髪型も普通だし、顔面や手指、首周りなどに装飾の類は一切ない。特筆すべき優等生でもないが、劣等生でもない。極めて一般的な生徒。


「ふーん……あんま友達いるタイプじゃなさそうだね」


「うぅん、どうでしょう……確かに、ひとりでいるのを見かけることが多かったような気もしますけど」


「まぁ、彼は長柄谷の後を継ぐという未来が定まっていたのだから、学校などはただの通過点にすぎなかったのだろう。ワシも似たような学生時代を過ごした覚えがある」


 会話が途切れる。沈黙の中で、かさり、かさり、という紙の擦れる音が響いた。


「えーっと、黄桜さん、でしたっけ? さっきから何見てるんすか?」


「え? あぁ、これは……ある方から、捜し物を頼まれていましてね。そろそろこちらのほうも取り掛からないとなぁと思いまして……あ、そうだ」


 紙の資料を捲っていた黄桜は、ふと手を止めて、桐生親子に視線を移す。


「警察に行きませんか?」


「は? ……警察、ですか?」


 三人がぽかんとする前で、黄桜はぽんと手を打った。


「そうだ、そうしましょう。いやー実はかれこれもう5時間は捜してたんですが、どうもこの辺りは地理にも疎くて中々難儀していたところだったんですよ。桐生さんが一緒なら向こうも話くらい聞いてはくれるでしょうし、是非ご一緒して頂きたいのですが」


「それは、まぁ、別に構いませんが」


「よかった! では早速参りましょう。あ、お会計ならご心配なく、私が払っておきますので」


「え、いや……というか、今から向かうんすか!? もうこんな真っ暗っすよ!」


「おや、警察に“営業時間”なんてありませんよ? 24時間どんなときでも困っている市民を助ける、それが警察というものです。そして我々はなんとその困っている市民そのものなのです。普段私ひとりだったらハッタリかまして欲しい情報をところですが、桐生さんたちが付いて来てくれるなら、便話し合いで済ませられると思いますよ?」


「え、なんか怖い……」


「いや……警察にはワシも少しばかり用がある。後日暇を見てと思っていたが、早く済むならそれに越したことはない。あやね、お前は―――」


「私も行く」


 父親の言葉を遮って、娘は既に荷物を肩に掛けて立ち上がりながらそう言った。


「――……分かった」


「えぇっ、止めなくていいんすかお父さん!?」


……」


 どこか寂しさの見える諦めたような笑みで、男は嘆息して呟いた。

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