第27話 EXciting Butler./2

 †††   †††


 初動は、静かなものだった。

 侵入する際に叩き割られたステンドグラスの破片を踏むジャリ、という音が、数歩分鳴った。

 動いたのは執事バトラーだ。それも当然、対峙する男たちは皆得物を奪われている。替えの得物も根こそぎ奪われ、窮していると言えた。

 窮鼠猫を噛む、という言葉がある。追い詰められた鼠は、最大の敵である猫に対して牙を剥くことも。

 男が凄絶な笑みで懐に手を突っ込んだのも、まさにそんな心境だったに違いない。


 だがそれも、無駄なことだ。の前では、仮初めの勇気など何の役にも立たないのだ。


「―――“”」


 男が懐から小さな拳銃を抜き出し、引き金を引くと同時、執事バトラーの言葉が響く。

 カチン、と小さな金属音がして、―――しかし、それだけだった。


「―――? な、なんだ、どうなってる……!?」


 その後も男は何度もカチンカチンと引き金を引くが、出るべきはずのものは一向に出ないままだ。

 ジャリ、と、執事バトラーの一歩が男たちへと距離を詰めていく。


「―――“”?」


「ぅ、ぐ……ッヒ!?」


 男は何かを言おうとし、―――言葉が詰まり、干上がった喉が変な呼気を漏らしただけだった。

 男たちの引き攣った顔を、執事バトラーは薄い笑みで見上げるように睨めつける。


「―――“”」


 手指に挟んだ銀の刃物ナイフが、ゆらりと揺らぎ、その切っ先を男たちへと突きつけた矢先、


「―――“”?」


 執事バトラーが腕を振るい、刃物ナイフは銀光を後ろに置き去りにする速度で、男たちの胸元の中心に、音もなく突き立った。

 否、風を切るキュン、という音が、後から響いた。


「―――は」


 男はひとつ呼気を漏らし、己の胸元に突き立つ刃物ナイフを認める前に事切れた。血飛沫のひとつも上げず、男たちは糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

 後に残ったのは、今さらながら空気との摩擦で熱を帯びた刃物ナイフの切っ先が赤熱し燻り上げる、細い白煙だけだった。


「皆様の魂の裁きも、何れ冥王様が下してくださるでしょう」


 執事バトラーは神に祈ることはしない。己はただ主に仕える執事でしかないのだ。即ち、己が神と崇めるものは、その方を措いて他には不要なのである。


「助かったよ……と、言うべきなんだろうね、ここは」


 振り向けば、死神が《魔女》の腕の中で身を起こすところだった。

 執事バトラーはそちらへと歩みながら、緩く首を振り、


「いいえ、これも我が主の望まれたことですので。御礼であれば、主人に直接どうぞ。そのほうがあの御方もお喜びになられます」


「そう……なら、そうするとしようかな……直ぐには、無理だけど」


 死神は己の胸を強く抑え、苦しげに呼吸を繋げている。執事バトラーはそんな彼の足元に膝を付き、表情無く彼を見つめた。


「……痛みますか?」


「嗚呼……これが“生の痛み”というやつなんだろうか? これから逃れるためなら、人間が自ら死を選び求める理由も、なんだか分かる気がするよ……」


 死神の言葉を聴き、無表情を貫く執事バトラーの、紫に煌く瞳から、一筋の涙がこぼれた。


「……ゼロ? ……泣いているのか」


「いいえ―――これは、“我が主”の流した涙です、死神様。“レディ”は今の貴方をとても憐れんでいらっしゃいます」


 分かりますか?、と執事バトラーは問いかけた。


「死神様―――貴方がに戻らぬ限り、“我が主”はこの涙を流し続けることになるのです」


    †


 言葉というのは、ここまでの傷を負わせるものなのかと、僕は顔を顰めた。

 これを当人の口から聞かされずに済んでよかったと、何処かでほっとした部分があった。もしそうなっていたら、僕はその場で十遍でも百遍でも自らの死を繰り返しただろうから。


「分かった……もし戻れたら、ちゃんと謝りに行くよ。……もし、戻れたら、だけど」


 歯切れが悪くなるのを、仕方ないと片付けるしかない。

 そんな僕の様子に、ゼロは軽く首を傾げ、訝しむように、


「死神様、とは思いましたが……まさか“お戻りになれない”ので?」


 ゼロの詰問に、僕はその事実を終に認めるしかなくなった。


「ああ、そうだ……僕は、もうでは死神に戻れない」


 奴らが現れて、何度もそれを試みた。大鎌レイヴァーンを呼び出そうともしたし、半身ヒュプノスと繋がろうともした。けどどれもダメだった。上手くいかない。


「死神様の全権は、冥王様がお預かりになった後、死神様の弟君に貸与されたと聞きましたが……」


「そうなの……? なら、向こうでも何か起きてるんじゃないかな……」


 ゼロの瞳が、紫に明滅する。彼の“主”が彼に干渉しているのだろう。


「―――私ひとりでは、おひとりをお運びするのが精一杯ですので、まずは《魔女》様を保護したいと思いますが」


「ああ、それでいい……彼女を頼んだよ、ゼロ。君の“主”にも、そう、伝え、て―――」


 さすがに限界が来たみたいだ。

 意識が遠のいていく。視界が闇に落ち、何も見えず、聴こえなくなっていく。

 僕はそれを“心地よい”と思ったので、素直に意識を手放すことにした。



    †



『……死神さん? 死神さん! しっかりしてください、死神さん……!』


 目を閉じ、眠るように意識を落とした彼を、《魔女》の少女が恐慌し揺すぶる。

 執事バトラーが手を伸ばしてそれを制止し、彼の身体を抱え、長椅子に横たえた。


『……死んでしまったんでしょうか』


 少女がぽつりと言葉をこぼす。ひとつこぼした後は、もはや止め処なく言葉が溢れる。


『私、私のせいで、あんな、あんな状態で、無茶して、わた、私を守って、な、なのに、私、わた、し……!』


 少女の瞳から、ぽろぽろと雫が落ちる。それを宥めるように、あやすように、執事バトラーは静かに言葉をかける。


「彼は大丈夫です。今は、少し眠っているだけですよ。大丈夫、しばらくしたら、目を覚ますはずです。落ち着いてください」


『は、はい……あの、私、あ、あの……』


 少女は、慌てた様子で零れ落ちる涙を拭い、止めようとするが止まらない。

 無理もない。追われ、命を狙われて、長いこと張り詰めていたものが弛んだのだ。

 執事バトラーは懐から白いハンカチを取り出し、少女に差し出した。


「どうぞ、お使いください」


『あ、ありがとう、ございます……』


 涙を拭い、ひりつく喉に塩辛いものを嚥下して、少女はようやくその身の震えを治める。


『っは―――……ふぅ。すみません、私、取り乱してしまって』


 目元を赤く腫らしながら、それでも幾分すっきりしたような顔で、少女は白いハンカチを丁寧に折り直して執事バトラーへと返却する。

 彼はそれを受け取り、懐に収めてから、改めて少女へと手を差し出した。


「では参りましょうか、“お嬢様レディ”。お手を拝借」


『え……あ、でも、死神さんは……?』


「ご心配なく、貴女を送り届けましたら、彼もすぐにお迎えに上がりますので。さぁ」


『え、と……はい』


 腰を屈めて差し出された手に、少女はおずおずと自分の手を載せる。

 少女がその手を強く引かれたと思ったときには、彼らの姿は廃教会から消えていた。


    †

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