第20話 Go Straight On./3
わたしは まっていた。
いつのひか わたしを みつけてくれる さいあいのひとを。
わたしは まっていた。
いつのひか かわした やくそくが はたされるのを。
わたしは ただ ひたすらに まちこがれていた。
†
「ったく……あんなにそばを離れるなって言ったのに……」
昼過ぎ。三階層からなる広大な総合ショッピングモールで、臣也はひとり、携帯を片手に立ち尽くしていた。
傍らには、陶器の皿を包んだ新聞紙の塊や猫用の餌やトイレやそれ用の砂や……その他諸々の「猫を飼い始めるに当たってとりあえず買い揃えておいたほうがよさそうなもの」を、店員の案内に従って手当たり次第買った大きな荷物が積まれている。
この大荷物を持って、この広大なモールを、はぐれた二人を探して歩き回るのは流石に難しかったため、現在はモールの警備に相談して館内放送を掛けてもらっているところだった。
ただ、待ち合わせを「最寄の迷子センター」ではなく、現在臣也が立ち尽くしている「モールのほぼ中央に位置する吹き抜け」に指定したため、合流は大幅に遅れることが予想された。
「ま、あの二人のことだから特に心配はしてないけど……」
このモールへ買い物に来たのは臣也を含めて三人。ショウと紫緒だった。キヨには役所や保健所、動物病院など、諸所の手続きに行ってもらっていた。
というのも、この“家族”の中で唯一「まともな戸籍情報」を持っているのは彼女だけなのだ。つまり、「書類上有効な印鑑」を持っているのも彼女だけなのである。
「やっぱ、こういうときはちょっと不便感じるよな……」
迷子の呼び出しも一般的なものと違い、ただ名前を呼ぶだけなので、当人たちが気を向けていなければ気付かない可能性のほうが断然高い。
「ショウの奴は携帯を持ってるから、何かあれば連絡してくると思うんだけど」
今のところ、連絡はない。むしろ心配なのは紫緒のほうで、彼女はまだ小さい上に、携帯を持っていない。そのため、ショウには「絶対に目を、いや手を離すな」と厳命してあった。だから、二人は一緒にいるはずだ……と思っている。ショウはあれで、言い付けは守る男だ。
「こっちから探しに行ってやれればいいんだけど」
横目でちらりと大荷物を見て、苦笑する。少し買いすぎたような気もする。何と言っても、ペットを飼うのは初めてのことだ。分からないことだらけなので、殆ど店員任せに買った節は否めない。
「ご飯や爪とぎなどは猫ちゃんにも好みがあるので、どれがいいというのはこちらではちょっと判断しかねるんですね~。なので、初めはいくつか種類に幅を利かせてあげたほうがいいかもしれないですね~」
などというセールストークにまんまと引っ掛かってしまった。重い荷物に対して、懐は大分軽くなって、なんとなく頭が重い。
「こりゃ、今月はもう節約節約だな……」
吹き抜けとなる縁に背を預け、はぁ、と溜め息をひとつ。
そういえば、お嬢はそろそろ起きた頃だろうか――そんなことを考えていた矢先。
「―――っと。キヨさんからだ」
手に持っていた携帯が震える。見ればキヨからの着信だった。何かあったのだろうか? 通話ボタンを押して出る。
「もしもし、キヨさん? 何かありました?」
返ってきた答えは、しかし意外なものであった。
『――やぁ、君が臣也くん、かな?』
聞き覚えのない、男の声だった。喉が干上がり、周囲の雑音が遠ざかるのを臣也は感じた。
「……誰だ、あんた」
やっとのことで、声をひねり出す。心臓の鼓動が、耳のすぐ近くで聞こえる。
『怪しいものじゃない――と言いたいが、むしろその通りでね。この携帯の持ち主、月代キヨの身柄をこちらで預かっている』
「誘拐か……? 目的はなんだ。何故キヨさんを狙う……!」
じりじりと、焦がされていく感覚。首から血の気が引き、胃の辺りに鈍い痛みがあった。
『言う通りにしてくれれば、彼女に危害を加えるつもりはない。今から言う場所に、ひとりで来てもらいたい。いいか? ひとりで、だ』
男のやけに落ち着いた声が、臣也自身にも冷静さを齎しているように感じた。
男は変声機の類は使っておらず、周囲の音もクリアに拾えている。よく耳を澄ませば、男がどこにいるのか、目星くらいは付けられそうだが、モールの雑音が邪魔で侭ならない。
「待ってくれ。こっちは今買い物途中で、荷物が山ほどあるんだ。一度家に帰らせてくれ、準備が出来次第こちらから改めて連絡する」
誘拐犯との交渉では、とにかく時を稼ぐのが第一だ。目的となる人や物が出てこなければ、誘拐犯は「誘拐した人物」に手出ししにくくなる。
『―――ダメだ。荷物はそこに置いていけ。家に帰ることも許さない。今すぐに向かうんだ、いいな』
「しかし――」
『月代キヨがどうなってもいいのか?』
言葉に詰まる。冷や汗が流れ、呼吸が覚束なくなる。
『……さっきも言ったが、言う通りにしてくれれば、彼女に危害を加える気はない。……分かるね?』
子どもに言い聞かせるように、一言一言に間を置いて、ゆっくりと告げる。その声はひどく平坦に聞こえ、臣也には「言う通りにしなければ、今すぐ殺す」と言われているようだった。
「……分かった。あんたに従う」
臣也は、そう答えるしかなかった。ショウと紫緒がこの場にいなかったのは、むしろよかったのかもしれない。横目で大荷物を見ながら、臣也はそう考えていた。
『いい返事だ。では場所を伝える。いいか、くれぐれも余計な真似はしないように。相手は私と違って穏便に話して済む奴じゃないからね』
「……? どういう意味だ、あんたが会いに来るんじゃないのか」
『まさか。私が会うだけだったら、こんな回りくどいやり方はしないさ。……今のは余計な会話だったな、忘れてくれ。いいか、場所は――』
†
「……あれ、臣也のヤツいねぇじゃねェか」
それからしばらくして、ショッピングモールの吹き抜けにはショウと、その背に負ぶわれた紫緒が姿を見せていた。歩き疲れ、待ちくたびれ、ぐずつき始めた紫緒をおんぶして宥めていたらそのまま眠ってしまったのだった。
放送を聴いてこちらに出向いたわけだが、肝心の臣也の姿はなかった。代わりというように、大型のショッピングカートに猫用品が山のように積まれ、取っ手に車の鍵が引っ掛けられていた。
「あいつ、なんかあったのか……?」
携帯を取り出そうにも、背負った紫緒が邪魔だ。揺すってみるが、起きる気配はない。
「しょうがねぇ、帰ってからにするか……」
ショウは溜め息をひとつ吐き、ショッピングカートを足で乱暴に移動させる。
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