第3話 Voltaic Order/1

    †


 深夜。明かりの絶えない駅前繁華街の、雑踏の中。終電も過ぎて、あとはタクシーか呼びつけた知り合いの車か、或いは徒歩での帰宅を選択した連中が蠢く中で、その少女はひとり突っ立っていた。

 どこかの高校のブレザーを着ていることから、歳の頃は16か17。この辺りでは見ない制服だ。おそらくは電車を使っての通学。放課後、家に帰らず遊び呆けていたのだろうか。

 少女はちらりと、己の右手首に嵌めた細身の腕時計を見る。それから、駅前の雑踏に目を向け、左から右へ眺めて、はぁ、とひとつ息を落とした。誰かと待ち合わせでもしていたのか。

 少女は足元に置いていたバッグを肩に提げると、とぼとぼと歩き出した。駅前の明かりから逃れるように、その足は細い路地へと向かっている。


 と、少女の前に立ち塞がる影。


「お嬢ちゃん、ひとり? 危ないよぉこんな夜中にJKの一人歩きは」


 にやけ顔で下卑た笑いを漏らす、数人の若者。少女は後ずさるが、背後にも影が覆いかぶさる。少女は囲まれていた。


「……どいて」


 その表情には明らかに怯えが見られたが、それでも少女はキッと正面に立つ男を睨み、その横をすり抜けようとする。


「おっと、まぁ待てよ」


 男は、そんな少女の腕を掴んで、その歩みを止める。


「放して! 放してったら!」


 少女は抵抗するが、するだけ無駄だった。男は拘束を解こうとはしない。


「おーおー威勢のいい嬢ちゃんだぜ。ますます気に入ったなァ。へへ、なぁ嬢ちゃんよ、俺らと朝までエンジョイしようぜ? ひゃはははは!」


 男はにやけ面を少女に近づける。酒と煙草と制汗剤の混じった悪臭が、少女の顔を歪ませる。


「んんっ……誰か!」


「誰かぁ? 助けてぇ! ってかぁ? 誰か来ないかなぁ? 誰も来てくれねぇなぁ? っへへへへへ」


 男の手が、少女の顎を掴む。


「いや……」


「ンンー! 嫌がる顔もカワイイねぇ! ますます萌えちゃうなぁ、んっふふふふ」


 男の顔が近づく。少女は顎を掴まれており、逃げることはできない。


「いや……っ!」


 少女は目を閉じ、必死に抵抗する。目尻から涙が零れ落ちる。


「――おい」


「ぁあ? ――ぐばっ!?」


 ジュン! というと共に、少女の顎を掴み、迫っていた男が真横に吹き飛んだ。ガシャア! と激しい音を立てて、シャッターにぶつかって落ちる。

 少女が目を開けて、男が吹っ飛んでいったほうとは逆のほうを見ると、雑踏の光を背後に、別の男が立っていた。


「彼女嫌がってるだろぉ? 無理やりはよくねーなぁ」


 左手を右の肩に当て、回す。ゴキゴキン! という骨の鳴る音が響いた。同じようにして首を左右に捻り、両腕を伸ばし、上体を反らし、腰を左右に捻り、前屈をし、膝を曲げ伸ばして、その都度バキバキと全身の骨を鳴らしていく。


「ンン――ッ! おーいて、やっぱコンクリの上で直接寝るのは止ぁめといたほうがよかったなぁ」


 その場で軽くぴょんぴょんと飛び跳ね、更に身体を動かしていく。と、最初に吹き飛んだ男が、ヨロヨロと立ち上がってきた。


「て、テメェ……なにしやがんだ、ゴラァ!」


「あぁん? お前がいたいけな女の子泣かしてたから止めてやったんだろバァカ!」


 目を丸くして新しくやってきた男を見ていた少女は、ようやくそれが自分の味方をしてくれるものだということに気付き、その背に隠れるようにしがみつく。


「おぉぅ、 結構積極的……」


「た、助けて! こいつら――」


「分ぁかってるって、皆まで言うな。おい、お前ら!」


 男が少女を庇うように一歩を踏み出す。若者たちはそれぞれに拳を構え、一戦を交える覚悟だ。男は少女の前に左腕を掲げると、その手で少女の左肩を掴み、そのままくるりと一回転して少女の背後からその肩を抱く。


「えっ――」


「っというわけで、この子はボクが頂きまぁすっ! はい、解散っ!」


 数瞬。ぽかんとした空気がその場を支配する。


「何がというわけでだこの野郎ッ!」


 激昂した若者のひとりが男に向かってその拳を振るう。少女は身を竦め、男の手から逃れようともがく。が、


「――任せて」


 耳元で男に囁かれ、少女は別の意味で身体を竦める。

 男は再び少女の肩を支点にくるりと身を回して、その勢いのまま裏拳を飛び掛ってくる若者の横っ面にブチ当てる。


「ごばぁッ!?」


 バチィ! と鋭い音を響かせて、若者が真横にブッ飛んでいく。

 若者たちは一斉に身を引くが、そうさせたのは若者が吹っ飛んだことではない。


 若者を吹き飛ばした男の拳が、のだ。


「ひィ……!? な、なんだテメェ……ッ!」


 若者たちは腰を抜かし、クモの子を散らすように方々に逃げた。


「――っとと。ちょぉっとやりすぎちったかな」


 てへへ、と笑う男は、手を振って纏わり付く閃光を払う。


「……あ、あ、あの」


 驚きに声を失っていた少女が、ようやく口を開く。


「お? あぁ、そうだったそうだった。キミ、大丈夫? 怪我とかしてない?」


「あ、はい……」


 男は心配そうに眉尻を下げた顔で、少女の顔を左右や上下からじろじろと見る。


「あ、あの……助けていただいて、ありがとうございました」


「ん? あぁ、いいっていいって。、どうも彼氏って感じじゃなかったからね」


 ずぅっと……? 少女が疑問に首を傾げるが、男はそれに気が付いていないようだ。男はピッと人差し指を立てると、それを左右に振りながら、


「そ・れ・よ・り! あいつじゃないけど、女の子の一人歩きは危険だよ? 今帰り? バイトか何か?」


「あ……いや、そういうわけじゃ……」


「じゃあ夜遊び? あ、もしかしてデートの帰りとか!」


「いや、うぅん……」


 少女は返答に窮した。実際、今夜はデートの予定ではあったが、肝心の相手が待てど暮らせど来なかったのだ。少女が応えないでいると、男はきょとんとした顔で少女の顔を覗き込んだ。


「どうしたの? あっ、何かマズいこと訊いちゃった?」


「いや、あの……」


「ごっめーん! ボクってばさぁそういうでりかしー? ないんだよねぇー! そのせいで店は追い出されるわ電車は乗り遅れるわタクシー乗る金もないわでさぁ、もうどうしようかなって感じでさぁー」


 男は訊いてもいないのにベラベラと喋り出す。危ないところを助けてもらった手前、無視するというわけにもいかず、少女は困惑しながらもその話を聞かざるを得なかった。


「お家、この辺じゃないんですか?」


「うん? んー、まぁ歩いて帰れない距離ではないけど、着く頃には朝になっちゃうだろうなぁーと思ってさぁ。仕方がないからその辺で野宿でもするかーって、さっきまでちょっと寝てみてたんだよねぇ」


 そしたらキミらが騒いでてさ、と続く男の言葉に、少女は慌てた様子で頭を下げる。


「ご、ごめんなさい! 人が寝てるとは思ってなくて、私……」


「いいっていいって! ボクでもそんなことは思わないよぉ! やだなぁ、別にキミを責めてるわけじゃないってー!」


 男は両手を前に突き出して振り、少女はおずおずと顔を上げる。


「あの……お礼と言ってはあれなんですけど、もしよかったら、ウチに来ませんか?」


「えぇっ! いいよ、そんな! ご両親になんて説明するのさぁ!」


「いえ。私、アパートに一人暮らしなので」


「えっそうなの?」


 男はびっくりした様子で、少女の顔を見る。少女は少し苦味のある笑みで、


「ぼろ屋ですし、狭いところなんですけど……よかったら」


「ほんとー!? いや助かるよー! 朝になったら死んでたんじゃないかってくらいさぁむくってさぁ!」


「ふふ……じゃあ行きましょうか。こっちです」


 少女はしきりに「ありがとー!」と礼を言う男を連れて、線路沿いの路地の暗がりを歩き出す。


「あ、私、桐生きりゅうあやねって言います。あの、あなたは?」


「ボク? ボクはキリン。『鬼』に『鹿』の『粦』で鬼麟キリンって言うんだ。よろしくね、桐生さん」

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