第2話 Night Bullet/2

    †


 黒いシャツに黒いズボンという全身黒づくめの男・臣也は、さらに濃い灰色のコートと同色のハット、ツヤ消しサングラスと、更に妖しい出で立ちで、明け方の静寂に包まれる街道を歩いていた。

 右手に銀色のアタッシュケースを提げ、左手ではモバイルを弄りながら、目的の場所へ向かって歩いていく。

 彼に数歩遅れる形で、黒のタンクトップにブルージーンズ、さらにその上から丈の長いベージュのコートを引っ掛けただけの、スラリとした長身の女性・トーヤもまた、彼について歩いていた。

 彼女は前を行く灰色の男にうんざりと溜息を吐いて、


「ねぇ、臣也……あなたの趣味に口を出すつもりじゃないけど、その格好は何? あなた、地方局番ローカルに出てくる古い探偵ディテクティブみたいよ」


 うんざり口調に苦笑を混ぜて言う彼女に、臣也は振り向かずに答える。


「別に。いつもの格好だろこれ? 俺はむしろ、“お嬢”がそんな軽装なのが信じられないよ」


 分かってないわねぇ、とトーヤはやれやれ口調で言い、


「私にはがあれば十分……そうでしょ? Mr.グレー」


 コートの懐から、両手で抜き出したのは、大口径のマグナムだ。銀色で統一された装飾には“切り札”を意味する言葉が綴られている。

 Mr.グレーは特に慌てる様子も無く振り向き、


「俺はそんな名前じゃない。あと、こんな街中でソイツを抜くなよ。しょっ引かれても知らないぞ」


「大丈夫よ。この時間、街はまだ眠りに就いているもの。……心配性は相変わらずね、臣也?」


 クスクスと笑う彼女に、そんなんじゃない、と告げながら、臣也は少しだけ歩みを早める。


「キヨさんのくれた情報によると、もうすぐのはずなんだけど……」


 彼らの棲む家から歩くこと一時間弱、街の外れにそれはある。

 港だ。


「ここに来るのは、夏の海賊退治以来か……」


「そういえば、あなたを拾ったのも此処だったわね。二年……三年前だったっけ?」


「……昔のことだ」


 それきり会話を打ち切って、二人は夜明けの薄闇に埋もれる港へと、足を踏み入れる。



    †


 正直に言って、二人は拍子抜けしていた。

 襲撃という手荒な方法を使ってまでちょっかいを掛けてきて、臣也を取引相手に指名してきた割に、罠や待ち伏せといった小細工がのだ。


「静かね……ひょっとして相手は本当に一人なのかな?」


「どうだろう? これもこちらの油断を誘う策かもしれない。何せ、向こうはこの俺を指名してきたんだから」


「そうね、用心に越したことはない、か……」


 はっきり言って、臣也は組織の中で言えば新参で、かなりの下っ端に当たる。トーヤのように銃火器の扱いに長けるわけでもなければ、ショウのように肉弾戦が得意というわけでもない。“襲撃、そして指名”というリスクに適うだけの人選価値は無きに等しいということだ。


 相手の目的が解らない。


「さて……此処のはずなんだが」


「いないみたいね……どういうこと?」


「俺に聞かれてもな……」


 と、


リィ――――ン……


「! 鈴の音……? どこから――」


「下がれ、臣也!」


 襟首を掴み引き寄せ、強引に後ろへ下がらせ、トーヤは壁となるように立ち、得物を正面に見据え構える。


「出てこいクソ野郎! ブチコロしてやる……!」


 吼え、威嚇として一発上空に撃ち放ち、再び正面を見据える。

 すると、


リィ――――ン……


 やはり澄んだ鈴の音が、辺りに響き渡る。

 音は、乱立するコンテナに反響し、音源が何処に在るのかを解らなくする。


「クソ……ッ!」


 銃は前に構えたまま、左右を注意深く見廻し、一歩一歩、ゆっくりと進んでいく。と、


リィ――――ン……


 澄んだ鈴の音が、至近距離で鳴り響く。と、背後から、


「う、うわ!?」


 臣也の声。トーヤの鼓動が撥ね上がる。己の油断に舌打ちしながら、銃を振り回して振り返る。


「! 臣也! ……ぁ?」


「ててて……」


 トーヤが見たのは、臣也が仰向けに倒れているだけの光景だった。そしてその臣也は、後頭部を抑えながらも、身体を起こしつつある。


「お、おい、臣也。大丈夫か……?」


 周囲への警戒を行いながら、トーヤは臣也に歩み寄る。何処かに傷を負ったわけでもないようだ。少しだけ安堵する。


「あ、ああ……こいつが急に……」


 そう言って、臣也は開いたコートの中、黒いシャツを掴んで引っ張り上げる。

 否、それはシャツではなかった。


「ね……猫ぉ?」


 それは、黒い毛並みの猫だった。



    †


 結論から言うと、今回の騒動は、これだけだった。


 あの後、未だ警戒心を解かないトーヤと共に港を隅々まで見て回ったが、陽が昇る段になっても“取引相手”が現れることはなかったのだ。

 そのことをキヨに報告したところ、その猫を連れて帰ってくるように、とのことだったので、臣也は今、黒猫を抱えて玄関を開けるところだった。


「ただいまー」


 玄関を開け、靴を脱いで上がり場に上がっていると、たたた、と駆けてくる足音と共に、小さい影が飛び出てくる。


「おかえりー!」


 と、いつもなら飛び掛かってくるはずのそれは、その一歩手前で急停止した。

 その視線は、臣也の抱く黒猫に注がれている。


「にゃんにゃん……!」


 ぱぁ、と顔を輝かすと、何かをねだるように両手を差し出す。臣也はその小さな腕に、黒猫をそっと抱かせてやった。


「おばーちゃん見てー! にゃんにゃんきたよー!」


 そしてそれはまた、黒猫を抱きかかえてたたた、と駆けて行った。


「にゃんにゃん、ねぇ……」


 臣也の背後で、テンションの低い声が響く。更にその声には、カチン、という撃鉄の降りる音もついてきた。


「あ、ははは、は……さ、さぁ~て、アイスでも食べようかなぁ~!」


 極力そちらを見ないようにしながら、臣也はそそくさとその場を後にする。

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