やさしさにふれて

藤村 綾

やさしさにふれて。

 美容院が大嫌いだ。記憶を呼び起こしても最終いつ美容院に行ったのかが、まるで、わからない。前髪だけは自分で切り揃えているので、あたかも美容院に行っている感覚にとらわれていて余計に謎めいている。

 腰まで伸びた髪の毛は、まだらに茶色く、先端はほうきみたいに、枝分かれし、束ねている髪の毛を見ると、まるきっし、ほうきそのものに見える。会社の伊藤さんに毎回言われる。

『女子なんだから、髪の毛を大事にしなさい!』と。あたしは、はーい。口だけは素直になるけれど、心中は、別にいいじゃん!見えない唾を吐く。

 失恋したから、髪を切る。気分転換にヘッドスパ(この単語は最近情報誌で知った)に行ってみたり。ある種美容院というところは、ストレス社会の癒し空間なのかもしれない。

 けれど、あたしはどうしても苦手なのだ。

 会社でも後ろで1つに束ね、眼鏡をかけて、まるで、化粧っ気もなく、地味なあたしだ。

 根幹から地味なので、わざと地味にしているのではなく、あたしそのものなので、変えたいとか、コンタクトにしよう、とか、どうでもよくなっている。髪の毛もその一環だ。

 なぜ、美容院が嫌いになったのだろう。

 シャンプーをした後、タオルを巻かれ、鏡の前に座ったときの、自分の顔があまりにもブスすぎて嫌になったのも一理ある。

 シャンプーをするとき、変な機械みたいなものを被され洗濯物みたいに自動で洗われ、

『ちょっとくすぐったいですよー』

業務的に話しかけられながら、行われた自動シャンプーはひどく不愉快なものだった。まるで、MRIにでも入った気分になり、泣いてしまったのだ。MRIに入ったとき怖くって涙したから。それもあいまっての涙。

 いや、そんなくだらないことではない気がする。

 もっと奥深いところに眠る浅黒い過去。なんだろう?なんだったんだろう?

 あたしは、まるでほうきな髪の毛を手で触りながら、パソコンを弄っていた。

 午後1時の就業開始の鐘の音と、共にあたしは、パソコンを起動させた。あたしはDTPオペレーターで、主にスーパーのチラシをオペレーションしている。変わり映えのないチラシに思えるけれど、売価は毎回変わるし、レイアウトも毎回変わる。とても狭いところに、マルちゃん製麺。みそ味、 しょうゆ味、とんこつ味、塩味。などという、長ったらしい単語をうまく配置するのがあたしの仕事だ。自慢じゃあないが、野菜の価格や、季節にちなんだもの、世の中の景気は、ちょっと誇張しすぎだけれど、広告を作っていると経済の流れが一応把握できる。けれど、渦中のチラシの店に一回も買い物に行ったことはない。新聞折り込みにあたしの作成した広告が入ってくると何年たっても嬉しい限りだ。

 「こんにちわー」

 扉が開くのと同時、声がして声の方に顔を向けると、茶髪の女の人が立っていた。

 「あー、りかさん、ちょっと、待ってね」

 会社の伊藤さんが、りかさんと呼ぶ女性を椅子に座らせ、こんなんで、どうかしら?なにやら、依頼されたものを見せている。伊藤さんは男性なのだけれど、中性的というか、おねえ、なんて単語が最近あるけれど、そのくくりにやや入る部類の人で、分け隔てなく、丁寧な言葉を使い、仕事ではきつい口調にもなるけれど、本当に鷹揚な口調の低姿勢な男性だ。デザインセンスは抜群で、あたしが見ても『すごい!』と、ごく自然に声が出てしまうほどだ。

「あ、これ、いいね。二周年記念のチラシさ、いいじゃん!」

「あら、よかったわ」

あたしは、二人の会話に耳を傾けつつ、無心にパソコンを打っていた。

「あ、あちらは、アシスタントの、あやさん」

え、あたしは、顔をもたげ、入り口付近にある来客用の机の方に目をうつした。

ぺこりと頭だけ少し下げ、挨拶をした。

りかさんは、自営で美容院を経営している女性で、伊藤さんの同級生でもあった。

『ミント』という名前の請求書を毎月作成していて、それが、りかさんのお店だったんだ。と、納得をした。名刺、リーフレットに至るまで毎月何かと仕事を依頼するりかさん。そのりかさんの美容院で髪の毛を切る伊藤さん。

『同じ経営者同士よ。持ちつ持たれつだわ』

白い煙を、吐き出しつつ、口にしていたことをぼんやり思い出す。

『あ、そう、そう。ねぇ、りかさん、あやさんは2年以上も美容院に行ってないのよ』

話題がいつの間にかあたしに切り替わっていた。

『え?本当に?どうして?あやさん』

座っていたりかさんが立ち上がり、あたしの方をじっと見つめる。りかさんは、女性目線で見ても、とても綺麗でオシャレな、美容院の経営者そのものに見えた。オーラってやつだ。色でいえば、ピンクがしっくりくる。うん。ピンク。やや間があり、あたしは、口を開いた。

『えっと、美容院が苦手なんですよぅ』

なんで、疑問口調に質問された。なので、

『いやあ、なんか、雰囲気がダメってゆうか、なんかぁ』

はっきりしない、言葉じりに訊いていた伊藤さんが、苦々しい顔をしながら、もう、と、少し苛立ちを見せながら、口を挟んだ。

『もう、りかさんのところに、行きなさいよ。きれいにしてくれるから』

ねえ、りかさん、りかさんに同意を求めた。

りかさんも、うん、きなよ。あたしだけしか居ないから。ねっ!

2人に勧誘され、あたしは、はいと、頷き、金曜日に行ってらっしゃいよ。仕事早く上がらせるわ。伊藤さんが、りかさんとあたしの顔を交互に見やり、優しい顔をしゆった。

 金曜日はおそろしいほど、仕事が早く終わり、りかさんの美容院に時間どおり行ける感じになった。

伊藤さんが、スマホで撮影した写真をあたしの目の前に持ってきて、

『ねぇ、わかるぅ?この道をまっすぐね』

ちらっとあたしに目を向け、またスマホに目を落とし、次の写真を見せる。

『でね、ここを曲がって、ずーとまっすぐ行った突き当たりよ』

また、あたしの方を見やる。目が合い、あ、はい、顎を下げ、頷いた。

こういうところが優しいのだ。

本当は、請求書を毎回発行していて、住所はわかっているし、ナビでゆけばすむことだったのだけれど。

え?あたしは、写真を見ながら、声には出さなかったけれど、驚くべき事実が写真の中におさめられたいた。伊藤さんは、気がついてはもちろんいない。

写真を撮影した日にちが、昨日だったのだ。わざわざあたしに説明するために、『ミント』まで出向いたのだ。伊藤さんは髪の毛を切った分だった。美容院にわざわざゆく用事などはない。

胸がしめつけらたれ。

『さあ、じゃあ、いってらっしゃい〜』

タイムカードを押して、伊藤さんに挨拶をし、退社した。

『お先に失礼します。いってきまーす』と、溌剌と言い放って。


『ミント』はこじんまりとした美容院で、りかさんと、アシスタントの子2人で経営をしていた。

りかさんが、あたしの髪の毛を触り、眉間に皺を寄せながら、重症ね、と、悪びれるような口調でもなく、自然と声が出た。やばいわ、本当に。さらに重く付け足す。

『かなり切らないとダメね。いいかしら』

鏡の中でりかさんと目があう。いいかしら。などと、ゆわれ、ダメです。などと言い返すお客さんは果たしているのだろうか。あたしは、綺麗な顔をしたりかさんの目を見て、お願いします。任せます。りかさんに全てを任せた。

『先にシャンプーをしますね』

シャンプー台に誘導された。椅子に座る。じゃあ、倒しますね。いわれ、椅子が思い切り倒れるのかと思ったら、頭を倒す感じだけになっていて、身体は全く倒れなかった。なので、楽だ。

『熱くないですかぁ』

語尾上がりに質問をされる。あたしは、いえ、短くゆって、目を伏せた。あ、なんて、気持ちがいいのだろう。りかさんの手は優しくあたしの頭をなぜ、あたしの髪の毛を洗う。他人に髪の毛を洗ってもらうなんて、本当に久しぶりすぎて、身震いがした。

再び元いた場所に戻ってくる。タオルでぐるぐる巻きにされた頭のあたしはやはりブスだった。

『あやさんは、色白で、肌が本当に綺麗ね。伊藤くんが褒めてたわ。だからか髪の毛も綺麗にして欲しかったんじゃあないのかな』

りかさんがやんわりとした口調であたしの髪の毛を切りながら言葉を継いだ。

『りかさんだと、緊張しません、あたし、わかりました』

なぜ、美容院が嫌いなのか、明確な理由がわかった。なに?

りかさんが、話の先を促す。

『話しかけられて、嫌な思いをしたんですよ』

あー、そうなんだね。りかさんが唸る。さらに続けた。

『彼氏は?結婚してる?職業は?』

職務質問をされている気分になり、寝たふりをきめていたら、前髪をざっくり切られすぎて、その美容師は謝罪の言葉もなかったのだ。

『やだ、そうだったのね。そう、だから、あたしは、お客さんが口を開くまであまり話しかけないのよ。あたしも嫌いなのね、だから』

ハサミの音がする。ちょき、ちょき。バサバサと茶色の髪の毛が床に落ちてゆく。あたしは、りかさんの華麗なハサミの音を訊きながら目を閉じた。

『さあ、終わったよ』

ドライアーで乾かしたあたしの髪の毛は、天使の輪が出来ていた。肩まで切りそろえられた髪の毛は思っていたほど、短くもなく、ちょうどいい具合におさまっていた。

『ありがとうございます、えっと、おいくらですか?』

りかさんが、アシスタントの子と顔をあわせ、ニコッと笑う。

え?

あたしは、えっと、りかさん?りかさんに目を向ける。

『昨日ね、伊藤くんが、お金を置いていったのよ。あやさんを綺麗にしてあげてっていって』

ええええ!あたしは、ええええ!三度ほど、驚嘆し、でも、しかし、ダメです、

どうしましょう。何度もりかさんに救いを求めた。りかさんは、あたりまえのよう、こういった。

『あやさん、伊藤くんはああいう性格よ。甘えましょう』

『で、でも……』

『あす、お礼言っといてね』

『あ、はい』

狼狽えつつ、あたしは、何度も腰をおり、りかさんにお礼をゆった。

『また、きます。ありがとうございます』

美容院に来る写真の日にちが昨日だったのは、写真を撮るためと、お金をおいてきたのだ。納得と同時、居てもたってもいられずに、車は会社に頭を向けている。

渋滞の時間。焦りと苛立ちの中、ハンドルを握りしめる。


事務所に明かりがついている。

『伊藤さん!』

鬼の形相であたしは、伊藤さんの前に立ちはだかる。

『ダメですよ』

『え?何が?』

とぼけないでください。ダメです。お金はお支払いします。あたしは、小汚いカバンからお金を取り出した。

『ねぇ』

いつもの口調で、あたしの方を見やる。

『そこはね。ありがとうございます。だけゆっておけばいいのよ。あやさんは女性よ』

『でも、やっぱり……』

『いいの、今回だけよ。ね。だから、また行ってやってちょうだいね』

あたしは、二の句を継ぐ。

『伊藤さん……』

パソコンを打っている伊藤さんの顔は疲れを滲ませていた。

『なにかしら?』


『お願いです。あまり、あたしに優しくしないでください』

頭を垂れながら、言葉を吐き出した。声が震えている。頬に糸筋の線をつくった。

あたしは、人に優しくされるのが、苦手だ。慣れていない。そして優しくされた記憶がまるでない。

親にもだ。父親の顔知らない。母親も男とどこかにいってしまった。死んだと嘘をゆっている。めんどくさいから。

『ぼくは、親や、兄弟。おじいちゃん、おばあちゃん、皆に愛されて生きてきたの。だから、他人でも、優しくするのは、当たり前だと思っていし、もう、行為に甘えるのも、仕事の一環よ』

 言葉の端々に優しさが垣間見えたとき、あたしは、我慢ならず、大声で泣いてしまった。

『ええ?』

伊藤さんは困惑をしている。あたしは、顔を両手で覆い、こみ上げてくる、甘い感情を抑えれなくて、涙に変換する以外なかった。

あたしは、寂しいやつだなと、痛感していた。人の優しさをうまく受け入れることができない。素直になるのが、怖い。素直になれないのではなく、素直のなりかたがわからないのだ。優しい家庭で育った伊藤さんからは、優しい匂いと、優しいオーラがいつもあった。


肩を小刻みに震わせ泣いているあたしを目の端に捉えながら、伊藤さんは、相変わらずの口調で、明後日は忙しいからね、わかった?

口だけ動かし、パソコンを無心に打つ。

『あ、は、はい。今日は本当にありがとうございました』

あたしは、また、腰をおり、3秒頭を下げた。

伊藤さんも、営業さんや、業者、あるいはクライアントがきたとき、必ず挨拶をし、お辞儀は3秒間頭をあげないのだ。


あたしは、外に出る。

伊藤さんは涙の理由を深く訊かなかった。


上司として、優秀なデザイナーとして尊敬している。

けれどおねいだからね〜。


ふふふ。あたしは、車にのり、バックミラーで切った髪の毛を確認する。

伊藤さん髪の毛切ったのに、なにもゆってくれなかった。

やはり、伊藤さんも冷静を装っていたけれど、泣いてしまったあたしに対し、言葉をかけずらかったんだな。そう、思ったら、ますます申し訳ない思いでいっぱいになった。


満月だった。月があたしの天使の輪をさらに輝かせる。

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やさしさにふれて 藤村 綾 @aya1228

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