花守のヴァンパイア

紫月 朔彌

第1話 十字架と薔薇




 ――ねえ、ルカ?

あの日の事を覚えている?


 ルカが目を覚ますと、そこは温かな光に満ちていた。

長い眠りから醒めると、恨めしい筈の太陽を古い友人のように目を細めて見つめる。


 ルカは久方振りに動かす両手の感触を二度、三度と試した後に黒い柩から出て、寝起きのぼんやりとした頭で考えた。

自分の眠りを醒ましたモノは何だろうか、と。


 ややあって、判らないと彼は頭を振る。

外に出ると記憶の中の景色と、目の前に広がる光景の差異に立ち止まった。


 ルカが眠りにつく前、ここはかつて荒野にぽつりとたった一つ佇む、風車小屋だった。

薄汚れたレンガの壁、懐かしいような、ほろ苦いような煤けた香り、風に身を任せる朽ちた草たち。

以前はここには茫漠たる地平線が広がっていた。


 だがそれらは全て失われ、代わりに人の世界が広がっている。

人間と距離を置こうと考え、わざわざ誰もいない土地に足を運んで目覚めの時を望まぬ眠りについたというのに、眠っている間にそこに人が街を作るだなんて皮肉な事だ。


 それでも、長い眠りの間に小屋が壊されずに残されていたのは運が良かった。

ルカがそう思った矢先にガラガラと背後から音がして振り向けば、長年の眠りを守ってくれていた小屋が倒壊する様を目にする事となった。


 たった今這い出してきたひつぎは、瓦礫の下に埋まってしまい、もう見えない。

打ち捨てられた十字架のように、風車の羽が唯転がるのみである。


 何の感慨も無く先程まで風車小屋だったモノをルカは紅い瞳で眺め、そして歩き始めた。


 いったいどのくらい眠っていたのだろうか?

そんな疑問を抱きながらも、ルカは行き交う人に話し掛ける気にはなれず、目的もなく足を進める。

そうして小屋のあった辺りより少し人気の多い、広場のような場所に行き着いたルカは無意識に歩みを止めた。


「お花はいりませんか~? 今ならどれでもたったの五アエスです」


 若い娘が、花を売っていた。

花と言っても、身売りのような後ろ暗い商売では無く、本当に花を売っているようで、その証拠にお遣いに来た子供が銅貨数枚と引き替えに赤や青の花を受け取っていく。

ルカは吸い寄せられるように、その花売りの少女の元へと移動する。


「そこの黒いローブの綺麗なお兄さん、お花はいかが?」

「……ああ、すまない。お金を持っていないんだ」


 昔聴いた笛の音によく似た声で話し掛けられてから、ルカはやっと自分が無意識に少女に近付いていた事を自覚する。

そうして持ち合わせが無いと断りながら、花を買ってやれない事を酷く残念がる自分に気付いてルカは驚愕した。

こんなに感情を動かされる事なんて、いつ以来だろうか?


 特に行く宛も無ければ、帰る場所も無いルカは、広場から程近い階段に座り込んで暫くやり過ごす事にした。

腹もすかなければ、本来眠る必要も無い彼には、特に急いで何かをする必要も無いのだ。

それに、ここなら少女の姿が見える。


 まだ夢の中にいるような、そんな不思議な感覚に襲われながら、ルカは遠目に少女の姿を見守っていた。



 夕方に差し掛かった頃だろうか?

途中何度か休憩を挟みながらも花売りを続けていた少女の元に、見るからに柄の悪そうな男が三人近寄ってきた。


「お嬢ちゃん、なかなかの上玉じゃねぇか?」

「花より春を売ってくれよ、なあ?」

「へへへっ、白い肌が眩しいねぇ……」

「お花を買わないなら、帰ってくれますか?」

「おうおう、見かけによらず威勢がいいじゃないか。ますます気に入ったぜ」

「お嬢ちゃんが俺たちとちょ~っと遊んでくれたら、花なんていくらでも買ってやるぜ?」

「いやっ、来ないで」


 下卑げびた笑みを浮かべて男たちは少女に手を伸ばす。

抵抗しながらも少女の細腕で男三人が相手ではどうする事も出来ず、囲い込まれて恐怖に身を縮こまらせているか弱い姿を目にしたルカは、音も無く彼らに近寄った。


「彼女に汚い手で触るな」

「イデデデデッ!」


 彼女の細い肩に触れていた男の腕を、ルカは造作も無く捻り上げる。

特に力を入れている様子も無いというのに、掴まれた男は相当痛がってたまらず呻き声を上げる。

その間に、反対側の腕で少女を救出し、自分の背後に匿う事も忘れなかった。


「この娘には俺たちが先に目をつけたんだ。てめぇはすっこんでろ!」

「彼女は嫌がっているじゃないか」

「くそっ、てめぇ舐めた真似をしやがって!」


 残りの男二人は乱暴な言葉で喚いて、二人同時にルカに殴りかかろうとしたが、それは結局未遂に終わった。


「なっ……、んだと……?」

「くそっ、身体が動かねー……っ!」


 男たちは驚愕に目を見張る。

ミカは指一本動かしていないというのに、薔薇のように紅い瞳でただひと睨みしただけで、男たちは見えない力に拘束されたかのように動けなくなってしまったのだ。

実体の無い力は男たちの抵抗を一切寄せ付けず、びくともしない。


「彼女には二度と近寄るな」


 ギリギリとその勢力を増していく得体の知れない力に本能的な恐怖を感じた男たちは何度も頷き、やっと解放されると逃げるように退散していった。


「……大丈夫か?」

「ええ」


 ルカがようやく振り向くと、そこには曇った表情が。


「すまない、余計な事をしてしまったか?」

「ううん、そうじゃないの。ただ、こんな事初めてで怖かったから……。助けてくれてありがとう」

「気にするな。俺が勝手に口を挟んだだけだ」


 商売の邪魔をしてしまったかと再度口を開いて断りを入れるルカに少女は、雲を振り払うように頭をパタパタ振って礼を言った。


「でも、せっかく助けてもらったのに、これじゃあ今日はもうお店を閉めなきゃいけないね……。あーあ、せっかくのお花が……」


 徐にしゃがみこんだ少女は眉根を寄せて悲しそうな顔をする。

彼女の手元を見れば、売り物の薔薇の花が全て茎から折れ、花が潰れて萎れてしまっている。

どうやら、並べていた花がさっきの騒ぎで倒れ、男たちが踏み付けてしまったようだ。


 せっかく綺麗に咲いてくれたのにごめんねと花に謝る彼女をルカは放っておけなかった。


「どれ」


 少女の隣に膝を折って腰を落としたルカは、蹂躙された薔薇の花の上にごく自然な仕草で右手を翳す。

すると、どこからともなく現れた淡い光が薔薇を包み込む。

数秒その状態が続いたかと思うと、パッと蛍のように光は霧散した。


 いったい何をしたのか、少女はルカに訊ねるより前に口元を覆いながら感嘆の声を洩らす。


「……すごい! 薔薇が……!」


 少女の手の中の薔薇は、たった今開いたばかりだとでもいうように、匂やかに微笑んでいる。

萎れていた事実など無かったかのようだ。


「ホントにすごいわ! どうやったの、これ?」


 感激のあまり興奮しきりの少女が手中の奇跡について訊ねる。

しかし、ルカはそれには答えず、ただ黙って首を振るばかりだ。


「ごめんなさい、気を悪くしたかしら? でも本当に信じられないくらい嬉しくて……」

「怒ってなどいない。喜んでもらえたのなら良かった」


 ルカの無表情を怒っていると解釈した少女は、風船が萎むように急速に大人しくなってしょんぼりと謝ってくる。

それを見て、さっきの薔薇より少女の方が萎れている度合いが酷いと思ったルカは自然に頬を綻ばせた。


「貴方、そんなふうに優しい顔をして笑うのね」


 少女に指摘されて初めて、自分が笑っている事に気付くルカ。


「そうか……。これが笑う、という事だったな……」



 もう何百年も、ルカは笑った事が無かった。

笑うどころか、怒る事も、悲しむ事もしなかった。

永い時を生きるのに疲れ、感情を忘れ、そしてあの風車小屋で眠っていたのだ。

ただ一つ、世界の終焉の時まで、ずっと眠り続ける事を望んでいた。


 だというのに、こんな予定外の時に目覚め、少女を辱めようとした男たちに憤りを感じ、今はこうして彼女の前で微笑んですらいる。

眠っている間に自分はおかしくなってしまったのだろうかと、ルカは首を捻った。

淡い金色の長め前髪が揺れて、彼の頬に影を落とす。


「……どうしたの?」

「いや、何でもない」


 結局今度もルカは何も答えなかった。



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