人それぞれ

青山

第1話 読書感想文

「どうしてこういう風に思ったの?」

「思ったことを書いただけ……なんですけど」

「うん、でもね、きっと作者の人は、こう思って書いたわけじゃないと思うの」

「それって先生の意見じゃないんですか」

「違うわ、教科書にそう書いてあるもの」

 溜息を吐きつつ、朝顔教諭は言った。

 公立■■小学校、放課後の休憩室にて、二つの人影があった。■■小学校では、四学年の先生は大抵この時間は、下校指導に駆り出される。話している者のうちの一人――四年三組の担任教師、朝顔正美もその一人である。だのにこうして、悠々と話しているのにはもちろん訳がある――けれど、本人としては勿論、早くこの指導という名の指導を終わらせて、先輩先生と合流する腹積もりだった。

 だった――という事はつまり過去形、それが実際に遂行されなかったことを示す。

「感想文って、ぼくの感想書いちゃだめなんですか?」

「だから、その感想が駄目って言ってるのよ、増田くん」

「なんでですか」

 ――ああ、もう面倒くさい。

 朝顔教諭は、心の中で舌打ちをした。

 彼女が相対しているのは、彼女の持ち教室の生徒、四年三組の生徒、増田楓真である。身長も程々で、髪型は普通。口数は少ないが、協調性はないことも無い。手を挙げることもあれば、挙げないこともない。授業態度は時々そわそわする時があるものの、基本的には真面目。サッカーが好きで、休み時間はいつも林田や日野原を初めとした体育会系の子たちと遊んでいる。父親、母親、二人の姉と暮らしている――、と、基本的な情報ならばここでいくつでも列挙できるが、今必要なのはそれではない。『全ての教員は彼女のように子供と接するときに面倒だと思っているわけではない』とか、『彼女だって人間なのだから、口に出していないのだから仕方がない』とか、そういう分かりきっていることをいちいち確認することもしない。

 三人称小説は、誰かに肩入れすることは出来ないのである。

「でも、やっぱりごんは悪いことをしたんだから、殺されちゃっても仕方ないと思います」

「じゃあ増田くんは、ごんのことを可哀想だとは思わないの?」

「うーん、あんまり」

「………」

 ――いつも静かに授業を聞いているというのに。

 ――どうしたのだろう、何かあったのだろうか。

 ――こんな時に、指導要領から外れるだなんて。

 『ごん』という固有名詞にピンと来た方も多いであろう。小学四年生の国語の教科書の下に掲載されている、新美南吉先生作の児童文学『ごんぎつね』に登場する狐の名である。

 四年三組では、本日の三時限目の国語の時間、『ごんぎつね』の感想文を書くこととなった。勿論苦手な子、得意な子の事も配慮して、最低枚数を低めに設定し、次回の授業の時間も使って、じっくり『書く』事を勧めた。四年三組担任となって初めての感想文。皆がどんな感想を書いてくるのか、内心楽しみにしつつ、朝顔教諭はテストの丸付けをしていた時――一番最初に持ってきた子が、増田楓真であった。原稿用紙二枚。およそ八百文字を書き終えるにしては相当早かった。驚き(褒めることを忘れず)つつ、朝顔教諭はそれを読み――読み始めて、再び驚嘆した。

「ぼくは、ごんがかわいそうだとは思いませんでした。

「ずるをしてウナギをぬすんで、おっ母は死んじゃったのに、今さら栗やまつたけをあげても、おっ母は生きかえりません。

「ぼくももし車でお母さんをひかれたら、ひいた人が何をしても、絶対ゆるしません。

「うらみますし、兵十のようにうちたいと思うと思います。

「だから、ごんがうたれて死ぬのは、あたりまえです。

「作者の人は、そのようなあたりまえのことを、ぼくたちに伝えたかったんだと思います。

 別段、文章が異様に大人びているとか、読書感想文の体を成していないとか、超達筆だとかそういうことはない。ついつい『思います』を多くしてしまったりしつつ、普通に書かれていた。

 ただその内容に、朝顔教諭は目を疑ったのである。

 言わずもがな、この感想文を書くにあたって、彼女は『ごんぎつね』に関する授業を一通り終えている。生徒に読ませ、逐一要点をまとめ、脚注の設問を解きつつ、順当に授業を進行させた。最後、兵十がごんを火縄銃で打ったシーンでも、軽く、『作者の気持ち』に関する講義をし、それを踏まえつつ、『作者は何を伝えたかったのか』を噛み砕いて、生徒に考えさせた。

 まあ、そのあたりまでに、別段支障はなかった。

 問題はその先、今まさに、朝顔教諭の両手に収まっている増田の読書感想文である。

 その感想文は、今まで誰も出したことのない、非常に現実的かつ合理的で、とても小学生の思いつきそうなものではなく―ーそして、今まで行ってきた朝顔教諭の授業を全て否定するかのような、文章だった。

「増田くんさ、先生の話ちゃんと聞いてた?」

「聞いてました」

 ――聞いていた、んだろうね、ちゃんと。

 実際『読者が伝えたかったこと』において彼は、当たり障りのない意見を発表している。

 ――確かその時は『早まって人を殺してはいけないと思いました』みたいなことを発言していたかしら。

 ――その時は、ちゃんとした意見を出してくれていたのに。

 ――どうして、

「じゃあ、どうしてこういう事を思うの?この前は違う事言ってたじゃない」

「家で読みなおしたら、やっぱりこうかなーって思って」

「何それ?」

 と、つい口調が強くなってしまうのを抑えつつ、続ける。

「あのね増田くん。もうちょっとちゃんとしたものを書きなさい。授業でやったでしょ?作者がどう思ったかとか、あの時兵十はつらかったとか、そういうことを書くのよ」

「ぼくの感想じゃ、駄目ですか」

 一瞬逡巡しかけたが、しかし、朝顔教諭は、

 と言った。

 駄目、と。

 ――大丈夫、落ち着いて、私。

 ――ちゃんと向き合って、ちゃんと伝えよう。

 ――私たちは、そうでなければならない。

 その妙な職業意識が、今まさに子どもの思考を制限しているなどとは、朝顔教諭は夢にも思わない。

「とにかく書き直して。明日時間はあるでしょ。増田くんならすぐかけると思うよ」

 怒りを抑えつつ、朝顔教諭は言った。

 彼女自身も、一体何に対して起こっているのか、正直理解できていなかった。

 ――違う意見を言う増田。

 ――教科書にも指導要領にも掲載されていない意見を言う増田。

 ――揚げ足取りのように現実を主張する増田。

 ――感想文なのに、本当に自分の感想を書く、増田。

 朝顔教諭は、そういう彼自身に、苛立っていたのだ。教師としては狂っているかもしれないが、しかし人間としてなら、彼女は正常だといえる

 自分と違うものを嫌い、自分と同じにしようとする。

 人はそうやって自らを滅ぼしてきた。

 増田はしばらく考える素振りを見せた後、

「ちゃんとって、どういう風に書けばいいんですか?」

 と、きょとんとした顔で言って、それが朝顔教諭の逆鱗に触れた。

「だから!ちゃんとはちゃんとよ。何度も言わせないで!大人になったら何度も繰り返し言ってくれないんだから。今までの授業で習ったことややったことをまとめて、そのまま読んだ感想にすればいいじゃない。折角授業でしたのに、

「………」

 言い過ぎた、と思った時には、もう遅かった。増田の心、つまり、本当に思ったことや感じた事は、すでにここで封殺された。そして、学校は自分の気持ちではなく、先生の機嫌を取るところだと、学んでしまった。

 表面的には、少々申し訳なさそうに、

「分かりました、ごめんなさい。明日書き直します」

 と、言っているけれど、もう誰も、彼から『ごんぎつね』の、本当の感想を聞き出すことは出来ないだろう。

「そ、そう。ならいいのよ。じゃ、遅くなると悪いから、そろそろ教室でよっか」

 そう言って二人は、休憩室から出た。

 空はすでにこんがりとした夕焼けになっており、窓から入る陽射が、彼らの視界に邪魔をした。

「綺麗だね」

「そうですね」

 これは本心なのかどうなのか、朝顔教諭には分からないし、そもそも分かろうとはしないだろう。今の彼女は、自分の思い通りの色に染まった生徒が、誇らしくてたまらないのだから。

「じゃ、さようなら増田くん」

「さようなら、先生」

 増田は家に帰り、朝顔教諭は職員室へと戻った。

 いつも通りのさようなら。

 しかし、そこに心は無かった。

 

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