彼氏(仮)
結局、何が美味しいのかよくわからなかったので、無難にうどんを注文して持ってくる。うどんはステーキとは違いその場ですぐ出てきたので待つことはなかったが、鈴木さんは番号札を持っていたので、できしだい取りに向かうとのこと。
「なんとか席があってよかったよね」
「本当ですね」
お昼時なので人が多いのだが、なんとか四人席が空いていたのでそこに座った。二人で四人席を使うのはさすがに忍びないのだが、真ん中に仕切りもない場所なので、もう二人が座る場合は、向さんに少し抵抗があるだろう。私も遠慮してしまうし。
「先に食べてていいよ? うどんだし延びると美味しくないからね」
「それもそうですね。では、お言葉に甘えて」
手を合わせて軽く会釈をする。割り箸を割って、もちっとした麺を掬い上げて口に運んだ。吸い込むように食べると、麺に絡んだ
一緒につけたかき揚げを口にいれる。汁を吸ってしまったからか少しふやけているが、それ以前に油が重い。家で食べるかき揚げと比べてしまうと、雲泥の差だ。
「……あんま美味しくない?」
気むずかしい顔をしていたのだろう、鈴木さんは気遣うように微笑を浮かべる。
「……お店の人には言いにくいですが、家で作った方が断然美味しいです」
「田中さんの家に比べちゃうとなんでもそうでしょうに」
「食べてるものはあまり変わりませんよ? ようは作り方の問題です」
「専門の人がいつも作ってくれるの?」
「そうですね。でもレストランのようなコースとかではないですからね? あくまで家庭での料理が出てきます。食材と調理法は一級品ですが」
「そこが一番の違いなんだけどね」
さすがに呆れる鈴木さんだったが、呼び出しのブザーが鳴るので、鳴るのを止めて席を立つ。
「さてと」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
席を離れ、壁際に陳列しているお店の方に歩いていく。私はその後ろを見送りながら、うどんをすする。
いってらっしゃいか……。
つい口に出てしまった言葉だったが、普通に恥ずかしいやりとりだったかもしれないと顔が熱くなる。だってあれじゃあ、本当に彼氏彼女みたいなやりとりじゃないか。
いや……ないない。ありえない。
考えを追いやって、忘れるようにうどんをすする。するとそこに「か~のじょ」と軽薄そうな男の声が聞こえてくる。
「今日はお一人?」
明らかにチャラチャラしている男が二人、突然隣の席と目の前の席に断りもなく座る。
「よかったら俺たちと遊ばない?」
これは、噂に聴くナンパというやつだろうか。海の時にはお目にかかれなかった現象ですが、まさかこんなところで出くわすとは。
「おあいにく様。今日は人と一緒に来ているんです」
「何々? 男?」
「そうですが?」
「そんなやつより俺たちと遊んだ方が楽しいよ?」
何を根拠にそんなことを言っているのかわからないが、鈴木さんのことを全く知らないのに、そんなやつと言われたのが無償に腹が立つ。
「お断りします。それとそこの人」
目の前に座る男性を見据え、「そこはあの人が座る場所ですから、さっさと退きなさい」
「俺たちといっしょに来てくれるなら~……退いてあげてもいいんけど?」
「あなた!」
いい加減我慢するのも限界だったので抗議しようとしたら、隣の男性が先手とばかりに肩に手を回してくる。
「まあまあそんな怒らずに」
「ちょ、やめ」
「は~い、そこまでだよお兄さんたち~」
ガチャンと乱暴に置かれたカレーライス。そして私の肩に回された方の手を掴む。
「俺の彼女に、何してんだよ」
「いててててっ!!」
相当強く握りしめているのだろう、隣の男はすぐに手を退かし、鈴木さんに連れられるように席を立った。乱暴に鈴木さんの手を振り払い、彼を睨み付ける。
「てめぇ! 何すんだよ!」
「先に人のもんに手を出したのはそっちでしょ? カレーぶつけられなかっただけありがたく思いなって」
「お前ふざけんなよ!」
「はいはい騒がない。他のお客様にご迷惑ですよ?」
鈴木さんい言われて辺りを見渡すと、他の食事をしているお客さんが奇異の目で私たちを、特に軽薄な男たちを見ていた。
その視線に臆したのか、男はもう一人の男に「行くぞ!」と声をかけて離れていく。
「やれやれ。どこにでもいるね、ああいう輩は」
鈴木さんは私の目の前の席に腰を落ち着け、カレーを手元に引っ張ってくる。
「大丈夫だった?」
「鈴木さんが来なくとも、問題はなかったです」
「さすが田中さん。胆が座ってるね」
「……そうでもないですよ」
今になって、心臓が強く脈打っているのがわかる。よほど緊張していたのか、喉が乾く。捕まれた方の肩が、嫌な熱を帯びているのがわかる。
もしもあのままだったらと思うと、身震いがする。心底、鈴木さんが来てくれてよかったと思った。
「無理はしないでね」
彼のその言葉に、顔を上げ見つめた。
優しい笑みを浮かべてくれる。
「それに、今は彼氏だからね。彼女が暗い顔してるのは、彼氏として放っておけない」
「……(仮)、でしょ?」
彼が冗談で言っているのはわかっている。けれど、あの時の姿は、紛れもなく私の彼氏だったと思った。
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