そのころの兄
真澄が修学旅行に行って四日目。今朝、あいつからラインで旭川動物園に行ってくるね~、と連絡があった。どうやら思いのほか楽しんでいるようで安心した。
寂しかったら電話をすると言ってはいたが、今のところ連絡はメッセのみ、真澄の成長が窺える。俺も寂しくないと言えば嘘になるのだが、それ以上に思うところがあって、それどころではなかった。
思うこととは、もちろん由美さんのことだ。お泊りをした翌日、普通に朝早めに家に帰った由美さんは、どこか俯いた表情をしていた。その後は特に連絡とかはないが、昨日今日と大学の方は休んでいるようで、学内では見かけていない。だからこそ心配をしているのだが、あんなことがあった手前、不用意に連絡は取り辛く、今もうだうだと悩んでいる。
「はあ……」
「どうしたんですか先輩? 深いため息吐いちゃって」
「ああ、すまん」
阿子はピックを口に咥えながら、ギターのチューニングをしている。一本一本音を確認しながら、弦を締めたり緩めたりして、音を合わせていく。ぴったりと合わせ終えたのか、一度大きくストロークをして全ての音を鳴らすと、「よし!」納得をしたようだった。
今日は阿子が働いているライブハウスで、夕方からバイトのスケットに入っていた。阿子はこのライブハウスで働きながら、ガールズバンドを組んでアマチュアとして活動をしているらしい。以前春先に阿子に呼び出されたのは、近々ライブがあるから見に来てほしい、というお誘いのためだった。
「機材のチェックは終わったんですか?」
「ああ。一度繋いで鳴らしてみてくれ」
ギターシールドを繋いで、アンプをONにする。阿子は鳴るかどうかを確認してから、小刻みにスナップを効かせた。軽快なギターの音色が、ホールに響く。
うん、問題ないな。
「さっすが先輩。機材の調整はお手の物ですね」
「結局。高校ではずっと整備士だったからな。でも驚いたよ。阿子が別の学校に転校したのもそうだけど、その学校でガールズバンド組んでたなんて。しかも相当、上手いらしいな」
アンプの電源を落として、ギターシールドを抜く。阿子は照れながらも、どこか誇らしげに「それほどでもないです~」と頭の後ろを掻いていた。
「でもまさか、私がボーカルやるなんて思ってなかったですよ。けど今がすごく楽しいです。たまにこうやって先輩を引っ張り出せる口実も出来ましたし」
「なんだそれ? 呼んでくれれば、いつでも力を貸すぞ?」
間違ったことは言ってないし、本当にそう思って口にしたのだが、何がお気に召さなかったのか、阿子は大きな溜め息を吐いた。
「先輩は女心がわかってないですね~。本当に鈍感なんだから」
「ぬっ……そうなのか?」
自分ではやはりよくわからない。
「そうですよ。それじゃあいつか、好きな女の子のこと、傷付けちゃいますよ」
「……そう……だな」
好きな女の子とは、また違う。けれど、俺にとって悲しんでいて欲しくない人ではあった。阿子の言葉は、いやおうなしに由美さんを思い出させた。
俺はやっぱり、由美さんを傷付けてしまったのだろうか?
「めっずらしい……浮かない顔ですね」
「えっ? そんな顔してたのか? というか、よくわかったな」
「先輩のことは、ちゃんと見てますから」
目の前にいるから。由美さんのそんな言葉が、脳裏をかすめる。ちゃんと見ている、目の前にいるんだよ。そういう思いを込められた言葉。
その時のことを思いだし、また勝手に凹む。由美さんは真澄のことだと言っていたけど、違和感話あるし、由美さんの浮かない顔が頭から離れない。俺にもっと女心がわかっていたなら、もしかしたらあんな顔させずに済んだんじゃないか?
「なんかわかんないですけど、私でよければ聞きますよ? 来てもらったお礼も兼ねて、ですが」
「阿子」
この時ばかりは、阿子が年下の女の子には見えなかった。やはり精神的に女性の方が上だというのは、本当のようだな。
「そうだな、うん。実はな――」
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