手のひらの小説

菜美史郎

第1話 警護

 某国の大統領はせっかちで、絶えずせわしなく駆けまわっている。

 公私ともに、彼のやりかたに批判的な連中がおおい。

 そんなわけで、彼の身辺を警護する者たちは、いつもぴりぴりし

ていなければならず、気の休まる暇がなかった。

 ある日、そのうちのひとりの様子が突然おかしくなってしまった。

 ふらふらと持ち場を離れたかと思うと、ホテルのヴェランダに出

てしまい、リクライニングシートに腰かけ、揺すりはじめた。

 緊張のためにひきつっていた顔が、ふいにゆるんだ。

 強い陽射しがまぶしいのか、目をほそめ、そのうち寝息を立ては

じめた。

 当然、ほかの警護員たちは、ホテルの中を探しまわった。

 しかし容易に彼を見つけることができない。

 小一時間も経っただろうか。

 お忍びで、大統領がヴェランダに出た。

 すでに日没まじか。

 海面があかね色に染まっていた。

 「きみね、ヴェランダでうたたねしている男は、ひょっとして、う

ちの警護隊員ではないのかね」

 部屋に戻って来た大統領が、警護隊長に尋ねた。

 「ええっ、どこです。うちの隊員はみんな職務に精励しています。

そんな不心得者はいないはずです」

 「まあ、そうだろうが、誰も人間だ。はめをはずす場合だってあ

るだろう。私もよく知っている、彼の勤務態度が立派なのは」

 「ありがとうございます」

 ふたりして、ヴェランダに出てみた。

 「ほら、いるだろ。手すりのそばに」

 警護隊長は彼を認めた。

 ヴェランダにいるのは、彼ひとりだった。

 「あっ、はい。うちの者です。申し訳ございません。厳しく叱責

します。いやそれじゃなまぬるい。即刻辞表を提出するよう、伝え

ておきます」

 「いや、それには及ばない。今まで必死でわたしを守ってくれた

んだ。ちょっと彼と話してみたいと思う」

 「そ、そんなことをされては、わたしの立場がありません。大統

領閣下の取り巻き連中から非難されてしまいます」

 「律儀なことはけっこうだが、きみさえ黙っていてくれれば」

 すべてを言い終わらぬうちに大統領はつかつかと彼に歩み寄った。

 彼の右肩を遠慮がちにゆすぶった。

 「誰だい、俺がせっかく眠ってるのに。ほんとつらいんだぞ。こ

の仕事は。ろくろく寝てらんないんだから」

 大統領は、彼がはっきり目覚めるまで我慢することにした。

 冷たい浜風が吹きはじめた頃、彼が目を覚ました。

 そばに大統領を認め、彼はぎょっとした。

 自分の仕事の怠慢ぶりがおおやけになるのを恐れた彼は、もはや

これまでと思い、隠し持っていたピストルを取りだし、筒先をこめ

かみに当てた。

 「ばか、早まったことをするな」

 「大統領、わたしのような者にお気づかいいただき、ありがとう

ございました」

 と言うやいなや、彼は引き金を引こうとした。

 「ちょっと待て。なにもそこまでしなくてもいいじゃないか」

 「いや、だめです。わたしの警護員としての誇りが許しません」

 ねぎらいの言葉をかけたかっただけなのに、事態がまったく思わ

ぬ方向に進んだことに、大統領は悔やみはじめた。

 「それでは失礼します。大統領は早くこの場を立ち去ってくださ

い」

 取り巻きの若い警護員たちの顔は青ざめている。

 「大統領、いつまでもご健勝で」

 ピストルを持つ彼の右手がこきざみに震え、ひたいに汗がにじむ。

 「仕方ないようだな」

 「あっ、はい」

 「最後に何か言い残すことはないか、なんでも聞き届けてやろう」

 「なんだって、いいんですか」

 充血した目で、彼は大統領の顔を見あげた。

 大統領はこくりと首を振った。

 「ひとりきりになる母を、幸せにしてやってください」

 「よし、わかった」

 大統領は背をまるめ、付き人たちとともに、その場を離れて行く。

 パン。

 豆がはじけた音がして、辺りが騒がしくなった。

 「テロだ。容疑者が自殺した」

 警護隊長が大声をだした。

 大統領は足早にホテルの玄関に向かい、乗用車に乗りこむと、立

ち去って行った。

 彼はショックを受けた。

 一週間分の予定をすべて取りやめにし、官邸から一歩も出なかった。

 その間、亡くなった警護員の母親について、部下に調べさせた。

 彼女は五十歳に満たない。

 質素な暮らしを好み、田舎で暮らしていた。

 まわりで困っている人を見かけたら、放っておけない性質。

 飼い主がいなくてさまよっている犬や猫さえも保護した。

 こんなにいい親がいて、あの警護員、若い美空で・・・・・・。

 大統領は彼の死がよほどこたえたとみえ、任期途中にもかかわら

ず、潔く辞職した。

 あれやこれやと、何だって自分が解決できるように思っていた今

までの自分を恥ずかしく思うのだった。

 (了)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

  

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