第4話 追う者と追われる者


逆に言うと、その村に生まれついた者だけが“三ツ者”になる『資格』がある、と言い換えることができる。無論、例外がないわけではないが、生まれついてからの修練を積んだ者でなければ、三ツ者の訓練には耐えられないということだ。この者どもは恐らく三ツ者としての訓練を欠かしたことは一日として無いに違いない。自らの技の精度を高め、精神を研ぎ澄ませ肉体を鋼のごとき頑強さに仕上げる。恐らくそれらの訓練に楽しみを覚える者は多くはないだろう。余暇を持て余して、身体を鍛えるような余裕はこの時代にはないのだ。一般の者が三ツ者としての自分を維持するための毎日の訓練内容を知ったならば、きっと毎日、朝起きるのが憂鬱になることだろう。そんな訓練内容だ。だが、この者どもは三ツ者を維持するための訓練を【毎日行う】。いやいや訓練を行うわけではないが、無論、喜んで行うわけでもない。自分が喰っていくため…そして村の者どもを喰わせていくために行うのだ。それはなまなかな覚悟ではない。なぜならば、もし仕えている『館』に、ほんの僅かでも三ツ者としての能力を疑われるようなこと-例えば、『館』の命による使命をまっとうできなかったり、他の“草”に捉えられて秘密を漏らしたりするようなこと-があれば、“その村からは二度と三ツ者は現れない”ことになるからだ。つまり“三ツ者”とは、自分自身の能力だけではなく、三ツ者という草の【集団】の能力が常に問われるのである。『評価』は常に自分以外の誰かが下すのはいつの時代も変わらない。


話を琥珀たちに戻そう。二手に分かれていた三ツ者達が甲斐領内で集まり、『館(武田逍遙軒信廉)』の元へ集めた情報を持ち帰ろうとしている。額から鼻梁の先より少しばかり上の部分までが麻のようなもので覆われていて視界がふさがれている、幻蔵と呼ばれる男が口を開いた。


「さて、このようなところで時を費やしてはならぬ、戻るぞ…」


すると左目が麻紐で縫われた琥珀という少女がその言の後を継いだ。


「なら、あたしが殿(しんがり)をやるよ」


その言葉を聞いて、首から口元までが布で隠されている口を利かない男は一瞬何か言いたげな表情をしたが、それもほんのわずかの間で、特に何も言わなかった。まもなく、三ツ者達は姿を消した。そこに誰かがいた痕跡は何も残っていなかった。


私は小高い崖の上に『いて』、森の中を見下ろしていた。その後も私は彼らを静かに見つめていたが、私の視界は深い森の葉や木々に遮られ、しばしば彼らの行方を見失った。その後、四半刻(約30分)程経った後、三ツ者達がいた開けた場所に十人程度のクレ染めの上下の装束の者どもが集まっていた。クレ染めといってもやや灰色がかった色だろうか。だが、先ほどの三ツ者達とは明らかに異なる集団だった。ただ、三ツ者達との外見上の違いだけは説明できる。その集団は全員が全く同じ装束で同じような体格や背格好をしており、さらに全く同じ面を着けていた。なんというべきかよくわからないが、先ほどの三ツ者達とは“何か”が違う。無論雰囲気もそうだが、私はそれをうまく説明できない。無論、この者どもがただの村人であるはずもない。“草”に違いなかった。


その集団の二,三人が“何か”を探している。だが、そこに誰がいたのか知っているのは、【私】と森の中の鳥や獣たちだけだ。傍目には何の痕跡も残ってはいない。私は先ほどまでいた三ツ者の者どもに与(くみ)する者ではないが、新たに現れたこの者どもに与する気もない。もっとも私にはどちらかに与する資格も無く、その能力もない。私は、この世界に干渉できず黙って見守ることを強いられた者だ。…まあ、私のことはどうでもよい。この新しく現れた集団だが、しばらくあたりを探っていたが、その中の一人が何かに気づいたらしく他の者どもにそれを知らせた。集団の中の一人が何か声を発したようだが、何を言ったのか私には聞き取れなかった。どうやら、この声を発した者がこの集団の長のようだ。だが、他の者たちとの外見の違いはまるでないことに私は困惑せざるを得なかった。声を発した男がもう一言二言、声を発した瞬間、十人の草達はまるでひとつの生き物であるかのように全く同じ動作で、三ツ者達が去って行った方角へ向けて同時に進みだした。異様な光景だった。


深い森の中を小人数の集団が進んでいく。急いで走るわけでもなく、無駄に時間をかけてゆっくりと歩くわけでもない。集団の人数は七人。一番最初に開けた場所を立ち去った三ツ者達だ。先頭は口を利かない男が、そのあと一町(約110m)程の間隔をあけて、広場に最初にいた四人の“草”が続いていく。そしてその後を五間(約9m)程離れて幻蔵が、さらにその後方、三十間(約55m)程離れたあたりに琥珀が歩いている。ただ、琥珀の動きは不規則で、緩慢な動きであたりの様子を探ったり、かというと今度は打って変わってすばやく幻蔵との間の距離を詰めたり、まったく予測不能な動き方だった。しばらくの間、三ツ者達は森の中を進んでいたが、私が注意をふと逸らした瞬間、森の中に低いが鋭い梟の鳴き声が響き、私を驚かせた。だが、私が驚いたのは唐突に聞こえた梟の鳴き声ではなく、梟の鳴き声がした瞬間、三ツ者達の動きがピタッと止まったことだ。その集団の七人全員が【全く同時に】だ。わずかな動きも無く、まるで森の風景画の一コマのように私には感じられた。しばらく無音の景色が続き、再び梟の鳴き声が聞こえた。今度ははっきりとわかった。梟の鳴き声は三ツ者の集団の後方から確かに聞こえた。琥珀だ。彼女が梟の鳴き声を真似ているのだ。だが、その鳴き声が人間のものであることを見破るためには、彼女がその鳴き声を真似ている光景を目にしなければわからないだろうと、私には思われた。二度目の梟の鳴き声で、幻蔵はその静止した瞬間の姿を維持しつつ、ゆっくりとあとずさった。他の五人は身じろぎもしない。ゆうに四半刻の半分ほども時間が過ぎたであろうか…幻蔵は琥珀の目の前にいた。琥珀は幻蔵が来るまでの間、わずかな身動きすらしなかった。幻蔵は琥珀のほうを振り向きもせず、彼女の前方から静かに声をかけた。


「いかがした、琥珀…」

「視線を感じる…四半刻前からずっとつけてきてる…十人程度…だと思う」

「…」

「この間隔の取り方といい、殺気の抑え方といい…」

「恐らく…三河の【饗談(“草”)】だね」


幻蔵はしばらく考え込むような様子を見せたがそれもほんのわずかの間で、静かに配下の者どもに伝えた。


「よし、皆の者、ここで饗談を殺るぞ!」


ここでもまた、人と人の殺し合いを見せられるのかと私はげんなりしたが、私の感情に気を配る者もおらず、状況は推移していく。最初に開けた場所に伏せていた、琥珀とともにいた四人の草達はすぐさま、準備に取り掛かったが、琥珀はそれを制した。


「いや、ここはあたしが引き受ける…幻蔵兄達は先に行って」

「…それに、一人の方が気楽に動けるし」


幻蔵は琥珀の言葉を聞いてほんのわずかの間黙ったが、琥珀の気持ちを翻意させるべく再び声をかけた。


「おぬしの実力に懸念を抱くわけではない…が、一人ではいささかきつい」


さらに、幻蔵の背後から何者かが声をかけた。


「ワシも残る、幻蔵達は先に行け」


私はその光景に強く驚かされた。声の主はあろうことか、“口を利かない男”のものだったからだ。いつのまにか集団の先頭にいたはずのこの男が幻蔵の正面に静かに佇んていた。幻蔵はそれにはすぐには応えずしばらくの間黙った。何事かを考えている様子に私には思えた。だが、その提案にあからさまに不機嫌そうな表情を浮かべている者が一人いる。無論、琥珀だ。不機嫌さを隠そうともせず、だが、感情を意識的に抑えながら琥珀は答えた。


「“あたしが引き受ける”と言ったんだ、残られても邪魔なだけだねっ」

「なっ、何じゃとっ!」


口を利かない男は瞬間声を荒げたが、それもすぐに幻蔵の声に静められることになった。


「よさぬか二人とも!そのようなことをしている場合ではない!」


「われらの今の使命は、お館様に敵情をお伝えする事じゃ。無駄にできる時間はまるでないのを忘れるでない」


「では、後を頼むぞ琥珀…」

「…」

「だが、無理をするな、お館様への報告が終わり次第、直ちに駆けつける。それまで持ちこたえよ」

「ああ、わかった…急いで!」

「うむ…」


口を利かない男は何か言いたげだったが、自分たちにまるで時間がないことは自覚していた。この男にとって、しばしば琥珀は本気で殺す気になるほど自分の感情を逆なでにさせる小娘だったが、今やるべきことを忘れる者は“三ツ者”ではいられない。どす黒い殺気を無理やりにねじ込んで、その口を利かない男は幻蔵に確認した。


「よいのか、幻蔵?」


幻蔵自身にもさまざまな思いが胸中に渦巻いたが、それをわずかにでも表には出さず、静かに答えた。


「“琥珀がやる”と言ったのじゃ、やり遂げるだろう…みな行くぞ!」


いつのまにか全ての者どもが3人を取り囲むように佇んていて、それに応えた。


「ハッ!」


琥珀を残して他の者どもは静かに去っていった。琥珀は暗い森の中に一人で静かに佇んでいた。菩薩のような柔らかな表情を面にたたえて…。


                                                 -第4話了

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