第3話 三ツ者と称される者ども


「そのような強い殺気をしばしば放つ者に“草”の仕事は務まらぬ!」

「!」


男の言葉を聞いて、少女はハッとして右手の親指を軽く噛んだ。頬が淡く赤らんでいる。殺気を意識的に抑えようともせず、他の者にそれを知られたことを恥じたのかもしれない。だが、そんな少女に穏やかな視線を向けながら男は言をつなげた。


「琥珀よ…」

「お主の“技” …恐らく、われらの中で最も秀でているやに思う。だが、せっかくの研ぎ澄まされた技も感情に影響を受けるようでは精度も鈍ろうというものだ」


少女は、その男の怒るわけでもなく、また、自分のことを甘く見ているわけでもない静かな語りかけに、高ぶった感情が徐々に冷やされていくのを感じた。


「…」

「琥珀、我らは名も無き“草”…」

「草に名はいらぬ、名誉も与えられぬ、無論、その生き様さえ知られることもない」

「…ただ、『技』のみが後の世に伝わる存在なのだ」

「草の道は修羅の道…鬼に逢うては鬼を討ち、仏に逢うては仏を討つ」

「例え、使命の相手が親兄弟でも、平静の心で相手を討つ…それが草だ」

「琥珀よ、そなたはまだ若い…」

「だが…草に若さ故の過ちは許されぬ!」

「草に『次』は無いものと知れ!」


少女の顔に、明らかに降参したような穏やかな表情が浮かんだ。元々造形の美しい可憐な少女だ。普段からにこやかな笑顔を見せていれば、今頃、村中の男の求婚を断るのにさぞかし苦労することだろう、そんな柔らかい笑みだった。


「わかった…わかったよ、幻蔵兄…」

「あたしが間違ってた…」


男の眼を見て素直に詫びるべきなのだろうが、若さゆえか、あるいは“性”を意識したものか不明瞭だが、かすかにはにかんだ表情に淡い朱の色を頬にさして、プイッと横を向いてそう答える琥珀だった。それを見て、幻蔵と呼ばれた男は明らかに優しげな視線を少女に投げかけているように私には感じられた。


だが、その2人が立っている位置から五間(約9m)程離れた所から、冷徹な視線を送る者がいた。幻蔵と呼ばれる男と一緒に現れた口をきかない男だった。その視線に気づいたのか、琥珀の赤らんだ頬がスッと冷えて、表情が厳しく改まるのが私には見えた。琥珀と呼ばれる少女と、その口を利かない男の間に激しい緊張感が沸き起こった。同じ草の仲間同士であろうと思われるが、まるで敵どうしといわんばかりの雰囲気だ。ほんの一瞬の間にまるで無数の刃物が飛び交うかのような異常な空気が当たりに立ちこめている。そんな雰囲気にわずかでも感化されることも無く、幻蔵はゆっくりと、そしてほんの少しだけ声を強めて二人を戒めた。


「やめぬか、二人とも!」


琥珀と口を利かぬ男は同時に幻蔵という男に視線をわずかに動かした。動かしたといってもその姿をじっと凝視でもしなければ気づかないほどの、ほんのわずかな眼球の動きだ。この者どもは、いかなる状況においてでさえ、自分以外の他人に先手を打たれる危険を冒すつもりは毛頭ないようだった。だが、それでも二人が幻蔵という男に注意を向けさせられたということは、やはりこの幻蔵がこの“草”の集団の長なのだろうと、私はあたりをつけた。


「そのようなことをしている場合ではない、一刻も早くお館様に状況を報告せねばならぬ!」


その幻蔵の言葉を耳にして、琥珀はすぐに殺気を収めた。その後すぐに、口を利かない男も同様に身を処した。お互いに課せられた使命を自覚しておくだけの分別は無論二人ともある。この時代、“草”は一族丸ごと各大名家に抱えられていることが多く、自身の働きは一族全体への評価になることを忘れる者は一人としていなかった。人や獣の命を奪うことに愉悦を覚えるほんのわずかな例外(異常者)を除いて、誰もが好き好んで『この道』を選んだわけではないのは私にはわかっていた。


この者たちを含め。この時代の大名家領内の多くの者たちは食うや食わずの生活をしている。そして作物を育て、そのうちの多くを“税”として徴収される。税を納める先は当然大名家だけではない、土地を貸し与える地主にも税を納める義務がある。多くの…、特に甲斐の貧民の者どもは生まれてこのかた、一度として自分の育てた米を口にした者は一人としていないというのも、まんざら根も葉もない噂というわけではなかった。ではいったい普段何を口にしていたかというと、稗(ヒエ)や粟(アワ)だ。この時代には珍しいことではない。後の時代は知らないが、この時代収穫物の量は天候次第で、毎年安定した量の作物を生産できる技術は未だ見つかっていなかった。


それに加えて、子供は “天からの授かりもの”だ。【ひどい時】には数年間毎年のように村の子供が増えていく。口減らしのために、泣きながら“鬼”となってわが子に手をかけることになったことも一度や二度ではない。『商いでもすればいい?』馬鹿な!…何の商いにせよ、“伝手”無くして商いなどできぬ。商いを始める準備金、商いを開く場所、その土地の領主への挨拶金…商いなどという業を行うことのできる者は“その道に生まれなければ決してなれない”のがこの時代だ。ならば、何で喰う?どうやって一族を喰わせていけばいい?そんな時代、己のまさに血のにじむような修練と鍛え上げた身体のみでようやく口に糊することのできる者ども…それが“草”なのだ。この者どもの平静のときでさえ尋常でない気配をまとっているのも至極当然であった。


いずれにせよ、この者どもは自らの糧を得る手段として、“甲斐の国の草”、つまり“三ツ者”の道を選んだ。当然、その道を志した者の全てが三ツ者になれるわけではない。三ツ者になることができる者は村の中で“草”を志す者から、素質がある者が選ばれて訓練が施される。時代が時代なら、“むしろなってみたい”などという物好きな輩がいるかもしれない。だが、それは大きな勘違いで、一家の兄弟の中で長子以外は必ず“草”に『ならざるを得ない』と言ったほうが実情に近いだろうか。考えてみれば当然で、元々猫の額に等しい土地を兄弟で分配しあい、作物を育てるという選択肢を考えること自体が非現実的なのだ。つまり、この時代、長子以外、特に長男以外の兄弟は“不要”なのだ。一方、女には“草”以外に別の道も残されてはいるが…こちらも当人にとっては愉快な将来像ではない。どちらも残酷な事実だ。

                                                                       -第3話了

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