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 担架に乗せ替えられた少女が信濃町の大学病院の救急搬送口の奥に消えるまで、真壁は見送った。蒼白な少女の顔を思い浮かべ、真壁は自分の制服の胸に染みができているのに気づいた。背中を軽く叩かれた感触があった。

「まだ、終わってない」

 後ろから、段田の声が聞こえた。

「戻ろう」

 現場に戻るまで、2人とも何も言わなかった。無線から、被疑者確保の報告は聞こえてこなかった。

 放置されたワゴンの周囲には、すでに立入禁止のテープが張り巡らされていた。現場を覗きこもうとする野次馬を押しのけてテープを潜ると、生活安全課か組織犯罪対策課の腕章をつけた私服警官に睨まれた。

 真壁は思わず睨み返した。今では逃走した被疑者のことばかり考えていた。テープの近くに立っていた有村が真壁の袖を引っ張り、低い声を出した。

「下がってろ」

「事情聴取は?」真壁は言った。

「もう終わった」

 有村の声音から、聴取はかなり厳しいものだったことが伺えた。それでも有村はネタをひとつ掴んでいた。捜査員の会話を傍聞きしたところ、被疑者は無認可の風俗営業者であるらしい。

 怒りが、明確な形となって真壁の胸の内に現れた。

 鑑識員が銀色のワゴンに張りつき、作業を続けている。トランク・ルームの内容物を路上のビニール・シートの上に並べていた。金属製の工具箱。薄汚れた毛布。小型の発煙筒。鑑識員の1人が、後部ドアの砕かれたガラス片を丁寧に集める姿が見えた。ガラスの割れた理由を、説明しに行くべきだろうか。車へ近づこうとした真壁は、別の鑑識員が後部座席から抱え上げたものに眼を停めた。ビニルの小さな包みを束ねている。

 ビニールで包装された注射器。大量の覚醒剤。男は売人でもある、ということだ。

 そのとき、真壁の無線が鳴った。少女の父親が署に来ていた。

 真壁は、少女の父親と眼を合わせることが出来なかった。

 新宿西署の小さな休憩室で真壁が遺族と会うことになったのは、事情聴取を捜査員が行う前に、少女の死に際を警察から伝えるためだった。

 少女の名前は、南野佳織といった。中野のセンターに総合照会をかけると、M号(未帰宅者・行方不明者)でヒットがあり、家族と連絡を取ることで身元が判明したという経緯を、真壁は生安課から説明を受けた。

 父親は電車を乗り継ぎ、署へとやって来た。少し長く伸ばした髪は乱れ、服装も外へ出るために身に着けただけという感じだった。

 真壁は一礼すると、二度と父親の前で顔を上げることが出来なくなった。父親との間に置かれた机の表面へ視線を落としたまま、真壁は佳織の最期について語った。大量の汗をかいた跡があったこと。痙攣が始まったこと。痩せた体が、少しも温まらなかったこと。微笑んだこと。それから、「ごめんなさい」と伝えてほしいと言われたこと。

 佳織の父親が座ったまま深く頭を下げたのは、気配だけでも感じることが出来た。机につくほど頭を垂らしたまま、しばらく何も言い出そうとはしなかった。真壁も、かけるべき言葉が見当たらなかった。誰もが黙っていた。同席した生安課の警官も、真壁の隣にいる有村も同じだった。

 やがて、父親が少しだけ顔を上げた。

「・・・タバコを吸ってるところを、見かけたのです」力ない言葉だった。「その時は、強く殴りました。一人娘として、ずっと大切に育ててきたつもりだったのですが」

 そして、怒ったように言葉を続けた。

「馬鹿な娘です」

 それから、娘について何も話そうとはしなかった。

 佳織と父親はずっとすれ違ってきたのだ。

 真壁はそんなことを思った。

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