第八夜 カクレヒトノミ

目を開けると私は飛行機に乗っていた。

周りを見回すと乗客は私一人しかいなかった。


飛行機は成田空港に着陸し、外へ出る扉が開きタラップが接続された。私はカバン一つを手に持ちながらタラップを降りた。カン、カンと靴底が鳴る。

私がアスファルトの地面に降り立った瞬間、飛行機は轟音を上げて飛び去ってしまった。

私は辺りを見回し絶句する。立っているところと飛行機が着陸したところ以外、海だったからである。日本は海に沈んでしまったのだった。

ふと後ろを向いてみると一隻のモーターボートが繋がれているのが見えた。私はそれに駆け寄り、モーターを作動させた。


ボートはとっとっとっ、と軽やかなリズムを音のしない青空に刻みながら前へ進む。私はカバンからコンパスを取り出し実家へと向かった。

海は穏やかで透明度は高く、覗くとビルや家などの建物とともに魚が見えた。イソギンチャクのようなものもいる。どの魚も群をなしており、心なしかオレンジ系の魚が多い気がした。


実家の上へ着いた。田舎の住宅街に魚は一匹もいなく、海の下も上も静まり返っていた。私はモーターボートに備え付けてあった酸素タンクを背負い、レギュレータを口に咥え潜った。するとどこからともなく薄ピンク色のふわふわした魚が私の元へ泳いできた。魚は私の周りをくるくると周りすり寄ってきた。それは飼犬の動きとよく似ていた。


私はさらに潜り玄関へ下り立つ。ドアをそっと開け、入ろうとすると薄ピンクの魚も後ろをついてくる。久しぶりに帰った我が家は小綺麗で置いてあるものも前とそう変わっていなかった。

私はリビングを泳ぎ抜けヴァイオリン練習室の扉を開けた。その瞬間練習室から銀色の小さな魚が群をなして出て行った。魚が通り過ぎる間、視界が銀色で埋まる。薄ピンク色の魚は銀色に揉まれて何処かへ流されて行ってしまった。

色の静けさが戻った後、私は部屋に大きなカクレクマノミとそれを支えるように生えるイソギンチャクがいる事に気がついた。私はそれらをカメラに何枚か収める。これらは多分新種なので後で学会に発表しようと思ったのだ。


イソギンチャクはゆらゆらと私を手招きし、クマノミは瞼のない目でこちらを見ている。ゆっくりと私は彼らに近付き挨拶をした。

「こんにちは」

するとクマノミは感情のない笑みを浮かべ魚語でこう言った。

『おかえりなさい』

クマノミの口元にあったホクロは言葉とともにうごうごとしていた。

そう言えば、私の母親の口元にもホクロがあったっけ。



ドイツに帰った私は空港の隣の建物が生物学会である事に気がついた。私はその建物にあるホールに飛び込み演説台へ立った。

「皆さん、聞いてください」

ホールには溢れるほどの人がいて、一斉に視線が私に集まる。

「私は、新種を発見しました。カクレクマノミならぬ…カクレノミです」

スクリーンに私の撮影した写真が写し出される。

「知ってるよ」

「どうせ日本のヤツだろ」

「あのデカいオレンジの」

聴衆からは意外な言葉が飛んできた。その中の一人が立ち上がり、言う。

「日本という島は水没。日本にいた人間や動物は全て魚になった。誰もがそんなことは知ってるぜ。知らないのは海外に住む日本人ぐらいだろうな」

笑い声が上がった。

私は問う。

「なんで…なんで教えてくれなかったんですか。そして、何故魚と化した日本人を救おうとしてくれないのですか」


「その方が君たちにとっては幸せだからだよ」


聴衆が一斉に言った。

私は眩暈を覚え、自分の頬に触れる。そこには柔らかい頰はなく、冷たく硬いエラが生えていた。


そして私の目は覚めた。

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