夢百夜

椿

第一夜 探偵の助手

目を開けると私は街の歩道にいた。

「ねぇ、君」

男の声で私は振り返る。そこにはオールバックでスーツの男がいた。

「君、俺の助手にならないかい?」

男はそう言うとひょろい容姿にそぐわない力の強さで私の腕を掴んだ。

「俺は探偵を職業としている。そして助手になりうる人材を探していた。君、助手にならないか?」

私を掴む手にさらに力が加えられた。

「ええ、良いですよ」

私は答えた。


男は私を車へ乗せた。目的地は知らされていない。

「俺の名前は○○。詳しくは目的地に着いてから話そう」

男はそれだけ言うと黙って運転を続けた。

車は舗装されていない道を長時間走った。だんだんと腰が痛くなってくる。

「着いた。降りろ」

私たちが降りたところは山の中だった。人の手が入っている気配はほとんどなく、草木が好き放題に伸び、太陽の光を遮っていた。


「助手にする前に、君には話しておかなければならないことがある」

男はそう口火を切った。

彼は確かに私に話をしたがその内容を私は全くと言って良いほど覚えていない。覚えているのはその話が私の逆鱗に触れたということだけ。

私は話を聞き、逆上した。地面を蹴り、その勢いで男の首に指を絡ませ力を入れる。男は叫び、暴れる。しかし私は指の力を弱めなかった。


ふと気が付くと、男は静かになっていた。ピクリとも動かない。

ああ、私が男を殺してしまったんだ。どうしよう。取り返しのつかないことをしてしまった。この場から逃げよう。

いや、もしかしてまだ死んでいないかもしれないぞ。私がいなくなった時に息を吹き返して警察に駆け込まれたりしたら面倒なことになる。ならば息の根をしっかり止めてしまった方が良いのではないか。私の冷静な部分が提案する。

息を整えてから私はどうすれば完璧に殺せるのかしばらくの間考えた。しかし答えは出なかった。

何気なく横を向くと乗ってきた車が目に入った。この車で谷や湖の所まで行き、男を沈めるのはどうか、と言う名案が浮かんだ。私は男を入れるためにトランクを開ける。するとトランクの中には大きな鋸が入っていた。

いや、鋸で切断した方が確実だ。

私は思い直し、男を切ることにした。男の服を脱がせ、脇へ置いてから私は解体作業に移った。

刃を男の首に当て、一気に手前へ引くと大量の血が迸しった。私の服に、顔に、口の中までに血は飛んだ。塩辛かった。

私は男の胴体を引きずってより鬱蒼と木が茂る場所まで移動し、捨てた。

頭は瞼を閉じさせてやってから、放り投げた。

そして私は彼の返り血が付いた自分の服を脱ぎ、脇へ置いておいた男の服を着る。男の方が身長が高かった為、私にはサイズが少し大きかった。


気が付いたら私は自分のベッドの中にいた。外は明るい。私は寝間着を着ていた。

良かった、昨日の事は全て夢だったんだ。私はほっと溜息をつきながら、寝癖を直すために洗面所へ向かった。鏡を見る。

顔に血が付いていた。頬に乾いた血が頬にこびり付いていた。

私は慌ててクローゼットの戸を開けた。昨日の男の服がそこにかかっていた。


夢じゃなかった。私は間違いなくこの手で男を殺してしまったんだ。いくら腹の立つ話を聞かされたとしてもそれを理由に人を殺すのは間違いだ。大きな後悔の波が押し寄せてきた。

私はその服を着た。内ポケットに何か違和感を感じ、私は中を弄ってみた。

中に入っていたのは一枚の名刺。「○○探偵事務所」と書かれており、下の方には小さく住所も印刷されていた。

その事務所に行ってみることにした。別に男の関係者に「彼を殺しました、ごめんなさい」と言いに行くわけではない。ただ、なんとなく。なんとなく行かなければと思ったからだ。


探偵事務所は街中のビルにあった。

事務所のドアをノックし、私は入った。

「おはようございます!」

身長の低いボブカットの女性がにこやかに私を迎えた。彼女は続ける。

「○○さんの助手さんですよね?話は聞いてます!」

きっと、男は私が殺してしまう前に事務所に助手が見つかったとでも連絡を入れたのだろう。私の事は事務所中に知れ渡っていた。


「あなたの席はここです。もうすぐ○○さんも来ると思うので待ってて下さいね。あの人、いつも来るのが遅いんですよ。困っちゃう」

明るく彼女は言う。男が死んだことを知らないからだ。彼はもう亡き者で、私がそれをした人だと彼女が知ったら、どんな顔をするのだろうか。

罪悪感がまた押し寄せてくる。

私は案内された席に座り罪悪感に押しつぶされるまま、机に突っ伏した。

私の鼻の記憶なのかふわりと血の臭いが漂ってきて気持ち悪くなった。

「おい、君」

ふいに話しかけられた。

「おい」

聞き覚えのある声だ。しかもつい最近。

「昨日、苦しかったんだけども」

私が顔を上げるとそこには昨日殺したはずの男が立っていた。

「それと頭を投げらるとは想定していなかったからここに戻るのに時間がかかった」

男は淡々と言う。私は「なんで」と言おうとしたが口の中が乾いて声が出ない。

「俺は不死身なんだ。不老不死さ。君なんかに俺は殺せない」

男は隣の椅子に座った。

「昨日俺を切ったとき、返り血が君の口に入っただろう?」

私は問いに頷く。

「おめでとう、これで君もどんな大怪我をしても死なない体になった」

男は笑みを顔中に広げながら言う。

「だから君を死ねない探偵の死なない助手としてこき使わせて貰うよ。よろしく」

最高の笑みを浮かべた男は私に手を差し出してきた。私は放心しながらも男の手を握り返した。


そして私の目は覚めた。

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