シーイズビューティフル

AceMasax

シーイズビューティフル


 夕暮れにカモメが飛んで行く。

『カモメは魚を取っていく。漁師は仕事にならないので、怒ってカモメを捕まえる。そうすると漁師はカモメの足を切ってやり返すから、彼らは死ぬまで飛んでいる』

 そんな馬鹿げた事を言っていたやつは誰だったっけ。忘れたな。そいつが馬鹿なやつだった事は覚えているんだが。

 あのなあ、鳥ってのは飛ぶ時はきちんと足をしまってるんだよ。

 そんな呆れるような嘘には騙されないぜ。とか思うと、たまに騙される大人がいるので世界は広いと思うのだった。

「ふう」

 港は気が落ち着く場所だ。学校帰りに寄るのは最高。心が安らぐ。

 潮の香りや魚の匂いが好き。漁師達が使う船と、それを繋げる古臭いロープを見ても楽しい。

 ちょっと近くで見ると、やはりロープらしいロープだな、と思う。それを扱う漁師のように、軟弱じゃない男らしさを感じるロープだ。

 港から繋がるテトラポッドには休みになれば釣り客が現れる。たまに雨が降っていてもいたりする。風が強い日は危ないらしく、流石にいない。

 来るのもいいが、ゴミは落としてくなよな。波打ち際にゴミが溜まって、住んでるやつには迷惑なんだ。

 いちいち片付けなきゃいけないし、何よりもそこに住む魚介類を主に食うのは誰だと思ってんだ。地元民の俺達だぞ。

「何やってんの?」

 のんびりと港の端で足を海側に投げ出して座っていたのに、それを邪魔する女子高生が現れた。

「海を眺めてるだけだ」

 厄介者め。高校だけじゃ飽き足らずにここまで来るか、この女は。その顔はもう見飽きているのに。

「海眺めるの好きだよね」

「好きだと、何か問題でもあるのか」

「問題はありませーん」

 言いながら、こっちの許可も得ずに隣りに座った。

「黙って座るなよ」

「許可が要るの?」

「隣りに座る時は相手の了承得るだろ、フツー」

「フツーじゃないもん、私。だからオーケー」

 彼女は持っていたカバンを後ろに置いて、足をぶらんぶらんと投げ出した。

 こいつが短めのスカートの制服を着ていた所為もあって、太ももが目についてしまった。もちろん、横目で見ている。

 嫌なもんだな、男と言うやつは。意識してなくても若い娘の生足が目の前にあると、ついつい見てしまうじゃないか。

「そういえばさ、中学の時に写生大会でここに来たの覚えてる?」

 太ももから視線を上げると、彼女は絵を描くような仕草を見せていた。

「覚えてるさ。あの時、俺はスケッチブックを海に落としたからな」

 あの写生大会は忘れようと思ってもなかなか忘れられない。完成間際の絵をついウッカリ海に落としてしまったからだ。

 ショックだった。近所やクラスではしっかり者で通ってたはずの俺が、どうしてあの時あんなヘマをしたのか。おかげでスケッチブックと一緒にしっかり者の名誉も海に返上してしまったじゃないか。

「先生には、お情けしてもらったんだっけ?」

「目撃者がいたからな。してもらった。むしろ、お前が目撃者だろ」

「おお、感激。覚えてたんだ」

 こいつと俺はあの時の写生大会では班が一緒だった事もあって、近くにいた。

 もっともクラスがひとつしかなかったから、班が違っても大した差は無い。

「そういや、あの時も今日と同じように俺の隣りだったよな?」

「おお、よく覚えてますなー。あの時は何年前だったっけ? 3年前だっけ?」

 足をバタバタとさせながら、こっちに視線を向けた。

 おい。気をつけないと靴が飛ぶぞ。

「中2の頃だったから、3年前だな。早いもんだ」

「早いね」

 彼女はバタバタさせていた足を止めて、しばらく黙った。

 しばらく特に喋る事もせず、2人で沈んでいく太陽を眺めていた。

 鳥の鳴き声が静かな海に響く。地元の放送が時間を告げる。

 陽がもうすぐ沈む。太陽が真っ赤に染まって、海に沈んでいこうとしていた。

「あ」

 カモメが俺達の目の前を飛んでいった。

「あのさ」

 おもむろに、こっちに視線を合わせて彼女が沈黙を破る。と同時に、何故か彼女との少し距離が狭まった……ような気がする。

「なんだ?」

 にやにやしながら、こっちを見ていた。

 この顔は何かを企んでいるかハッタリをかますか、の顔だ。

「知ってる? カモメって足が」

「漁師に切られて、死ぬまで飛んでるんだろ?」

 こっちがそれを思い出した途端、こいつは小悪魔っぽく笑った。

「ふふ、それも覚えてたんだ」

 くっそう。憎たらしく笑いやがって。この冗談言ったの、こいつなんだよな。どうして忘れてたんだ、俺は。初めて言われた時はすっかり騙されたと言うのに。

 すっかり騙されたから、すっかり忘れていたのだろうか。思い出してから考えても遅い気がするけど。

「とか言っても、ついさっきまでは忘れてたけどな」

「だって、小学校の低学年の時だもん」

 再び海に放り出された生足をバタバタさせ始めた。昔話をすると足をバタバタさせる癖でもあるのか、こいつは。めくれるぞ。

「あの頃に戻れればいいのに」

 遠くを見るように、ただ静かに呟いた。

「どうかしたのか?」

 彼女はきょとんとした顔をすると、バタバタ足を止めた。そして、さっきまでのにやにやとは違う、穏やかな微笑を見せる。

 夕陽でそれは彩られていた。小さい時から見慣れている顔も、その影響もあってか綺麗と思わざるを得なかった。錯覚かもしれない。思春期特有の。

「別に何にもないよ。夕陽なんか見てたら、センチメンタルな気分になっただけ。あの頃は楽しかったなあ、って」

 伏せ目がちになっていた彼女のまつ毛が風で少し揺れた。

「そりゃあ、子どもの時は楽しいさ。下らない事に頭を悩ませなくていいんだからな」

「そうだね」

 ふと、こいつが何かに気付いたかのようにこっちに顔を向けた。

 同時にまた何故か彼女との距離が少し縮まった気がする。

「ねえ? 熱っぽくない? 顔色悪いよ?」

「は?」

 確かに夕陽を浴びたから少々は熱っぽいだろう。特に気にするほどの物でもない。顔色は自分ではわからないが、どうなのだろう。

「もしかして、ちょっと熱があるんじゃない?」

「ねえよ。具合悪く無いし」

「いやいや、わかんないよ。具合が悪くないように感じても、熱がある時ってあるんだから。計ってあげるよ」

 何か強引に押し切られたように、彼女はこちらのおでこへ手を伸ばしてきた。

 こいつの手って、やっぱり華奢で細い。やはりこんなんでも女の子だよなぁ……。

「のわっ!」

 おでこに行くはずの手が、突然こっちの視界を遮るように置かれた。

 当たり前だがこっちは驚いて、こいつの手を払い除けようとした。まさにその瞬間、今まで感じた事も経験した事も無い感触を感じた。


「熱はないみたいねっ!」

 手をこっちの顔から離すと、彼女は素早く立ち上がりカバンを手に取って、その場を去っていった。

 俺は走る後姿を視線だけで何とか追いかけ、届かないとわかりながらも呼び止めようと手を伸ばした。

「お、おい!」

 声に反応して、体ごとこちらへ振り向き、彼女は照れくさそうに笑う。

「今のも、忘れないでよね」

 くるっと体を半回転。再びスカートを翻して、また走っていった。

 走って去って行く後姿は暗がりの今ではもう見えない。

 追いかけようとも思ったが、少し茫然自失気味だ。

「ったく、どうしてくれる」

 俺はあの感触を感じた部分を手で押さえながら、うっすらと光を帯びた海平線を眺めていた。

 意識してもしなくても、あの瞬間を思い出してしまう。

「帰るか」

 真っ暗になる前に、早く帰ろう。

 色々振り切って立ち上がり、歩きながら色々考えていた。


 いやしかし、あんな事するにしても、いくらなんでもいきなりは無いだろう。

 ああいうのは、心の準備が要るんだよ。それにあれだ。初めてだったし。

 とりあえず今色々考えても、どうしようも無い。

 明日学校であいつと話さなければ、何もわからないし整理もつかない。

「……うーむ」

 ちゃんと話せるだろうか。なんだかんだで考え込んでしまう。だが幸いなことに考えなくてもひとつだけわかることがあった。

 

 唇に残ったこの感触は、絶対忘れないだろうな、ってことーー。

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