ごく当たり前な日常 四



 To Heaven


 団体の客が二組入って来た後、社長の言う通りその男は表れた。


 顔は写真のとおりで、筋肉質な体型だった。


 手が空いているスタッフがその男をテーブル席へと案内する。


 男がテーブル席に座ったのを確認するとオーナーの案内で麗華れいかが男の座った席へと誘導する。


 席の近くまで来るとオーナーがその男に麗華の紹介をする。


「お客様。お待たせしました。ご紹介します。こちら麗華です」


 オーナーが頭を下げた後、麗華が一歩前へ進み頭を下げて笑顔で挨拶する。


「初めまして。麗華です」


 麗華が挨拶し終えた後テーブル席に座っている男も麗華に対して挨拶する。


「あ〜どうも。は、初めまして」


「隣に座っても宜しいですか?」


「あ、え〜どうぞ」


「失礼します」


 麗華が男の右隣に座ったのを確認した後また頭を下げてその場を立ち去り、男と麗華を二人っきりにした。


 オーナーが去った後麗華がポシェットから名刺を取り出して男に渡し、満面の笑みで自己紹介を始める。


「本日はご指名ありがとうございます。では改めて自己紹介しますね。私は麗華と申します。趣味は大好きな人とお酒を飲むことです」


 男もそれに続き自己紹介を始める。


「え〜と私は久保田くぼた寿明かずあきと言います」


「寿明さんですね。本日は宜しくお願いします」


「あ、はい」


 座った直後に自分の膝と久保田の膝をくっ付ける。


――効いてる効いてる。


「To Heavenは何処どこで知ったんですか?」


「あ~知人の紹介で此処ここ」を知ったんですよ。深夜に営業しているキャバクラなんて珍しいですからね。」


「そうでしたか、確かにこんな時間帯に営業出来るのはうちぐらいですから、珍しいですよね」


「え~、しかし……お、お綺麗ですね」


「いえいえそんな、ありがとうございます」


 麗華はそんなことはないと口では否定するが、内心では自分は美人であると肯定している。


「ご職業は何をされているのですか?」


「あ、え〜と前までは中学校で社会の教師をしていたんですが、色々ありまして、辞表届けを出して現在は就活中でして」


「へ〜そうなんですか。教師なのも凄いけど、自分から辞表を出して辞めるなんて何かカッコイイですね」


「そ、そうですか?」


「そうですよ」


「あ、後免なさい。お酒飲まれますよね? つい話に夢中になっちゃってて」


「あ、いえ、大丈夫ですよ」


 久保田は緊張で話がぎこちないでいる。


「取り敢えず水割りでいいですか?」


「あ、はい」


「ウイスキーと焼酎どちらお飲みになりますか?」


「あ〜じゃあ焼酎でお願いします」


「はーい」


 麗華はポシェットから自分のハンカチを取り出しコースターとしてテーブルに置きその上にコップを乗せた。氷をコップいっぱいに入れた後、マドラーを使って馴染ませる。


 馴染ませた後隙間が出来た為、その分また氷を追加する。


「久保田さん。お酒どれくらい入れますか?」


「れ、麗華さんのお任せでいいよ」


「かしこまりました」


 麗華はお酒はコップの三分の一を入れ、お水を入れる。そしてまたマドラーでかき混ぜて馴染ませ、コースター代わりにしていた自分のハンカチで水滴を拭き、久保田の前にコップを置く。


「は〜い麗華の作った特製水割りです」


「あ、ありがとう」


 通常キャバ嬢はお酒を作る際にも客と話をしなくてはならない。しかし、敢えて麗華は会話をしない。何故なぜなら麗華はこの沈黙を利用しているからである。


――見てる。見てる。本当にいやらしいわねこの男。


 実際に久保田はお酒が出来るまでの間麗華を舐め回すように様々なところをジロジロと見ていた。


「ど〜ですか? 麗華の作った特製の水割り?」


「あ〜美味い。水割り作るの上手いんだな」


「わ〜褒めてくれて嬉しいー」


 麗華は久保田の鍛えあげられた太い腕に絡みつき、自分の胸を久保田に押し付け、自分の頭を久保田の頭に乗せる。


 久保田は胸を押し付けられたことにより、少し頬を赤らめ、麗華から顔を逸らした。


――おっぱい当ててるだけなのに焦っちゃって、本当に男って分かりやすい。


「腕太いんですね! 私筋肉がある男の人すっごい好き!」


「普段鍛えてるからな」


――そろそろ攻め時ね。


「ね〜麗華もお酒飲みたいな〜ウォッカ頼んでもいいかしら?」


「あーいいぜ」


「ありがとうございます」


 承諾を得た麗華は絡んでいた久保田の腕を解放し、テーブルの脇に置いてあるボールペンと付箋を取り、付箋にウォッカと書く。


 そして書いた付箋をスタッフに渡す。


 付箋をスタッフを渡した後久保田の方に向き直り、質問にする。


「ね〜久保田さん。どうして中学校の先生をお辞めになったのです? 麗華ちょっと気になるな〜」


 本来キャバクラ問わず仕事場で客と会話する際に相手がマイナスになることを聞くのはタブーである。だが。


「辞めた理由か?」


「はい。気になります」


「そ、そうか」


 久保田は麗華の気になりますという言葉に少し動揺していた。そんな久保田の気持ちが少し揺らいでいると、スタッフが先程頼んだウォッカを持って向かって来る。


「失礼致します。こちらウォッカになります。ごゆっくり」


 スタッフが立ち去ったのを確認した後麗華は久保田にストレートか水割りで飲むかを質問する。


「ストレートと水割り、どちらがいいですか?」


「水割りで頼む」


 さっきまでのぎこちなさは無くなり、徐々に麗華に対して心を開いていた。


「分かりました。では私が水割りを作っている間お話してくれますか?」


「分かった」


 麗華が水割りを作り始め、久保田は中学校の教師を辞めた理由を話し始める。


「俺はある1年のクラスの担任を任されていたんだ。そのクラスにいる一人の奴とトラブっちまってな」


「うん、それで?」


 麗華はコップに氷を詰めながら聞いていた。


「俺はコイツのせいで中学の教師生活を台無しにされたんだ。今アイツのことを考えただけで、アイツが憎くて憎くて仕方がない!」


「その生徒さんは一体久保田さんに何をしたんですか?」


 麗華は氷を詰めたコップをマドラーで馴染ませていた。


「アイツは授業中俺に反発を入れやがったんだ! そして俺のことを罵り、そして恥を欠かせた」


「そうでしたか……」


 麗華は偽りではあるが悲しそうにマドラーで馴染ませ続ける。


「そしてアイツはさらに、俺の元妻の理恵りえに俺が浮気していると嘘を吹き込みやがったんだ。その結果、俺達は離婚した……クソ!! 許せねー! もし会ったら一発、いや、あの憎たらしい顔面を何度も殴ってやる!!」


 麗華は敢えて相づちを打たず、馴染ませたコップにほんの少量のウォッカを注ぎ込み水を入れ、またマドラーで馴染ませる。


 久保田は両膝に両手を置き顔を下に向けていた。


 そんな麗華は久保田に水割りのウォッカ久保田の向いている下のあたりのテーブルに置いた。


「ごめんなさい久保田さん。私何か聞いちゃいけないこと聞いてしまいましたね」


「あ〜いいんだよすまねぇ。酒が入ってるせいかつい感情的になっちまった」


 そんな久保田を励ますように久保田の頬に自分の左手を触れさせ、慰めの言葉を掛ける。


「その生徒さんがどうであれ、私は寿明さんのこと、嫌いになれる自身はないかな~」


「え?」


 麗華は同情したかのように久保田に向けて優しい微笑ほほえみを見せる。偽りの微笑ほほえみを。


――男って、本当に単純。


「さぁ、今日は飲みましょう。せっかく来て下さったんですから。楽しみましょうね」


「麗華さん……」


――フフッ……落ちたわね。


 この時点で久保田は麗華に心を奪われていた。麗華の言動が全て偽りだとは知らずに、久保田は惚れた女性と楽しく酒を交わしていた。

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