番外編
正反対の行方
俺、相原慎にとって梶玲一というのは不可解な同級生だった。
人嫌いではなさそうなのに、人をあまり近づけない雰囲気を持っている。かと言って人当たりが悪いわけでもなく、話しかければきちんと反応するし、頭が悪い感じもしない。むしろ頭はいい方だろう。
でもこちらから近付いていかない限り、梶からは他人に寄っていかない。馬が合っても胸襟を開くわけでもない。
いつまで経っても距離感は一定のまま、自分で親友と言ってみても、人から親友と言われていても、俺と梶が互いのことを深く知ることはなかった。
こちらにはそう感じさせないくらい当たり前のように線を引かれているのだと、踏み込むなと言われているのだと、気付いたのはいつの頃だったろうか。
高校進学の際の進路についても、家の事情についても、将来のことについても、梶は自分からは何も言わなかった。たぶん梶にとっては俺に相談することでもなければ、伝える必要のあることでもなかったのだろう。
特別親しそうなふりをしながらも、俺にはそうやって一定の距離を置いている。そのくせ従兄弟の各務姉弟や三枝には無条件に無防備に甘えて頼る。
高校に入ってその様を見せつけられれば当然、面白くなかった。
各務姉弟はまだいい。親戚で小さい頃からの付き合いとなれば他と違うのも納得できる。それでも、親類でもない三枝にまで同じような態度なのには腹が立った。
そっちに頼るくらいなら俺に話せと、俺の方を見ろと、いつも思っていた。
――そうだ。俺はずっと梶に対して腹立たしさと、苛立ちと、それだけでは表現できいないような気持ちを抱えていたのだ。
「まあ、俺には最初からわかってたけどねえ。相原がどうして生徒会に入ったのかとか、なんで梶君に苛々してたのかとか。大体あんなに露骨に挑発されたら誰だって気付くと思うけどねえ。実際のところ気付いてたのは俺と杉浦くらいだってのが驚きだよなあ」
三枝はのんびりと言ってジョッキに残っていたビールを飲み干した。
高校時代の生徒会の先輩でもある三枝は大学生になっても相変わらずどこか人を食ったような話し方をする。飄々として掴みどころがないくせに、妙に核心を突くようなことばかり言ってくるのは変わらない。
――いや、むしろ今の方が色々と話してくれているのかもしれない。
「杉浦、ですか」
「ああ」
三枝のにやにやと笑う顔に反発心を抱きそうになりながらも、今なら笑える。俺の苦笑に満足したのか三枝は話を続けた。
「梶君も桜も人の動向には鈍いからなあ。あれは遺伝だな」
「……そうですね」
俺が起こした一連の行動の意味を理解するのに無駄なほど時間がかかった梶のことを思い出すと、自然と笑みがこぼれる。なんだかんだいって俺は、そういう梶のことを好ましく思っている。それはたぶん、三枝も同じなのだろう。
そこに含まれるニュアンスは少しばかり違うだろうけれど。
「幸せそうな顔しやがって。で、どうなんだ? 最近は」
三枝は追加で頼んだビールに口を付ける。その顔が楽しそうで少し悔しいが、それはこの際置いておくことにする。こう言うのも悔しいが三枝には勝てる気がしない。
「元気ですよ」
「ばっか、そんなのはお前の顔見りゃわかるんだよ。ったく何の話してんだよ。お前と梶君の関係はうまくいってんのかって聞いてるんだ」
梶の前では優しげなふりをしていたようだけれど、素の三枝は意外と男らしい話し方をする。知的な顔をしている割にそういう話し方をするせいで、ぐっと男っぽく感じられるから不思議だ。
「まぁそれなりに」
「へえ?」
「なかなか平日は会えませんが」
「そりゃそうだろう。勤め始めてまだ半年だろう。慣れるにはまだまだ時間かかるんじゃないのか」
「どうもその通りらしくて。やっと携帯電話買ったと思ったら、なかなか繋がらなくて。これじゃあ前と変わらないですよ」
愚痴ってビールを口に含むと三枝が何の遠慮もなく笑う。大きな口が楽しげに歪んでいる。
「前から思ってたけど、お前って意外とガキっぽいよな。自信の塊の相原はどこにいったんだか」
そんなことを言われても困る。俺にどうしろというのだろうか。
高校を卒業する前に梶とはきちんとした恋人になった。俺がなかば力押ししたことは否定できないが梶もまんざらでもない様子だったと思う。
ちゃんと俺のことを見て、俺のことを考えて、そうして梶は俺の側にいることを選択した。
俺に甘えることも、頼ることも、自分の引いたラインの内側に俺を入れることも、梶にとってはハードルが高いだろうことはわかっている。時間がかかるのも頭では理解しているつもりだ。
それでもちゃんとした関係を築いた数ヵ月後には高校卒業となってしまって、その関係がひょっとして揺らいでしまうのではないかと、柄にもなく不安なのだ。
社会人として働くようになった梶と、大学生の俺とでは立ち位置が随分と違う。それが気持ちを変えてしまうきっかけになるのではないか。懸念は消し去れない。
その上で休みの日はそれなりに家族と過ごしたいと言われると、腹が立つのだ。自分勝手な言い分だと百も承知で、でも少しはこっちを優先して欲しいという気持ちにもなる。
そもそも頻繁には会えないのに、休みの日に抱きしめることもキスすることもできないのでは不満も募る。そういう意味で梶の身体に触れることも許されていないのだからなおのことだ。
恥を忍んで素直な気持ちを口にしたら三枝にはまた笑われた。
「やっぱ梶君の方が大人だな。そりゃあセックスは目安にはなるけど、それがすべてじゃないだろう。俺には梶君の、愛情というか気持ちを大事にしたいっていう方がわかるけどな」
「それは、そうですけど」
「相手は鈍感なんだし、そんなに焦ることもないだろう。大体梶君はお前と違って多情じゃないんだから、身体の繋がりなんかなくてもいいんじゃないか」
言外に、『お前が浮気をするなよ』と言ってくるあたり意地が悪い。
「……そういう三枝さんはどうなんですか、最近」
「あ? 俺か?」
「そうですよ。椿さんとはうまくいってるんですか」
三枝は笑いながらつまみの枝豆に手を延ばす。
「うまくいってるから桜が静かなんだろうが」
言われてみればその通りで、もし椿との仲がうまくいっていなければ桜のことだ、今すぐにでも椿と別れろと騒ぎ立てているはずだ。そうでないということは二人の仲は平和なのだろう。
「それもそうですね」
「あいつも今は別のことで忙しいだろうしなあ」
「……まぁ、そうですねぇ」
人の悪い笑みを浮かべる三枝は心底楽しそうだ。親友でもある桜が杉浦に追いかけられている様が面白くてたまらないのだろう。
こう言ってはなんだが、爽やかな見た目を裏切るいい性格をしていると思う。できれば敵にはまわしたくない相手だ。
笑っていた三枝がふと時計を見る。つられるように左腕の時計に目をやると二十三時をまわったところだった。いつの間にか時間が結構経っていたようだ。
「そろそろお開きにするか」
「そうですね」
三枝に同意して席を立った。
十月になると夜は冷え始める。そんな中を二人で駅に向かって歩いていると、ふと三枝が呟くようにして言った。
「ま、幸せならいいんじゃないの。焦りは禁物ってね」
「……そうかもしれませんね」
夜空を見上げた。街灯の光が強くて星はかすかに見える程度だけれど、秋の夜空は吸い込まれそうなほど綺麗で心が澄んでいくような気分になる。
そこに好きな相手の姿を思い浮かべて切ないような、でも温かい気持ちになった。
無性に声を聞きたくなって、今度の週末にでも電話をしてみようかと思った。
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