第25話

七月に入って夏期特別講習――通称、夏特が始まると、大学進学を目指している人たあるちの熱気が一段と増す。

 高校最後の夏休みは追い込みの絶好のチャンスだから、現役合格を目指す人はこの時期から俄然色めきたつ。

 それは就職組にも言えることで、夏休みは色々と重要な時期だ。高卒の採用については学校を通しての斡旋も多くあるが、今は合同の説明会が開催されたりとそれ以外の方法もある。情報を個人で調べることもできるようになってきたので、そうした調べごとをするのに時間はどんどん費やされていく。

 それでも耳に入ってくる大学生の就職にまつわる話に比べれば、枠は狭くても恵まれているのかもしれない。実際、大変なことは大変だけれど、働かなければならない切実さがある分、こちらに分があるような気もする。

 そうして夏休みの間はなんだかんだとばたばたしていたので、当然のように相原に会う機会はなかった。

 向こうは受験生なので、今頃は勉強に励んでいて、そうそうお気楽に遊んでいる暇はないだろう。

 ……いや、案外、相原なら涼しい顔で適度に息抜きをしているかもしれないけれど。

 そもそもクラス分け以降、相原と顔を合わせること自体が減っていたのだ。

 六月に新生徒会が発足し、会長職を後進に譲った相原は直接生徒会の指揮を執ることはなくなった。いわゆるオブザーバー的な位置になったことで、仕事をやる必要も、俺に雑用をやらせる権力もなくなったというわけだ。

 同じクラスだという理由を除けば、相原と顔を合わせるのは生徒会絡みだった。だからそれがなくなってしまったらむしろ会う理由がない、といえばいいのか。要するに会わなくなってもそれが当然の流れと感じだ。

 三年になってすぐの頃は、今まで同じクラスだった相原や奥住がいないことに違和感を覚えたり、寂しさを感じたりもしていた。向こうも俺に気を遣ってくれたのか、昼休みは一緒に過ごそうと誘ってくれたりもした。

 初めのうちはそれをありがたく思っていたけれど、文系と理系では受ける授業も違うから時間がかみ合わないことも多い。クラスが物理的に遠いこともあり、割とすぐに面倒になってしまった。

 結局は俺から申し出て昼食は別々に摂るようになった。相原や奥住もそうした事情を考えてはいたのだろう。特に強固に反対されることもなかった。

 そうやって一緒に行動することが減ると途端に疎外感を覚えて、そんな自分に落ち込んだこともあった、一体いつの間に一人でいることを寂しいと感じるようになったのだろう。我ながら情けなく思った。

 だけど同じクラスにはちょっと騒がしい中野や落ち着いている杉浦がいて、そうした仲間に囲まれているうちに段々と寂しさは消えていった。むしろ今では相原のいない生活が当たり前になっていた。



「じゃあ相原とは全く会ってないわけだ?」

 目の前に座る三枝は実に意外そうな表情をしてそう言った。一方で三枝の隣に座る桜は話を聞いて複雑そうな顔をしている。

「そうなんですよ。まぁだからと言って、会わなくてどうということもないんですけどね」

「へえ、そんなものかね」

 三枝は、俺と相原が全くと言っていいほど関わっていないことを余程の珍事とでも言いたげだった。

 夏休みも折り返しを迎え、あと二週間もすれば始業式といった今日、三枝、椿、桜、俺の四人は西美原駅近くのファストフード店で久しぶりに顔を合わせた。

 きっかけは大学生の三人がようやく夏休みに入った八月の始め頃にかかってきた桜からの電話だった。三月のパーティであんなことになってしまったから埋め合わせをしたい、ただし相原と杉浦は抜きで、ということだった。

 それでこうしてこの四人で会っているわけだ。

 ファストフード店で昼食を採りながら近況報告を兼ねて雑談していたところで、それで先ほどの話題になったというわけだ。

 ついでにこの後はカラオケに行く予定らしいのだけれど、今日俺が負担すべき料金は全て桜持ちだ。つまりそれが埋め合わせということらしい。

「そんなもんですよ。大体が、今まであいつに振り回されてることが多かっただけで」

「そういえば玲ちゃんよく生徒会室に呼び付けられてたもんねー」

「そうそう。周りはみんなそう言うし、まぁ実際よく出入りしてたのは認めるけど」

「ってことはもう二人のコンビは見られないわけだ」

 面白おかしく言う三枝は、一体何を期待しているのだろう。

「コンビも何も、最初からそんなもん組んでないですよ」

「あ、そうなの?」

 爽やかに笑みながらすっ呆けたような口調の三枝に、すぐさま桜が鋭すぎる視線をぶつける。それでもすぐに視線を逸らして口を閉ざしたままなのは、三枝に『俺と相原の間で何かが起きた』ことを感じさせないための心遣いかもしれない。

 桜にしてみればその怒りは収まりようがないのかもしれないが、俺としてはもう済んだこととして水に流してしまいたい。というよりも、頼むから桜の記憶から早く削除してほしい。

 例えあれが俺の本意ではなくて、桜によって助けられたのだとしても、あんな恥ずかしいところを見られたなんて本当にやってられない。頼むから早く忘れてほしい。

 切にそう願っていると、桜がふと口を開いた。

「向こうは受験生だからな。玲は玲で就活関係忙しいんだろう?」

「まぁ」

「そっかぁ、玲ちゃん調子はどう?」

「……どうにかなるんじゃないかな」

 どうにも答えるのが難しい椿の質問に、俺はとりあえず上辺だけの笑みを浮かべて答えておいた。

 それにしても、あの事件以降、桜が相原のことを庇うなんて珍しい。

 そのことに驚いているうちに桜がそろそろ出るかと促してくる。

 俺は急いで残っていたジュースを飲み干して席を立った。三人に続いて外に出ると、容赦なく強い陽射しが降ってくる。

「あっつー」

 そう言ってふと、相原とまともに顔を合わせなくなって随分経っていたのだと、急にその事実が胸に落ちてきて、ひとひらの寂しさが舞ったように感じた。




 □ □ □ □ 




 桜たちと会って何かがおかしい。

 おかしいというよりも、急に寂しさが込み上げて来たというか。心に開いた、今まで気付かなかったくらい小さな穴に、突然気付いてしまったような。

 気付いてしまうとやたら気になって、今までの自分が嘘のように、相原の存在が近くにないことを寂しいと感じてしまうようになった。当たり前のように隣にいた存在がいないだけで人はこんなに落ち着かなくなるものなのだろうか。

 相原にちょっとだけでいいから会いたいな、などと思ってしまうあたり重傷だという自覚はある。むしろ転げ回りたいくらいおかしい発想だと思う。唯一の救いは、これが恋愛感情ではないと言い切れることだろう。それだけは間違ってもないと言い切れる。

 少なくとも相原も俺も恋愛対象は女の子だ。間違ってもそんなことは――。

 そこまで考えて、例の生徒会室での一件――といっても相原の余罪はまだ他にもあるが――を思い出して、まさかそんなことはないだろうと自分の考えを必死に打ち消す。暑さにばてた頭はろくな考えを生み出さないみたいだ。

 浮かんだあまりに恐ろしい考えに部屋のベッドの上で固まっていると、来客を知らせるインターフォンが鳴った。

 夏休みの宿題をさっさと終わらせた智也は毎日のように友達と遊びに行っている。今日も例外ではなく家には俺しかいないので、自分が出るしかない。

 夏ばてのせいか妙にだるい身体を仕方なく動かして、玄関へと降りていく。

「もしもし」

 受話器を取って話しかけても返答はない。不審に思って玄関を開ければ、そこには会いたいと思っていた本人がいた。

 正直に言って驚いた。まさか突然、本人が目の前に現れるとは思いもよらなかった。

「よぅ」

「……おぅ。今日はどうしたんだ? いきなり来るなんて珍しいな」

「いや、なんとなくな」

「なんだよ、それ。まぁ、上がれ」

 相原は俺がすすめるまま靴を脱いだ。

 こうやって相原がうちに来るのはすごく久しぶりな気がした。それ以前に、会うこと自体がかなり久しぶりなのだけれど。

 俺は迷ったあげく相原を部屋に上げることにした。

 二人分の麦茶を持って上がると、以前のように相原は椅子に腰掛けていた。出しっぱなしになっているサイドテーブルにトレイごと置いて、俺はベッドに座る。

「なんかあったのか?」

「……特に何があったわけでもないんだけど」

「じゃあなんだよ」

 いまいち相原の言いたいことがわからない俺が、笑いを込めて言うと相原も苦笑を返してきた。けれどそれが普段の相原とは何か違う気がして、どきりとする。

 だるい身体を起こしているのが辛い。けれどなんとなく相原の前で隙を見せてはいけないような気がして、身体を倒さないように耐える。

 やたらと高い体温に促されるまま、汗をかいている麦茶のグラスに手を伸ばす。

「よくわからないけど」

 そう言って相原が立ち上がってベッドへと近づいてくる。いつかのことが頭をよぎって、理性は何か行動を起こせというのに、身体はそんな意思とは関係なく動かない。

 それを知っているのか、相原は俺が持ったままのグラスを取り上げてテーブルに置いた。その手が俺の頬に添えられた。

「なんか、お前に会いたくなって」

 零された呟きに俺は目を見開いた。

 相原が同じことを考えていたとは思わなかった。受けた衝撃につい笑ってしまうと、相原は珍しく傷ついたような表情をする。眼鏡がないせいで表情がよくわかる。

 相原の手の熱さが今は何故だか心地よくて目を閉じる。なぜそうしてしまったのかはよくわからない。

 頬にあった手が背中と首のあたりに回される。そのまま体重をかけられて、抵抗をしなかった俺の身体はあっさりとベッドの上に倒れた。

「お前、熱いな」

 相原が耳元で言う言葉にも目を閉じていた俺は、手が動き出すのを感じてはっと目を開いた。

「何してんだよ」

 あまりのだるさに適当に羽織るようにしていた半袖のシャツのボタンを外される。止めようとしても、身体にはあまり力が入らなくて意味を成さない。

 相原の手は抵抗という抵抗が為されないのをいいことに、自由に身体の上を動く。その度に背筋がぞくぞくして気持ち悪かった。

「止めろって」

「梶」

 相原の頭を押して遠ざけるようにした腕も掴まれて、手首のあたりにキスされた。熱い息が触れて我知らず身体が震える。

「親友はこんなことしない、だろ」

 口でしか抵抗が出来なくてそう言えば、そうだったかなとしれっとした顔で流された。そのまま相原の片手が身体の中心に持っていかれるのを感じて、かっとなる。

「止めろ!」

「でも」

 服の上から撫でられるとそれが存在を主張しているのを感じてしまう。恥ずかしさでさらに体温が上がる気がした。

「感じてるぞ」

 相原の直接的な言葉に羞恥心が爆発しそうになった。

「そんなのは生理現象だ!!」

 大声で叫ぶと酸素を使い過ぎたのか、くらっとして目の前が真っ暗になった。

 そこで俺の意識はぷつりと途切れた。

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