第16話

冬休みが明けて登校してみると、世界が変わったように見えた。

 というか実際、世界が変わっていた。

 新年最初の登校日、周りに珍しいと言われながら久しぶりに一人で登校した。

 別に今までも、わざわざ相原と待ち合わせをして一緒に登校していたわけでは、もちろんなく。ただ、なんとなくいつも同じ電車に乗り合わせていただけだ。

 高校生になってまで誰かと一緒じゃないと登校しない、なんて非生産的だと思う。大体俺も相原もあんまりそういうことに執着はしないし、駅で会わなかったら特に待ちもせず登校するタイプだ。

 今日だって、たまたま智也がまだ登校日じゃなかったせいで、いつもより早く家を出た。それだけのことだ。

 いつもより早いせいで当然のように相原はいなかったし、俺も相原を待とうなんて思いもしなかった。

 そんなわけで俺は一人で登校したわけなのだけれど。

 学校に着いた途端、俺は予想外にもいろんな人に捕まって問い詰められる羽目になったのだった。

 そう、俺の知らない間に世界は変わっていたのだ。

「ねえねえ、梶君。今噂になってるの本当なの?」

 教室に入ってから一通り人にもまれた後、ようやく自分の席につくと中野がさりげなく寄ってきた。

「なかのぉぉ、もうその質問はいいよ……」

 疲れて肩を落とすと中野は面白そうに笑った。

「だって興味わくじゃない? あんな噂聞いちゃったら」

 文化祭で散々こき使ってくれた中野とはそれ以来仲良くやっている。中野は力強く粘り強い割に、男っぽいというか、なんともあっさりしてるところがあって、付き合いやすい女の子だった。

 少なくとも恋愛対象には今のところなりようもないタイプなだけに、なかなかに貴重な友人だ。

「だからって俺に聞くなよ。俺は何も知らないっての」

 息を大きく吐いて頬杖をつくと、中野は俺の前の席に腰を下ろす。

「なぁんだ。本当に知らないんだ?」

「だから、そう言ってるだろ」

「でも梶君なら知ってると思ったんだよ」

「あーのーなぁ」

 呆れ返った俺は頬杖をつくのを止めて身を乗り出した。

「別に俺はあいつの行動全てを把握してるわけじゃない。大体俺とあいつは、何もかも逐一包み隠さず報告し合うような間柄じゃねーよ。そもそもだな、自慢じゃないがあいつの考えることを理解できたためしなんかない。そんな奴の思考回路を俺に解けって言ったところで無理に決まってるだろ。そんな無理難題をいたいけな俺に押し付けるな」

 一気にまくし立てるとさすがに驚いたのか、中野は少し気圧されたように身を引いた。

「……なんか相原君に怨みでもあるの?」

 再び身を乗り出して来て小さな声で聞かれると逆にどうにも答えようがなく、結局

「…ないけど」

 と答えるしかなかった。

「まぁ梶君がいたいけかどうかは置いておくとして、相原君ってどこか天才肌な人だもんね。一緒にいると苦労したりするわけ?」

「前は振り回されて大変だった。今はそれなりに慣れたよ。一々振り回されてたら身がもたないことがわかったから」

「大変だね……」

 心底同情してくれているような中野の表情に、むしろ苦笑が零れた。

「そういえばさぁ、相原君と梶君って、中学から一緒なんだよね?」

「そうだよ。あんまりかかわりあいになりたくはなかったんだけど、中二のとき席が隣で、それがきっかけ」

「なんでかかわりあいたくなかったのよ?」

 興味津々という風な様子にため息をつきながら答えると、中野は一瞬顔を強張らせて、その後ずいっと顔を近づけてきた。よほど聞きたいらしい。

「だってさ、あいつは中学のときから有名なたらしだったんだぞ? そんな奴と誰が好き好んでかかわりあいたいと思うんだよ。ま、あいつはそんなことに関係なくクラスの中心的存在だったけどな」

「……中学からたらしだったんだ……。じゃあさ、そんな相原君が今あんな風に噂になってるのはどうなの?」

 そう言って顔をドア付近で話している女の子たちに向ける中野に従って、俺もそちらを見る。

「ねぇ聞いた? 相原君のこと」

「聞いた聞いた。女の子たちの誘いを全部断ったんでしょう?」

「もう周りに女の子を置かないことにしたって」

「硬派になったんだって~」

「でも、硬派になった生徒会長なんてかっこいい!」

「ほんとー! 硬派になった方が、相原君は断然いい!」

 女の子たちの会話に思わず目が点になりかけながら視線を中野に戻す。その顔がどう?と言っている。

「だーかーらー、俺に聞くなっての」

「ごめん、ごめんって」

 頭を抱えるようにすると中野はまた笑ったようだった。

 そう、この日を境に相原はたらしから一転、硬派になってしまったのだった。




 □ □ □ □ 




 朝から生徒会室にこもっていたらしい相原がホームルームのために教室に入ってくると、俄かに周りがうるさくなった。

 今まで相原の周りについていた女の子たちが一斉に相原を囲む。

「相原君、噂、本当なの?」

「ごめんね。これからは軽い付き合いはしないことにしたんだ。だからもうデートとかはしないよ」

 にっこりと笑いながら優しげな声で謝る姿に、女の子たちはめげることもなく、むしろガッツポーズでもしそうな勢いだ。

「謝らないで! 私たち、相原君が硬派になっても味方だから!」

「そうよ! 私たちそんな相原君も好きだから!」

「そうそう!」

 などと口々に相原へのエールを送っている。

「本当にごめんね。これからも友達でいてね」

 殊更に見せるような微笑みに歓声が上がる。眼鏡越しでもその眼差しにやられてしまっていると見える。

 というか彼女たちは、自分たちが一度にあっさり振られているのに、それにすら全く気付いていないような素振りだ。

「女の子って不思議……」

 言いながら視線を騒がしいドア付近からそらすと、また中野が笑った。

「彼女たちは逞しいっていうか、本気で相原君を好きっていうよりは、アイドル崇拝に近いんじゃない? ただ……まぁ、相原君のたらしっぷりにもよるよね。だって一応不特定多数の彼女と付き合ってたんでしょ。それをいともばっさり、特に問題もなく切れるなんて、やっぱりすごい人だよね~」

「そこは褒めるべきとこか?」

 的確――と俺は思う――な指摘をすると中野は少しむっとしたような顔になった。

「別にいいじゃない。けど、どうやら本当に硬派になったんだね」

「らしいな。こんな日が来るとは思わなかった。あんなたらしが更正する日が来るなんて驚きだ」

「何それ。なんか梶君、相原君の母親みたいだよ」

「なんだそりゃ」

 そんな、なんてことはない会話をしていると担任の田中が教室に入ってくる。出席簿を肩にのせる格好の田中は相原の周りにできてる集団を片目に、いつもの台詞を言う。

「席着けー」

「おっと、じゃあね」

 そう言って中野は自分の席に戻っていく。それと行き違いになるようにして奥住が隣の席に座った。

「やばかった。ギリギリセーフ……」

 息をきらせながら話しかけてくる奥住に

「珍しいな、遅刻ギリギリなんて」

 と聞くと

「いや、途中でいろんな人に捕まっちゃって」

 と、あまり聞きたくないような答えが返ってきた。

 奥住は鞄から一通りのものを出すと、つ、と俺の方に身を寄せる。

「なぁ、相原がたらし止めたって本当?」

「奥住……」

 真剣な顔で問いかけてくる奥住に、俺はがっくりと肩を落とした。



 その後も、始業式のために体育館に移動するときやちょっとした隙に、学年、性別を問わずにいろんな人に同じ質問をされた。

 本当はたらしから硬派になったことを知っていだけれど、正直かかわりあいになりたくなくて、結局、俺は知らぬ存ぜぬで押し通した。

 実際疲れたような顔をしている――に違いない――俺に、たいていの人は労いと同情の声を寄せてくれた。最後の方は少し感情的になって「本人に聞け!」なんて言ったにも関わらず、だ。

 とはいっても、そもそも俺に聞かれても本当に困るのだ。

 あの廊下での一件の後、あいつは何食わぬ顔でみんなのところに戻った。

 俺もどうしようもなく、結局は何もなかった振りをすることしかできなかった。そのまま何事もなくゲームで騒いだ後、高校生らしく九時時前にパーティはお開きになった。

 その時以来、今日まで俺は相原とは会っていなかった。

 初詣に行かないかと正月に奥住に誘われたときも、そのメンツの中に相原がいると聞いて断ったのだ。

 だから冬休みの間に相原に何があったのかなど知るわけもなく。ましてや普段から奴が何を考えているかわからないのだから、休みのときに何を考えていたかなんて余計にわかるわけもなかった。

 相原が何を考えているかなんて、結局俺にはさっぱりわからないのだ。



 始業式後のホームルームが終わり、いい加減同じことを聞かれるのが嫌になって、俺はさっさと教室を出た。他のクラスはまだ終わってないのか、廊下には殆ど人がいない。

 チャンスだと思って足早に下駄箱まで移動する。誰かに捕まる前に、と急いで靴を履き変えて校舎から出る。

「梶君!」

 後ろから大きな声で呼ばれて振り返るとそこには桜と三枝がいた。

「三枝さん、桜ちゃん。あれ、椿ちゃんは?」

 いつも必ずといっていいほど桜の隣にいる椿の姿が見えない。

「友達と約束があるって、まだ残ってる。それより玲、早いな」

「ホームルームが早く終わったから……」

 そこまで言って、どこか笑みを含んでいる三枝の表情にすごく嫌な予感がした。

「ねぇ、相原が硬派になったって本当?」

「……三枝さん……」

 俺は最後の最後にやってきたそれに、泣きそうになるのを必死で堪えたのだった。

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