第60話『尊厳』

「さあ、この20年間について決着を付けましょうか、氷高さん」


 いよいよ、この時がやってきたか。

 晴実さんが水代さんの幽霊のように立ち振る舞い、謝罪の言葉が出たら少しは優しくするつもりだったけれど、実際には全く口にしなかった。おそらく、今も水代さんや相良さんに対して謝る気は全くないのだろう。

「決着って?」

「知らないふりをしても無駄ですよ。さっき言ったでしょう? あなたがこれまでやってきたことを旦那さんに伝えたと。あなたが20年前、水代円加さんと相良悠子さんをいじめたこと。そして、水代円加さんがこのホテルで自殺した直前、相良さんが彼女を突き放すことを言ったことを口実に脅迫していると。世間にばらされたくない代わりに、毎年夏、このホテルで最高級のおもてなしをせよ、と」

「藍沢さんと俺でそのことを話したら、旦那さん……がっかりされていました。ですが、旦那さんは以前から疑問に思っていたそうです。通常の部屋よりも安い値段で、こんなにもいい部屋に泊まれることに。総支配人である相良さんと学生時代の知り合いだということも存じていたそうですが、それでも安すぎると。その点については理由が分かってスッキリしていたようでした」

 ただ、旦那さんは、七実ちゃんと悠太君がこのホテルで楽しそうに過ごしていることを知っているので、氷高さんに理由を訊けなかったようだ。


「……それで? あなた達は私をどうしたいの? 私を家族から引き離すこと? 世間に私のしてきたことを公表すること? 答えなさいよ、相良悠子!」


 氷高さんはそう激昂する。逆ギレか。

 どうやら、氷高さんには反省という言葉がないようだ。そんな彼女には厳しい未来しか待っていない。

「……恐喝、脅迫、侮辱、威力業務妨害の罪であなたを逮捕することよ。ただ、あなたがすべきことは円加に謝罪をして、反省すること。そのついでに私にも」

「逮捕? はあ? 私があなた達に何をしてきたのよ。20年も前のことを、今更グチグチ言わないでよ。だから結婚もできなければ、恋人さえもできないんじゃないの? 水代円加は女同士で付き合おうとして気持ち悪いから虐めた。そして、あんたに対しては価値を生み出してやったのよ。あんたの大好きな水代円加を口実にしてね」

「円加を理由にして、価値を生み出したですって……?」

「ええ。あんたも水代円加と同じく、生きるのに無価値な女好きの人間。そんなあんたのことをこの私が利用して価値を生み出してやったのよ。あんたみたいな女でも利用できるんだってね。有り難いと思いなさいよ」

「ふざけないで!」

「相良さん!」

 相良さんは激昂し氷高さんに殴りかかろうとするけれど、紬さんが後ろから抱きしめることによって制止される。

「紬ちゃん、離してよ!」

「ここで氷高さんを叩いてしまったら、彼女と同じ立場になってしまいます!」

「だけど……」

 相良さんが氷高さんのことを殴らずにいられない気持ちも分かる。ただ、紬さんの言うようにここで殴ってしまったら、氷高さんと同等の人間に成り下がってしまうだろう。

 それにしても、想像以上に氷高さんは水代さんや相良さんのことを悪く思っていないようだ。相良さんのことについては、むしろ自分がやったことが正しいことのように言っている。どうやって、そんな彼女から謝罪の言葉を引き出すか。


「……七実ちゃんが言っていましたよ。迷子になっていた七実ちゃんを助けたとき、男女関係なく、好きな人と出会いたいって」


 絢さんは落ち着いた口調でそう言った。確かに、七実ちゃんは男女関係なく好きな人と出会いたいと言っていたな。キラキラとした笑顔を俺達に見せながら。

「もし、七実ちゃんが水代さんや相良さんと同じように、女の子のことが好きになって、付き合うことになったら気持ち悪いと虐待しますか? 生きるのに無価値な人間だと言って見放しますか?」

「そんな、子供は別……」

「子供に許せるのであれば、自分が過去にやってきたことが過ちだということが分かるのでは? 水代さんと相良さんに謝罪できませんか? 20年も前のことなんですから」

 絢さんはそう言って、氷高さんへと詰め寄る。

「……あなたの方がよっぽど生きているのに無価値な人間だと思いますよ」

 遥香さんは静かにそう言うけれども、氷高さんに向けた視線はかなり鋭い。

「女の子同士で付き合っているので、今の話を聞いていてとても腹が立ちますね。人を好きになる気持ちはとても素敵なもので、それを気持ち悪いと言う権利もなければ、無価値だと言ってはいけないと思います」

「私の半分も生きていないのに何を言って――」

「女性と付き合っている経験はあなたよりもあります。絢ちゃんと付き合っていく中で、同性が好きだからこそ、同性で付き合っているからこそぶつかった壁もあります。でも、誰であろうと好きになること、愛し合うことに価値があると思っているからこそ、その壁を乗り越えた人達を私達はたくさん見てきました。私と絢ちゃんにもありました。告白されただけで水代さんを虐め、彼女が亡くなったからといって相良さんを虐めて脅迫するあなたに、とやかく言われる筋合いはありません!」

「くっ……!」

 さすがに、現在も絢さんという女性と付き合っているだけあって、遥香さんの放つ言葉にはとても重みがあったな。遥香さんと絢さんはこれまでも同性で付き合っているからこその壁にぶつかり、乗り越えてきたのか。

「氷高さん、彼女達の言葉を聞いても納得できませんか」

「当たり前よ! こんな子供に散々言われて……」

 やっぱり、そう言うと思った。

「……氷高さんや相良さんはおそらく、あなたとは比べものにならないくらいに辛い想いを抱いていたんですよ。あなたを中心として」

「あの2人の受ける苦しみは妥当なこと! 私の苦しみは不当なことなの!」

「20年前と変わらずあなたは水代さんや相良さんより偉い立場だと思っているようですね! でも、異性と付き合う方が人として上なんですか? 結婚して子供を産む方が人として上なんですか? 違うでしょう! みんな同じです。愛せる人がいてもいなくても。たとえ、愛する人が同性であっても。それさえも分からないのですか。俺達より倍近く生きているのに」

 氷高さんはとにかく自分が正しいと思い込み、自分の意に反する人を勝手に下に見ているんだ。

「藍沢さんの言葉に俺が付け加えておきます。女性同士で付き合うことがどうしても気持ち悪く思えてしまうこともあるでしょう。しかし、否定せずに、それも一つの生き方であると認めることはできると思います」

 坂井さんの言うとおりだな。気持ち悪く思ってしまうこともあるだろうけれど、それも一つの在り方なのだと認めること。20年前はできなくても、今……大人になっていればできそうなこと。でも、氷高さんには難しいか。今の彼女の態度を見たらそう思ってしまう。

「氷高さん。水代さんと相良さんに謝罪してください」

「するわけないでしょ! 藍沢君がこんなにも私の考えに理解してくれないとは思ってもいなかったわ!」

「まるで俺が悪者みたいに言ってくれるじゃないですか。それに、俺はあなたの考えに賛同する旨の発言は一度もしていませんよ。まあいいです。では、旦那さんは奥さんのことについてどうお考えですか?」

「えっ……ど、どういうこと?」

「香川さんが持っている坂井さんのスマートフォンと、あなたの旦那さんのスマートフォンはずっと通話状態なんですよ。俺達の話を聞いてもらうために。ゲームコーナーにいるので、旦那さんにはイヤホンを付けてもらっていますが」

 俺達だけで氷高さんの気持ちを変えることのできない可能性も考慮して、旦那さんにも俺達の会話を聞いていてもらった。それは旦那さんの希望でもあったわけだけど。俺と坂井さんが事前に話したことが本当であると確かめたいからと。

「旦那さん。今の話を聞いて、率直な感想をお願いします」

 今の状況からして、氷高さんの気持ちを変えることができるのは旦那さんだけだ。


『……今の話を聞いて、藍沢さんと坂井さんの話が本当であると確信しました。正直、信じられない気持ちもありますが。裕美……然るべき罰を受けてきなさい』


 旦那さんは落ち着いた口調で氷高さんにそう言った。どうやら、旦那さんは俺達の言ったことを正しく理解してくれたようだ。

「どうしてそんなことを言うのよ、あなた!」

『……その言葉、そのまま返すよ。20年前、水代さんという女の子に告白されたとき、どうして気持ち悪いと言ったんだ? 坂井さんの言うように、気持ち悪いと思ってしまうことは仕方ないとして、いじめは絶対にしてはいけないよ。そして、相良さんまでもいじめ、脅迫したこともな』

「うううっ……」

『子供達にとっても辛い状況になるだろうけれど、俺の方からしっかりと説明するよ。いつ、君が戻ってきても大丈夫なように、俺がしっかりと2人を守っていく。2人に謝れないなら、その分もしっかりと罰を受けないとね。水代さん、相良さん……妻が大変なご迷惑をお掛けしました。申し訳ございませんでした。藍沢さん達も楽しい旅行になるはずが、妻のことで台無しにしてしまい、誠に申し訳ございません。後ほど、夫として改めて謝罪させていただければと思います。俺がいなくなって不安になったのか子供達が来てしまったので、これで失礼します』

 そう言って、旦那さんの方から通話を切った。旦那さんがここまで真面目でいい人だったなんて。旦那さんの姿を見て、少しはまともな考えを持てなかったのかな、氷高さんは。

「そんな……」

 まるで、感情さえも失ってしまったかのように氷高さんは無表情で俯いている。

「氷高さん。うちの上層部と相談して、あなたのことで既に警察には通報したわ。いつかはあなたを逮捕するために証拠も取っておいたから。まあ、現在進行形で私に脅迫をしているから、警察に証拠を見せればあなたは逮捕されるでしょう」

「嘘だ、私が……相良悠子なんかに嵌められるなんて。私が正しいはずなのに……」

 氷高さんは頭を抱え、首を激しく横に振っている。この様子では、今の相良さんの言葉もまともに聞けていなさそうだ。

 しかし、氷高さんが顔を上げてこちらの方を見た瞬間だった。


「ど、どうして2人いるの! まさか、生きて……」


 彼女は驚いた表情をして、そう叫んだのだ。

 そして、彼女が指さした先には浴衣姿の晴実さんが2人いた。

「直人先輩! これって、まさか……」

「ああ、そのまさかだろうな。何故なのかは分からない。でも、俺達は……普通なら会うことのできない人と会えてしまっているみたいだ」

 背の高さも、ロングヘアの黒い髪も同じだけれど、胸の大きさだけは違いがはっきりと分かった。つまり、晴実さんの横に立っている浴衣姿の女性は――。


「円加、なの?」

「……そうみたいだね、悠子ちゃん」

「お姉ちゃん……」

「……晴実。まさか、水代円加が動いている姿を……自殺した後に生まれた子達に見せることができるなんてね」


 そう、晴実さんの横に立っているのは、水代円加さんなのであった。

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