第59話『虚実亡霊』

 今日は呑み過ぎちゃったかも。

 旅行だからか、いつになく旦那がお酒を勧めてきて。調子に乗ってワインまで呑んだら凄く眠くなってきちゃった。


「裕美。眠そうなら、今日は部屋に戻ったら? 七実と悠太は俺がゲームセンターで遊ばせるから。そうすればゆっくりと眠れるだろう?」

「……そうね。じゃあ、お願いしてもいい?」

「ああ」


 ふふっ、こういう優しいところがあるからうちの旦那は自慢できる。おまけに超かっこいいし。

 そういえば、七実を助けてくれた藍沢君……だっけ。彼にはちょっとキュンときちゃったかも。七実がずっと藍沢君のことを言っているのも分かる気がする。私がもうちょっと若いか、彼がもうちょっと年齢を重ねていたら不倫しちゃっていたかもね。


「じゃあ、私は先に部屋に戻って寝るわね」

「うん、分かった!」

「おとうさんとおねえちゃんといっしょに、ゲームコーナーであそんでくるね」


 七実と悠太のことは旦那に任せて、私は1人で部屋へと向かう。

 子供が生まれてから1人の時間があまり作れていなかったから、たまには1人の時間も作らないとね。もしかして、それを考えて旦那は子供達をゲームセンターに連れて行ってくれたのかな?

 そんなことを考えながら、私は宿泊している部屋に戻る。

 あいつを脅迫したことで、この部屋に泊まってから今年で10周年だけど、最高級の部屋だけあって全然飽きが来ない。このホテルで唯一いいところはこの部屋だけ。


「ちょっと寝よう……」


 電気も点けずにベッドへ直行。

 ベッドで仰向けになると程良い眠気が私を包み込んでくれる。いいや、今日はもうこのまま寝ちゃおう。お風呂は明日の朝にでも――。


「このまま気持ち良く眠るなんていう甘いこと、させないよ。それでも寝たいなら私が永遠に眠らせてあげようか? 氷高裕美さん」


 えっ、何なの? 今の声……どこかで聞き覚えがあるような。とても耳障りなこの声ってもしかして――。


「20年前の夏のこと、あなたも覚えているでしょう? ある1人の女子高生がこのホテルで投身自殺をしたのよ。忘れたなんて言わせない」


 やっぱり、この声……水代円加のものだわ! まさか、20年経って亡霊として私の前に現れたっていうの? 小心者のくせに。


「……覚えているわよ。でも、あれは……相良悠子のせいじゃないの!」

「そう言って、私の死を利用して悠子ちゃんのことをいじめて、苦しめたよね。私の自殺を利用して脅迫までして。20年経つと卑怯さも酷くなるんだ」

「だって、彼女はあなたを突き放したことを言ったじゃない! だから、ああなったのは当然の報いなのよ!」

「……当然の報い? じゃあ、その言葉……あなたにも味わわせてあげるわ」


 彼女がそう言うと、突然、部屋の照明が点いた。すると、


「きゃああっ!」


 どうして……ベッドの側に浴衣姿の水代円加が立っているの? 

 いや、よく似ているけれど違うか? 側に立っている女性をちゃんと見てみる。透き通った白い肌に黒色のロングヘア……やっぱり水代円加だ。水代円加の亡霊が私のすぐ目の前に立っている。


「ど、どうして……」

「ふふっ、いいわね。その青ざめた表情。知っているでしょ? 私はこの20年間……ずっと、ホテルとその周辺にいたのよ。もちろん、悠子ちゃんを見守るために。そして、いつしか……あんたに対して然るべき罰を与えるために。でも、私、小心者だから……そうするまでに20年もかかっちゃったよ」


 そう言うと、水代円加は私の上に跨いで、私の首を両手で絞め始めた。


「く、苦しい……」

「……このくらい苦しむのは、当然の報いでしょう? いいわね、その表情。そういった表情をもっと見せなさいよ。20年分の苦しみを一気に味わわせてやる。何度も首を絞めて、何度も苦しめてやるよ。止めて欲しかったら悠子ちゃんと私に謝りなさい!」

「う、ううっ……」


 あの2人に謝ってたまるか。そんなの一番の屈辱じゃない。絶対に言わない。そんなに鋭い目つきで睨まれても。そんなに強く首を絞められても。

 それにしても、どうしてこの女はこんなにも温かいの?

 どうしてこんなにも重いの? 

 どうしてこんなにも柔らかいの?

 まるで、生きている人間のように。20年も経つと、水代円加の心霊を人間のようにさせてしまうの?


「さあ、早く言ってごらん? ああ、絞められているから何も言えないんだ、ごめんねぇ。それでも言えよ。言ってみろよ。はっきりと!」


 そう言って、水代円加は更に強く私の首を絞めてくる。このままだと……本当に死んじゃう。水代円加に……殺される!


「前振りはそのくらいにしておきましょうか。どうやら、氷高さんは謝る気配がないようなので」


 私が水代円加の両手を掴んだとき、そんな声が聞こえた。

 今の声は……もしかして、藍沢君? どうしてここに?


「……そうですね。藍沢さん」


 水代円加はそう言うと私の首から手を離し、ベッドから離れていった。そのことでようやく苦しみから解放された。

 体を起こすと、そこには相良悠子や藍沢君達の姿があった。知らない人も含めて10人くらいいる。どうして、こんなにも大勢の人が私の部屋にいるの? 旦那や子供達の姿はないけれど、まさか!


「旦那さんと2人のお子さんは絶対にここへは帰ってきませんよ。夕方、あなたが海で遊んでいるとき、俺と坂井さんで旦那さんと話し、俺達の用件が終わるまでここには戻らないように説得したので。もちろん、その際にあなたがこれまでやってきたことを話しました。随分と旦那さんはがっかりしていましたが、子供達のためだと言って協力してくれていますよ。今は2人のお子さんと一緒にゲームコーナーにいます」

「……そういうこと、なのね」


 藍沢君と坂井君。落ち着いている優しいイケメンだと思っていたんだけれど……どうやら違ったみたい。特に藍沢君は七実を助けてくれたからてっきり私の味方だと思ったのに、見事に裏切れたわね。


「裏切られたとか思っているかもしれませんが……これも当然の報いなのでは?」

「……言ってくれるじゃない、藍沢君」

「そもそも、俺は一度もあなたの考えに同意していませんよ」

「へえ……大人を馬鹿にしたらどうなるか、思い知らせてあげようか?」


 よくも、私の家族を壊してくれたわね。こうなったのは、やっぱり相良悠子と水代円加のせいだ。あいつらさえいなければ、こんなことにはならなかったのに!


「その言葉、あなたにお返しします。これまで20年間、自分のやってきたことに反省もせずに好き勝手に過ごしたらどうなるか、思い知らせてあげましょう。晴実さん、あなたは紬さんの側にいてください。後は俺達に任せてください」

「分かりました」


 もしかして、私の首を絞めていたこの子って……水代円加の妹なの? 今になって、彼女には妹がいるかもしれないという話を大学時代に聞いたことを思い出した。ということは、妹が水代円加の霊を真似ていたってことか。

 しかし、藍沢君は依然として爽やかな笑顔を浮かべている。


「さあ、この20年間について決着を付けましょうか、氷高さん」

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