第54話『剣を交わす』

 8月7日、水曜日。

 午後2時。俺は母校である洲崎町立洲崎第一中学校の剣道場で、笠間朋基のことを1人で待つ。昨日の夜に浅水先生に連絡をして、剣道室を特別に開放していただいた。

 ここにいると、唯や笠間と一緒に剣道をしていたときを思い出す。夏休みには唯の練習に付き合わされていたっけ。この生ぬるい空気の中で。

 やがて、入り口の方から足音が聞こえてくる。そして、


「よお、藍沢。久しぶりだな」


 私服姿の笠間がやってきた。白いワイシャツを着ていて、彼らしい爽やかさが感じられる。


「すまないな、急に呼び出して」

「気にするなよ。お前が帰ってきたのを知って、一度は会いたいと思っていたんだ」

「そうか」


 ゴールデンウィークの時は唯の事件の真実を明かしたことで、あまり元気がないまま別れてしまったけれど、元気になっているようで良かった。これも、高校で彼女ができたおかげなのかな。

 まあいい。笠間とゆっくり話すのは後にして、


「笠間。ひさしぶりに会ったんだ。一度、俺と剣を交さないか」

「……ああ、もちろんだ」


 俺から誘ったからか、笠間は嬉しそうに答えた。

 倉庫に授業用で使う剣道の道具一式が揃っているので、俺達はそれを身につける。

 俺と笠間は何度も剣を交わす。


「面!」


「胴!」


「小手!」


 何度やっても、笠間に勝つことができない。ゴールデンウィークのときは俺の方が勝っていたのに。あのときに比べて、俺の動きは鈍く、笠間の動きは良くなっている。彼との差が浮き彫りになっていた。


「もう、ここら辺にしようぜ、藍沢。俺とここで会おうとした理由は、ただ、俺と剣道をするためだけじゃないんだろう?」


 そんな笠間の言葉に正直、苛立ちもあったけど、このまま続けてもどうせ負けるだけだという諦めの方が勝っていた。

 俺はその場で竹刀を離し、ゆっくりと仰向けに倒れ込んだ。


「だ、大丈夫か?」

「……ああ。それに、今の俺じゃこうなると思ってた」


 本当は勝ち負けにこだわっていたんじゃない。笠間と剣道をすることで、昔の感覚を取り戻して、何か答えを考えられるんじゃないかと思っていた。でも、そんなことで解決できるはずもなくて。


「俺、ゴールデンウィーク以降は剣道に打ち込めるようになったんだ」

「……彼女ができたからか?」

「……ああ」

「そういえば、美緒がお前に告白したらしいじゃないか」


 俺がそう言うと、笠間は少しの間黙り込み、その間に小手、面、胴の順に外していく。俺も笠間と同じように防具を外す。

 すると、笠間は持ち前の爽やかな笑みを浮かべて、


「確かに俺のことを守りたいって言ってきたけど、俺には分かってたんだ。それは柴崎のことがあったからで、好意は全然ないってさ。むしろ、藍沢にしか向けられていないってことも。それに……当時から、俺には高校に好きな人がいたからな」

「……そうか」


 そのこともあって、美緒は夏休みに入るとすぐに俺のところに来たわけか。


「彼女に告白しようと思い始めたとき、初めて藍沢と同じ悩みにぶつかったよ。俺は柴崎という好きだった人を助けられなかったのに、別の人を好きになって、告白していいのかってさ。そのことで、誰かを傷つけるんじゃないかって」

「でも、笠間は告白して、その彼女と付き合っているんだろう? どうして、笠間は告白できたんだ」


 笠間に彼女が出来たと知ってから、そこがずっと気になっていた。唯の死を実際に目撃した笠間がどのようにして、気持ちを整理して告白までに至ったのか。そこに罪悪感は抱かなかったのかと。

 笠間はふっと笑って、


「死ぬ直前まで、藍沢のことを想っていた柴崎は笑っていたから」


 静かにそう言った。


「誰かを好きになれるっていうのは、凄く幸せなことなんだと思う。想いを伝えることができた柴崎は、藍沢にフラれたことのショックはあったと思うよ。でも、告白できたことは嬉しかったんじゃないか?」

「そんなわけないだろ! だったらどうして、俺が振ってしまったとき、唯は寂しそうに笑っていたんだよ! 嬉しいはずなんて……」

「でも、藍沢のことを諦めないって言ったのは事実だ。それは俺が保証する」

「けれど、俺にとって、唯は……俺のせいで死んだようにしか思えないんだよ! 俺が唯を振っていなければ、彼女は死ななかったんだって……」


 気付けば、俺は涙を流していた。

 どんな風に考えても、結局、唯は俺が振ったせいで死んだ。だから、そのトラウマで彩花達の告白に返事をすることができない。その結論に至ってしまうのだ。そのままではいけないと分かっていても。


「そうかもしれないな……」


 今にも消えるような声で笠間はそう呟いた。


「けどさ、そう言ったところで柴崎は生き返らないし、何も生まれない。ただ、藍沢が罪悪感に飲まれていくだけだぞ」

「だけど……」


 俺がそう言った瞬間、笠間に左頬を殴られ、胸ぐらを掴まれる。そのときの笠間の表情は真剣そのもの。


「目を覚ませ、藍沢! 柴崎は2年前のあの日に死んだんだ! 俺も柴崎には今だって生きてほしかった! でも、柴崎が死んだことは、今の俺達がどうやったって絶対に覆せないことなんだよ!」


 気迫のこもった笠間の言葉に、心も体も震えた。そのせいなのか、笠間に殴られた左頬からじわじわと痛みが広がる。


「自分のことで悩む藍沢を見たって、柴崎はきっと喜ばない。あいつは藍沢が誰かと幸せになることを一番に願っているんじゃないか? 柴崎はそういう奴だと信じているよ」

「……本当に、そうなのか?」


 俺の夢に出てきた唯は、あの日、自分を振った俺のことを恨んでいるようだった。入院しているとき、御子柴さんと仲良くなったことをとても嫌がっているように見えた。それは俺の抱く罪悪感が生み出した幻の唯だったのか……?


「俺の夢に出てきた唯は俺のことを恨んでたんだ。誰か他の女子と仲良くなることを許さないって言って、俺のことを殺そうともしたんだ。本当の唯はそんなことを全く思ってないのか……?」


 どうにか確かめたかったのだ。唯の本当の気持ちを。俺の夢に出ていた唯が本物だったのか。それとも、違うのか。


「……そりゃ、嫉妬するかもな。でも、藍沢が決めたことにきっと、背中を押してくれると思うぜ。柴崎が死んでしまった今、俺達が柴崎の気持ちを知ることはできない。俺達にできるのは信じることしかないんだ。だから、俺は……今付き合っている子に好きだって告白できたんだ。だから、今度は藍沢の番だ。椎名達の告白に対して決断するんだ。なかなか決められないんなら、俺が力になるからさ」


 笠間がそう言ってくれた瞬間、俺の中で何かが動き出したような気がした。


 ――唯が死んでしまった今、信じることしかできない。


 当たり前のことを、笠間は受け入れることができたんだ。だから、告白という一歩を踏み出せた。

 果たして、俺にもそれができるのだろうか。

 ただ、できるのなら……したい。苦しみから解き放たれたいとかじゃなくて、今まで見ることのできなかった未来を自分の目で見てみたいのだ。


「椎名や北川から藍沢のことは聞いてる。相当悩んでいるんだな」

「……ああ。だから、色々あったよ」

「それでも、藍沢はここにいる。俺にはもうすぐ藍沢が納得する答えを見つけそうな気がするんだ。それが何なのかはもちろん、お前にしか分からないだろうけど」

「……見つかるといいけど」

「見つかるさ。俺でも見つかったんだから、藍沢なら絶対に見つけられる」


 笠間の言葉がとても心強く感じられるあたり、俺の心も大分変わっているのかもしれない。きっと、ゴールデンウィークのとき同じことを言われたら、信用ならないことを平気で言ってくる奴としか思えなかっただろう。


「……どう? 考えはまとまった?」


 という声が聞こえたので、入り口の方を見るとそこには浅水先生が立っていた。


「笠間君と同じように、私も椎名さんや北川さんから話は聞いてるから」

「そうですか。ようやく、唯と……美緒達と向き合えそうな気がします」

「そっか。なら……良かった」


 浅水先生はにっこりと笑う。

 ただ、今、口にしたように唯と向き合えそうな気がするだけで向き合えてない。そのためにも、俺は唯と会わなければいけない。


「すみません、俺……行かなきゃいけないところがあるので、これで失礼します。またな、笠間」

「ああ、行ってこい」

「行ってらっしゃい、藍沢君」


 俺は笠間と浅水先生に対して一度、深く頭を下げた。

 唯に会いに行くために、俺は剣道場を後にするのであった。

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