第27話『那由多の花-後編-』

 浅沼からの無理矢理な口づけによる彩花の悲痛な叫びは痛く響き渡る。


「何するの……!」


 彩花の目からは涙が流れ出ていた。その涙は止まることなく、地面に流れ落ちる。


「ごめんなさい、直人先輩……私、うっ……」


 俺に顔を見せられないと思っているのか、彩花は俯きながら俺に謝ってくる。

 それに対して、浅沼はこの上ない笑みを浮かべていた。


「やっぱり、女の唇以上に美味いものはない……」

「浅沼……」

「宮原は俺のものだ。こいつの初めての口づけの相手は俺なんだからな! そのまま別の初めてを奪わせてもらおうか……!」


 浅沼は高らかに笑っている。

 今の浅沼の行動を見て、こいつは人間というものを心底愛していないのが分かった。こいつが欲しているのは彩花ではなく、彩花の体なのだから。

 さてと、彩花の気持ちも確認できたことだし、そろそろ俺達のターンにさせてもらおうかな。きちんと仕返しさせてもらうぞ。


「残念だったな、浅沼」

「なんだぁ?」

「口づけぐらいでそこまで喜ぶとはまだまだお子様だねぇ。そんなお前を見ていると物凄く馬鹿馬鹿しく見えてくるよ」

「それは負け惜しみで言ってるのか?」

「そんなわけあるか。俺はな……彩花とは切っても切れない関係になってるんだよ。お前の言う別の初めては俺がしっかりといただいた」

「えええっ! そうなの、なお――」

「渚」


 俺は渚に向かってウインクをする。

 渚は俺のしようとしていることを汲み取ってくれたようで、すぐに頷いてくれる。


「彩花からの誘いでね。俺も本能に身を任せたんだよ。あのときは何とも言えない感覚だったよ」

「嘘だっ! そんなこと、宮原は一度も言わなかったぞ!」

「彩花からこのことは秘密にしようって言われたんだ。だけど、お前が頑なに彩花の唇を奪って自分が初めてを奪ったとか言うから現実を思い知らせてやっただけだ。お前が檻に入れられた1年間、彩花が男と一切関わらなかったって思ってんじゃねえよ。考えが甘すぎるんだよ」


 俺がそう言うと、浅沼は信じられないという表情で頭を抱え込む。


「嘘だろ。宮原がこの1年の間に男と関係を持つなんて。これじゃ、俺が猫を被り続けて1年間で出てきた意味がないじゃないか。女っていうのは初めてだから意味があるっていうのに、全てが狂っちまったじゃねえか。どうしてくれるんだ。この俺の1年間ずっと抑え続けてきたものは……!」


 浅沼は声を掠れさせながらも、そんな独り言を吐き捨てる。

 思った以上の反応だ。ここまで反応してくれると声に出して笑ってしまう。


「何を笑ってるんだっ!」

「いやぁ、俺の嘘にそこまで信じてくれるとは思わなくてさ」

「ふざけるな! 俺がどんな思いをしたのか――」

「そんなこと知るか」


 彩花の嫌がるようなことを無理矢理した奴の気持ちなんて知ったことじゃない。


「今の反応でお前の考え方がよく分かった。自分の欲望を満たさない女は捨てる。誰かと経験済みの女は捨てる。器の小さすぎる男だ」

「何とでも言えよ! 嘘を言うってことは俺が宮原に口づけをしたのが凄く悔しかっただけなんだろ! それならはっきりとそう言えよ! そっちの方が惨めじゃねえかよ! まるで宮原と関係あるように嘘なんかつきやがって!」

「ああ、さっきの口づけのことか……」


 何を言うかと思えば、あの口づけか。


「あんなの、欲望のままに動いている猿が、彩花に唇を押しつけたようにしか見えなかったんだけど」

「何だと……」

「口づけをされた彩花を見せて俺にショックを与えようとか思ってたなら、それは無駄だと言っておこう。たとえ彩花がお前や取り巻き達と口づけを交わし、色々な関係を持ってしまったとしても、彩花が俺のことを好きだと言って必要としてくれるなら、俺は彩花のことを絶対に見放したりしない! よく覚えておけよ……」


 これで1つ段階を踏むことができた。俺にさっきの口づけなんて関係ないことを思い知らせることができたから。


「浅沼」

「……なんだよ」

「さっき電話をかけたときに、俺は言ったよな? もし俺達が制限時間内に彩花を見つけることができたら、そのときは容赦なく制裁を下してやるって。覚悟はできてるよな。その時間がついにやってきたんだ。もちろん、浅沼だけじゃなくて後ろにいるお前らも一緒だ!」

「そんなことをしてもいいと思ってるのか?」

「どういうことだ?」

「お前が俺に制裁を下したら、そのときはお前のことを傷害の罪で訴えるぞ! どうだ、怖いだろう? 俺に歯向かおうなんて考えたら痛い目に遭うぜ!」


 俺を殴れるのかよ、と言わんばかりの表情をしながら威嚇している。どうやら、未だに浅沼の中では、俺が彩花を恐れて逃げ出したという印象が残っているみたいだ。

 浅沼の幼稚な幻想、俺が粉々にぶち壊してやる。


「そんなことで俺を止めることができると思ったら大間違いだ」

「お、俺は本気なんだぞ! もし、お前が俺を殴ったときには傷害罪で訴えるからな」

「やれるものならやってみろ」

「何だと……」

「彩花を守るためなら俺が傷害罪で訴えられようがかまわない。それに、俺は自分の欲望でお前に制裁を下すんじゃない。俺はあくまでも彩花を助けるために手を出すんだよ」


 俺が何の理由もなしに浅沼へ制裁を下すわけないだろう。


「これは正当防衛なんだよ、浅沼」

「何を言ってるんだ! 俺に制裁を下すとか言っておいて正当防衛なんて話が――」

「お前が彩花を襲おうとした証拠がある。茜さん、お願いします」

「了解、藍沢君」


 そう言うと、茜さんは俺の側まで駆け寄ってくる。俺はそんな彼女からスマートフォンを受け取る。


「このスマートフォンには俺達がここに来てからの会話が全て録音されている。その中には浅沼がこの1年間全く反省していないこと、ましてや自由の身になったら絶対に彩花と茜さんに復讐するという発言も含まれている。この録音した内容を警察に提出すれば、確実にお前らは1年前よりも重い罪に問われるだろう」

「てめえっ……」

「言っただろ、あのときに倍以上に返してやるって。彩花を助けて終わりにするわけないだろ。お前らにはきっちりと檻の中で腐った根性を叩き直してもらうんだよ。罰が軽かったらお前らは反省しないっていうのは、今の状況で証明済みだからな」


 まあ、再犯ということで必然的に罪は重くなるわけだけど、浅沼達の卑劣な考えは是非、警察の方々に知ってもらう必要がある。だから、茜さんにスマートフォンで浅沼の声を録音してもらっていたんだ。


「お待ちかねの制裁をする前に1つだけ言っておく」


 俺は浅沼のことを睨み付ける。


「女の貞操を奪いたければ、まずはその人の心を奪ってからにしろ。女を人として見ない限り、お前を愛し抜ける女なんか絶対に存在しない。お前の考えは何もかもが自己中心的で甘いんだよ。彩花の元カレだってお前に言われて、笑わせるなって言い返したのはそれが理由だ。お前が彩花を人として見ていないのは明確だからな」


 俺は茜さんにスマートフォンを返す。

 そして、そのとき……足元で何かがぶつかる音が聞こえた。見てみると足元に7、80センチのプラスチックの白くて丸い棒が落ちている。近くにこれでできている花畑の柵の一部分壊れている。これは壊れ落ちたものみたいだな。

 元剣道部だったこともあってか、長い棒を持つと血が騒いでくる。


「それじゃ、お前のお望み通り無理矢理にでも彩花を返させてもらおうか!」


 俺は剣道のときのように丸棒を両手に構える。


「お前らっ! 宮原のことは後回しだ! まずは藍沢をぶっ殺せ! いくらあいつでも俺達でかかれば――」

「そいつはどうかな、浅沼」

「何だと?」

「渚! 連絡は来たか?」

「とっくに来てるよ! もう、準備万端」


 渚は笑顔でそう言ってくれる。


「お前、何をしたんだ?」

「そいつは見てのお楽しみ。……みんな、出てきてくれ!」


 俺の呼びかけが合図となって、花畑から続々と月原高校の生徒の姿が現れる。絶対に逃がすまいと浅沼達を囲むようにして。


「彼らは彩花のクラスメイトだ。彩花は男子から天使と崇められ、女子からも絶大な人気を誇っている。渚に頼んで彩花が誘拐されていることを知らしたんだ。そうしたら、来られるクラスメイトは全員がここに集まった。彩花を助けたい。彩花の笑顔が見たいと願って! これが本当の仲間のあるべき姿なんじゃないのか?」

「卑怯だぞ! こんなに多くの人間を従えるなんて……」

「俺は複数の人間で彩花を襲うと聞いていた。浅沼が何人の人間を従えているのか分からなかったんだよ。というか、卑怯なのはお前の方だろ。自分の欲望や復讐のために複数人で彩花を誘拐したんだからな」


 この話を第三者が聞いていたら、おそらく全員が俺の意見に頷くだろう。どっちが卑怯で卑劣なことをしようとしているのか一目瞭然だ。


「へえ、あの人が浅沼っていうんですか。藍沢先輩に比べればよっぽど小物ですね。声が大きいだけが取り柄のザコキャラその1って感じです」


 香奈さんは浅沼を小馬鹿にしたように言う。

 香奈さんには本当に感謝している。渚に香奈さんへ電話してもらい、香奈さんを通じて1年2組の生徒達に彩花が誘拐されたことを知らせてもらったから。


「まったく、変わってないね……」


 そう言って、一ノ瀬さんが俺の横に立った。そうか、一ノ瀬さんは浅沼の中学時代を知っているのか。


「お前は……一ノ瀬か。そうか、てめぇが藍沢に俺のことを話したんだな!」

「そのくらいのことが分かる頭はあるみたいね」

「くそっ! こうなるんだったら一ノ瀬も誘拐しておけば良かったぜ」

「残念だったね。それにしても、その顔を見れば反省して出てきたっていうのは嘘だってすぐ分かるから。少しは優しそうな面持ちになるかと思ったけど、卑怯さが一段と増して見えるね」

「勉強しかできない堅物女が偉そうに言ってるんじゃねえぞ!」


 その瞬間、一ノ瀬さんの堪忍袋の緒が切れる音が聞こえたような気がした。


「……藍沢先輩、彼の顔を殴ってきてもいいですか?」

「止めておけ。君に暴力は似合わない。殴るなら心の中でしておけばいいよ」


 そう言って、俺は一ノ瀬さんの震える右手を掴む。


「大丈夫だ。一ノ瀬さんの悔しさだって俺があいつにぶつけてやる」

「……絶対に浅沼をやっつけてください!」


 そうだ、俺は個人的に浅沼に制裁を下すんじゃない。彩花を助けたいと思っている全員の気持ちを背負って浅沼に倍返しをするんだ。


「藍沢さん!」


 誰だ? 男の声だけど。

 声のした方を振り返ると、寮の前で鉢合わせとなった3人組がこちらの方に走ってくるのが見えた。


「藍沢さん、さっきはすみませんでした! 2人から藍沢さんの話を聞いて、自分達がどういうことをしたのか考えることができました。俺達は間違ったことをしました。本当にすみませんでした! 宮原も申し訳なかった!」


 黒髪の男がそう言って頭を下げると、金髪の男と茶髪の男も続いて頭を下げる。寮の前での彼らのしてきたことを考えると、今の光景が信じられない気持ちも正直ある。でも、


「どうやら、この3人は自らの過ちが理解できたみたいだ。浅沼やその後ろにいる奴らよりも温かい心を持っているみたいだな」

「お前ら……俺のことを裏切るのか! そんなことしてみたらどうなるか分かっているよな? お前らだって宮原と同じように殺してやる」

「あっ、い、いや……」


 浅沼の罵声や彼の鬼のような形相に気圧されているのか、3人は俯いてしまう。

 ちょうどいい。彩花を取り戻す前に、浅沼を追撃してやろう。


「浅沼、お前は俺に電話をかけたときにこう言ったよな? 俺が彩花を見つけられるかどうかは言わばゲームだって」

「そ、それがどうした!」

「この3人は俺のゲームの最中に出会った奴らだ。昨日の敵は今日の友っていう物凄く面白い言葉があるじゃないか。俺との対戦に負けたことで改心し、俺達の味方になることの何が悪いんだ? 間違ったことを間違っていると言って何が裏切りになる? そういうお前の方が間違っていることにまだ気付かないのか! いいか、よく覚えておけ。間違った考えを持つ人間からは必ず人は離れる。逆に正しい考えを持つ人間には自然と人はついてきてくれる。それを表しているのがこの状況だ!」


 俺達の方が浅沼達よりも圧倒的に人数が多い。きっと、浅沼の取り巻き達も寮の前で出会った3人のように、いずれは間違いに気づき浅沼から離れることだろう。そのためにも、彩花を取り戻して浅沼達に制裁を下すんだ。

 俺は再び両手で丸棒を構える。


「さあ、彩花を返させてもらうぞ」

「そいつはどうかな?」


 そう言うと、浅沼はポケットからナイフを取り出して彩花の首筋に当てる。


「動くな! 1歩でも動いてみろ。その瞬間に宮原の首を――」

「その一瞬、どっちの方が早いのか試させてもらおうか」


 俺は浅沼のすぐ目の前まで走り、


「小手ええっ!」


 丸棒をナイフの持つ浅沼の手に当てる。浅沼の手から落ちたナイフを脚で押さえる。


「小手先の脅しだけに、小手で十分だ。通用するかよ」

「て、てめぇ……」

「残念だったな、浅沼。お前の計画はこれで終わりだ」


 俺は浅沼から強引に彩花の体を引き寄せる。


「直人先輩……」

「もう大丈夫だ、安心しろ。浅沼達のことは俺に任せて、彩花は渚達のところに行くんだ」

「はい!」


 彩花は明るい表情を見せて、渚や茜さん達の所へ行く。

 俺はナイフを遠くへ蹴り飛ばして、浅沼の顔を見る。


「どうだ、悔しいだろう? 自分の計画が粉々にされて」

「当たり前だろ! お前だけは絶対に許さねえぞ……」

「そんなのは勝手にしろ。だけど、お前は一生俺には勝てない。独りよがりな恨みを抱いて自己中心的な考えをするような人間なんかに勝てるはずがない」

「ア……イ……ザ……ワ……!」

「そこまで悔しいなら1発殴らせてやるよ。その右手で俺に対する恨み辛みを全部ぶつけてみろ!」


 俺がそう言うと浅沼はゆっくりと立ち上がり、俺の左頬に向かって一発殴る。

 浅沼のやりきった表情を見る限り、これが渾身の一発だったようだけれど……思ったよりもあまり痛みを感じなかった。


「所詮はこの程度か、浅沼」

「なにぃ?」

「お前の恨みがどれだけ脆くて崩れやすいものなのか今の一発で分かった。じゃあ、今度はこっちの番だ。歯を食いしばってろ。彩花を1年間も苦しめ続けた罪と、俺達全員の怒りを全部受け止めろ!」


 俺は右手で浅沼の左頬を思い切り殴った。その瞬間に鈍い音がした。

 浅沼はその場で倒れ込んだ。彼の目には力がなく、俺に対抗する気力は残っていないようだった。

 浅沼のそんな姿を見たのか、彼の取り巻きもその場に立ち尽くしていた。


「自分が何をしたのか思い返して、檻の中で反省しろ。次、自由になったときには復讐なんて最低なことをしようなんて絶対に考えるなよ。後ろにいる奴らも一緒だ。もし、同じことをしようとしたら、次はもっと痛い目に遭ってもらうからな」


 これで決着はついたかな。

 それから間もなくして警察が到着し、浅沼と彼の取り巻き達は逮捕された。

 寮の前で鉢合わせた3人は浅沼に加担したからという理由で、警察に自首しに行ったのであった。

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