第5話『眠る君との再会』

 午後5時10分。

 俺は唯の墓がある霊園に到着する。その霊園は町の中心からちょっと離れた、小高い丘の上にある。

 墓地の受付で墓に手向ける花を購入する。夕方に来る人がいないからなのか、俺が話しかけたときに受付のおばさんがちょっと驚いていた。

 物静かな霊園の中を歩き、


『柴崎家之墓』


 という墓の前で立ち止まる。


「2年ぶりだな、唯」


 亡くなったのは3月だったから、もう2年以上経っているか。

 このお墓の中に、骨となった唯が永遠の眠りについている。だから、俺が声をかけたところで起きるはずがない。それは当然なのに、


「……ごめん。本当にごめん」


 謝らずにはいられなかった。最後に唯の心を傷つけてしまって。それから唯と一度も顔を合わすことができなくて。2年経った今になって、ようやく唯と会う勇気が出たんだよ。唯は今、そこから俺を見て何を想っているんだ?


「あのときみたいに笑顔なのか?」


 最後に見た唯は俺にフラれて、今にも泣き出しそうだったけれど……それを必死に堪えようとしている笑みだった。


「……訊いたところでどうにもならないか」


 そんなことしたって、ちっとも気休めにはならない。

 俺は墓を綺麗にして、受付で購入した花を花立てに挿す。

 そっと両手を合わせ、唯のことを想いながら拝んだ。


 遠くには白んだ海が見える。


 そういえば、唯は海が大好きだったな。夏になると彼女と美緒と美月と一緒に遊びに行ったもんだ。でも、そんな楽しい思い出は遥か遠くに行ってしまった。

 昔は俺も海が大好きだった。

 でも、あの事件があって以降……俺は海が怖くなってしまった。ここは海から少し距離があるから、普通に見ていられるけれど。

 唯が亡くなったことが分かった直後、俺は警察官から唯の遺体が写った現場写真を見せられた。血を流し、仰向けの状態で亡くなっていた彼女には海水がかかっていた。第一発見者が唯を見つけたとき、唯の遺体には波が当たっていたという。

 俺は唯の命が海に奪い去られたように感じた。唯の遺体が岩場に留まっていたから良かったものの、もし海上に出てしまったら唯は今、ここに眠っていなかったかもしれない。また、唯が亡くなる1週間ほど前に発生した東日本の震災の津波もあってか、俺は海に対して深い恐怖を抱いてしまった。


「早いけど、そろそろ会場に行くか」


 ずっとここにいても、唯と何かできるわけじゃないから。それに、ここは生きている人間がいつまでもいるような場所じゃない。


「またな、唯」


 桶と柄杓を持って、唯の墓を立ち去ろうとしたときだった。


「……久しぶりだね、直人君」


 俺の前には唯と同じ焦げ茶色の髪をした、唯とどことなく似ている彼女の姉……柴崎千夏しばざきちなつさんが立っていた。2年経つと千夏さんも大人っぽくなっていた。もう大学生になったんじゃないだろうか。

 俺や唯が小学生くらいまでは、主に唯の家に遊びに行ったときに千夏さんとも遊んでいた。懐かしい思い出はあるけれど、彼女の姿を見ると寒気がしてくる。


「おひさしぶりです。千夏さん」

「やっぱり、唯の墓参りに来てくれたんだ」


 千夏さんは穏やかな笑みを浮かべる。

 ただ、俺にはその笑顔が信じられなかった。なぜなら、彼女は唯が亡くなったのは俺のせいだと決めつけた人だからだ。そのことによって、それまでにもあった俺への非難がより強くなったのだ。

 千夏さんのことを恨んでいるわけではない。だけど、唯が亡くなったのは自分のせいだと言ったときの彼女は物凄い剣幕だったのもあり、どうしても今の笑みが作られたものだと思ってしまう。

 それよりも気になったのは、


「どうして、俺がここにいることをあなたが知っているんですか?」


 唯のお墓の場所は父さんから教えられた。父さんは今までに何度も行ったことがあるので、今回のことで柴崎家に墓について訊くはずがない。それなのに、どうして。


「美緒ちゃんから聞いたの。今日、直人君が帰ってくるって」

「あいつが言ったのか……」

「それで、直人君の後を付けてきたのよ」

「……どうしてそんなことをするんですか。あのときに千夏さんは俺のことを許さないと言ったじゃないですか。なぜ、そんな俺に笑顔を見せるんですか」


 思っていることをそのまま千夏さんにぶつける。

 すると、千夏さんは俺の目の前まで近づき、


「……やっと唯に会ってくれたから。お通夜やお葬式には参列しなかったし」


 千夏さんは静かな口調でそう言った。今まで、唯と一度も会っていなかったという皮肉に聞こえた。

 千夏さんの顔を間近で見るのはあのとき以来だ。当時のことを思い出してしまい、脚が震えてしまう。2年経った今なら、少しは大丈夫になっていると思ったけど、やっぱり千夏さんのことが恐いんだ。今すぐに逃げ出したいくらいに。


「それに、直人君と話そうと思ったのは、唯のことで謝りたかったから」

「唯のことで?」

「……そう。唯はあなたにフラれたから死んだんだ。直人君をそう非難したことについてずっと謝りたかったの。私のせいで、学校では周りの子から責められて、不登校にさせてしまったから」


 どうして、目を潤ませて、頬を赤らませて俺にそう言ってくるんだ。まるで、俺のことを優しく抱きしめるように。もう、早くここから去ってしまいたい。


「……別に、あなたのせいで不登校になったわけじゃないですよ。あなたから非難されるより前にも、学校で色々と言われていましたから」

「で、でも……」

「それに、唯は本当に俺にフラれたことが理由で、事故に見せかけた自殺をしたかもしれない。俺が責められるのが間違いだったとは言い切れません。不登校になったのは弱い自分自身のせいですよ」


 唯が亡くなったと知らされたときから、俺はずっと唯から逃げ続けていた。だから、彼女の葬式にも出席しなかった。

 周りの人間はそんな俺のことをこう思っただろう。


 ――藍沢直人が柴崎唯を追い詰めた。


 だから、俺のことを殺人者だと非難した。千夏さんも同じことを言ったから、非難はより強くなった。

 俺が強い人間であれば、そんな声を跳ね返すこともできただろう。でも、実際は唯から逃げ続けた臆病者だから不登校になってしまったんだ。


「あれは唯を傷つけ、唯の死と向き合えなかった自分の受けるべき報いだと思いました。だから、千夏さんは謝る必要なんて一切ないんですよ」

「だけど、私が言わなかったら直人君が不登校になることはなかった!」


 あのときに負けないくらいの迫力ある声で言う千夏さんが。あぁ、千夏さんの声が、段々と耳障りになってきた。


「どうしてそう言い切れるんです? 人の心に絶対なんてないんですよ。あなたに非難される前から俺は辛かった。学校に行きたくないと思い始めていました。あなたに非難されなくても、いずれは不登校になっていたと思います。だから、あなたが俺に罪悪感を抱く必要はないですよ」

「直人君……」


 このままではいつまでも話が終わらない。俺と千夏さんの考えは平行線を辿っていて、交わることなんて決してなさそうだから。


「……行かなければならない場所があるので、俺はこれで失礼します」


 半ば強引に話を終了させ、俺は歩き始める。

 千夏さんは俺のことを追いかけようとしない。

 そう、これでいいんだ。

 理由付けなんかしなくていい。だって、2年経った今になって誰にも分かるわけがないだろう? 唯が何を思って崖下に落ちていったかなんて。

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