第2話『藍沢家』
1年ぶりの実家が見えると、懐かしい気持ちがより一層大きくなる。生まれてから中学を卒業するまでずっと住んでいたのだから、それは当たり前なのかな。
「あれが直人先輩のご実家ですか?」
「そうだよ」
「立派な家だね。そういえば、洲崎町は月原市と違って大きい家が多いよね」
「私も同じことを思っていました」
確かに、月原市よりも立派な家が多いのは同感だ。この町に住む人達が特に金持ちだというわけでなくて、昔から何代にも渡って住んでいる家が多いことや、土地の値段が安いというのが主な理由だと思われる。
のんびりと開放的な町で育ったからか、住宅やビルの数が多い月原市に引っ越してから少しの間は、窮屈に感じることもあったな。そんな経験があるから、やっぱり地元は落ち着けていいなと思う。
実家の敷地に入ると、そこには白いワイシャツ姿の父さんが釣り竿を整備していた。
「父さん」
俺がそう言うと、それに気付いた父さんはこちらを向いて目を見開く。すぐに興味津々そうな表情になり、俺達の近くまで歩いてくる。
「おっ、直人じゃねえか。ひさしぶりだな」
「ひさしぶり、父さん。ただいま」
「おかえり、直人」
父さんは俺の肩をポンと叩くと、彩花と渚のことをじっと見る。そのせいで2人が今までにないくらいに緊張してしまう。
「君達が高校で出会った子達か」
「は、はい! 初めまして、宮原彩花です。月原高校の1年です。寮で直人先輩のお部屋に一緒に住まわせてもらっています」
「吉岡渚です、初めまして。直人とは1年のときからのクラスメイトで、彼には色々とお世話になっています」
彩花と渚は少し堅い感じの挨拶をする。特急電車に乗っているときから、俺の両親と会うのが緊張すると言っていた渚はまだしも、彩花がこんなに緊張しているのは意外だ。別にうちの両親に対して、そこまでかしこまらなくても大丈夫だけど。
「彩花ちゃんに渚ちゃんな。美月と負けず劣らずの可愛い子だなぁ。しかも、2人も連れてくるとは直人もやるじゃねぇかよ、おい」
父さんは笑いながら肘を俺の脇腹に当ててくる。
「おっと、女性から先に名前を言ってくれたのに、自分の名前を言わないのは失礼だな。俺は直人と美月の父親の
父さんは彩花と渚に握手をする。
握手をされた2人は……やっぱり固まってるな。きっと、見た目とのギャップが激しいからだろう。自分で言うのも何だけど、見た目は父親譲りだけど性格はそうじゃないっていうか。あと、2人は俺を基準にしていたから度肝を抜かれた、という感じだろう。
「きっと、お兄ちゃんを見てるから、こんなお父さんに驚いちゃったんだね」
美月のその一言に尽きる。
「まあ、こんな父親だから緊張しなくていいぞ」
「……直人先輩がそう言うのが分かる気がします」
「直人とは雰囲気が違うから驚いちゃった」
2人はそう言って段々といつもの笑顔に戻っていく。どうやら、緊張が解けてきているみたいだ。
「さあ、家の中に入ろう」
俺達が家に入ろうとする前に父さんが家の中に入り、
「母さーん! 直人が帰ってきたぞー!」
玄関を開けるや否や大声でそう言った。相変わらずデカい声だな。言い方が子供っぽいので、俺と父さんのどっちが父親なのか分からなくなってくる。
すると、奥の方から母さんが姿を現し、早足で玄関までやってきた。
「あっ、直人! おかえり。美月もお迎えご苦労様」
「ただいま、母さん」
「美緒ちゃんと一緒に待ってたんだ」
「そうだったの。……あっ、彼女達が直人の言っていた高校で知り合った女の子? 2人とも可愛いわね」
母さんは彩花と渚のことを愛でるように見る。
「そんなことありませんよ。私は宮原彩花です。直人先輩と一緒に住んでいます」
「吉岡渚です。直人とは1年生のときからのクラスメイトです」
「彩花ちゃんに渚ちゃんね。母親の藍沢ひかりといいます。それにしても、まさか直人が女の子を2人も連れてくるなんて……」
本当に嬉しそうに母さんは言う。そんなに意外だったのか?
しっかし、ここまで夫婦で言うことが同じだと逆に笑えてくるな。ただ、言うことは同じでも、母さんに対してはすぐに打ち解けられたようで、彩花と渚は楽しそうに笑っている。女性同士だからなのかな。
「さあ、中に入って。重い荷物を持ってここまで来て疲れたでしょう。直人と美月で2人を2階の客間にお通しして」
「分かった。さあ、彩花も渚も遠慮なく上がってくれ。客間に案内するよ」
彩花と渚を家に上げ、俺と美月で2人を2階の客間に案内する。
「可愛らしいお母さんでしたね」
「そうだね。美月ちゃんに似ているかも。年の離れたお姉さんかと思ったよ」
「そう間違われることもありますね。お母さんは凄く嬉しそうですけど」
俺には母親にしか見えないけどな。渚の母親の美穂さんの方が若々しいと思う。
2階の客間に入ると、まだ夕方なのにふとんが2組敷かれていた。彩花と渚が来ることに盛り上がった母さんだから、3組敷くかもしれないと思っていたので安心した。
「ふとんが2組だけということは、私が直人先輩と同じふとんで寝てもいいというお許しなのでしょうか?」
「わ、私かもしれないじゃない」
そういう考え方をするとは、彩花と渚はポジティブな女の子達だ。
「そういうつもりで敷いたわけじゃないだろう。普通に2人が寝るためにあるんじゃないか? 俺は自分の部屋のベッドで寝るよ」
俺がそう言うと、2人は残念そうな顔をして、
「えぇ、一緒に寝ましょうよ。それで私と一緒に新しい家族を……」
「はいはい、作らないから。というか、中学2年の妹の前で何てこと言うんだ」
美月の教育に悪い。
美月は苦笑いをしているけれど、渚は顔が真っ赤だ。視線をちらつかせる。
「直人と私の新しい家族を……」
「彩花の言葉を本気にするなって。何にもしないから」
渚の頭を軽く撫でると、彼女の顔の赤みがちょっと和らいだ。本当に渚は真っ直ぐというか純粋というか。まあ、そういうところが可愛らしいけど。
2人は部屋の端に荷物を置き、窓から景色を眺める。
「いい景色だね。晴れていたら遠くに見える海も綺麗なんだろうなぁ」
「ああ。浜辺もあって、俺が小学生の間は、夏になると美緒や友達といつも遊びに行ってた」
「あたしも小さい頃は、お兄ちゃんや美緒ちゃんと一緒によく遊びに行ったよね」
「行ったな。たまに家からスイカを持っていって、スイカ割りをしたりして」
「夜にはお母さんと一緒に打ち上げ花火もしたよね」
「あぁ、やったやった。1回、花火かと思って火を点けたら、爆竹っぽいやつで凄く大きな音したよな」
「それ覚えてる。近所の人が飛んできたよね」
「心臓飛び出るかと思ったよ、あのときは。お前、俺にしがみついてきたよな」
「だって、物凄い音がしたから怖かったんだもん」
泳ぐのが好きだったし、あの海が遊び場だったから、雨の日以外は夏休みが暇だった記憶が全然ない。今だったら絶対に飽きると思うんだけど。
「……あっ、ごめん。ひさしぶりに地元に帰ってきたからか昔のことを思い出して」
お客さんの彩花と渚をほったらかしにしてしまった。しかし、そんな2人は笑った顔をして俺のことを見ていた。
「何だか今までに見たことがない笑顔だった。直人もこんな顔するんだ」
「楽しそうでしたよね」
「たまには、学校とかでも今みたいな感じで話すと思うんだけどな」
そんなに俺、月原ではつまらなそうな顔をしているのかな。俺なりに高校生活を楽しんでいるつもりなんだけど。でも、あの頃のような楽しい気持ちになれる心ではないというのは確かだろう。
昔はちょっとしたことでも楽しめたのに、今はそうじゃない。それは成長したからなのか。それとも、わがままなのか。はたまた、不器用になってしまったのか。
「ねえ、直人」
「どうした、渚」
「直人の部屋に行ってみたいんだけどいい?」
「もちろんいいよ」
渚の部屋に泊まらせてもらったことがある以上、ここで嫌だと言えばフェアじゃないだろう。別に嫌だと言うつもりはないけど。
2人を俺の部屋に通すと、彩花が色々と物色し始める。
「人の部屋に入った途端にがさ入れするんじゃない」
「いえ、今住んでいるところにえっちな本がなかったので、実家に置いていったのかもしれないと思いまして。ちょっと探しているんですよ」
「ご期待に沿えることができなくて申し訳ないね。そういう類の本を買った経験は1度もないんだよ」
「本当ですかぁ?」
「本当だよ」
「美月ちゃん。直人先輩の言っていることは本当?」
「本当ですよ」
そう言う美月のことを彩花はじっと見つめる。というか、何ということを中学生の妹に訊いちゃってくれるんだ。別に買ったことないから問題ないけどさ。
「……この純粋な笑顔を浮かべて、美月ちゃんが証言するのですから、直人先輩の言っていることは本当でしょう」
「だから嘘ついてないって最初から言ってるだろ」
「私は直人の言うことを信じてたよ。直人のことが好きなら、彼を信じることも大切なんじゃないかなぁ」
渚はちょっと意地悪な笑みを浮かべて彩花にそう言う。
「でも、えっちな本があったらどうするんですか!」
彩花の反撃に渚は再び顔を赤くする。しかし、たじろぐことなく、
「あったらあったときだよ。それに……」
その後に何か言っているけれど、声が小さくて聞き取れなかった。
渚が恥ずかしそうにしているものの、彩花の悔しそうな表情を見る限り、彩花は渚の方が優勢だと思っているのかもしれない。
「……そういえばさ、お兄ちゃん。そろそろ出発した方がいいんじゃない? 同窓会に行く途中に寄るところもあるんでしょ?」
「あ、ああ……そうだな」
腕時計を見て時刻を確認すると、午後5時近くになっていた。同窓会は午後6時の集合だけど、他にも用があるのでそろそろ出た方がいいだろう。
「ええっ、着いたばかりなのにもう出かけるんですか?」
「ああ。途中で寄りたいところがあるから」
「……あの、私達もこの町を散歩したいので、途中までついていってもいいですか?」
「えっと、そうだな……」
正直、その場所の前まで2人を連れて行くのも避けたいけど、どうしよう。
「彩花さん、申し訳ないんですけど、お兄ちゃん1人で行かせてあげてください。特別な理由がありまして。そこに行くのが、今回帰ってきた目的の1つなんだよね?」
「あ、ああ……そうなんだ。その理由を話すとちょっと長くなる」
「そうだったんですか。申し訳ありませんでした」
「すまないな、彩花。その場所に行く特別な理由は……美月に訊いてほしい」
美月の機転の良さに救われた形だな。
俺が今から行く場所の特別な理由。この町に戻ればいずれ知られてしまうこと。ただ、俺からそれがちゃんと言えるかどうか自信はない。美月も詳しく知っているから、彼女に話してもらうことにしよう。
「じゃあ、さっそく行ってくるよ」
「いってらっしゃい、お兄ちゃん」
「楽しんできてくださいね、直人先輩」
「いってらっしゃい、直人」
3人に見送られながら俺は逃げるように自分の部屋を出た。
家を出ると、空は薄暗くなってきており、さっきよりも寒さが増しているのであった。
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