第23話『宮原茜』

 午後1時。

 俺の体力もある程度回復したので、校門を出てからは渚と一緒に小走りで月原高校の寮へと向かった。

 寮のエントランスに到着し、中に入ろうと思ったんだけれど、彩花と同じ赤い髪の女性が入口前にあるパネルに苦戦しているのでなかなか入れない。


「何だよ、出ないぞあいつ……!」


 寮の扉を開けるには部屋の鍵を使うか、インターホンで呼び出して部屋の中から開けてもらうしかない。今の女性の言葉からして、彼女はこの寮に住んでいる人ではなさそうだな。

 ワンサイドアップの髪型が特徴的な赤髪の女性は、黒い英字がプリントされている白いTシャツに、ブラウンのキュロットスカートを着ていた。背も彩花よりもちょっと低い。顔は彩花よりも幼い感じに見える。見た目だけだと彩花と同じか年下かな。


「あの人、入れないのかな……」

「何か予定が狂ったんだろう。このままじゃ俺達も入れないから、俺が話してくる」


 こっちは1秒でも早く彩花に会いたいんだ。こんなところで足止めを食らっている場合じゃない。

 俺は家の鍵を持って赤髪の女性の側まで行く。


「すみません、先に俺達が中に入っていいですか?」

「……おっと、ごめんね」


 赤髪の女性がどいてくれたので、俺はパネルの横についている鍵穴に家の鍵を通す。


「そうだ、ちょっと訊いてもいいかな? 鍵を出したってことはここに住んでいる何よりの証拠だ。ということは、君は月原高校の生徒なんだよね?」

「はい、そうですが……」


 女性はそう言うけど、制服を見て月原の生徒だと判断できないものなのか。


「私さ、この寮の501号室に住んでいる宮原彩花って女の子に会いたいんだ。君か、そっちにいる君の恋人でも知らないかな?」

「こ、恋人じゃありません!」


 渚は頬を赤くして強く否定した。

 それにしても、この女性……彩花に会いたがっていたのか。そして、女性がインターホンを鳴らしても出なかったということは彩花が家にいないのか?


「あの、俺……その501号室に住んでいるんですけど」


 俺がそう言うと、それまで微笑んでいた女性の顔が豹変する。女性は両手で俺の胸元を激しく掴む。


「お前かああっ! 私の妹を振った藍沢って男はっ!」


 俺は前後に激しく揺さ振られる。


「お前は知らないだろうけど、あいつは昔、男に裏切られたことがあるんだぞ! だから、お前と一緒に住むことをお父さんと一緒に反対したんだからな! 彩花がお前のことは信頼できる奴だからって強く言ったから許したのに、何なんだよこの有様はああっ!」

「1度は彩花から離れてしまったことは謝ります! それよりも、ちょっと落ち着いてくれませんか。それ以上揺さ振られると……うっ」


 ううっ、頭がくらくらしてきて気持ち悪い。いっその事、ここで戻してしまった方が楽になりそうな気がする。


「直人は宮原さんを助けようと思って戻ってきたんです!」


 渚はそう言って、俺と赤髪の女性の間に割って入る。

 しかし、赤髪の女性は渚の言葉が信じられないのか、鋭い目つきで渚のことを睨み付ける。


「……何だって?」

「直人は宮原さんに手錠を使って束縛されかけたんです! でも、直人はその理由があなたの言う男に裏切られた経験であることが分かって。だから、宮原さんと話そうとここに戻ってきたところなんです」

「……それは本当か?」

「本当です。直人は宮原さんのことを見放したりするような人じゃないです」


 渚は必死に俺のことを庇ってくれた。

 渚の真摯な言葉が伝わったのか、赤髪の女性は俺のことを解放した。


「すまなかった。つい、彩花のことになると感情が先走りして……」

「いえ、俺は1度、彩花を見放してしまったようなものですから、責められても仕方ないと思っています。でも、彼女が俺を束縛したがる理由が浅沼達にあることを知って、彩花を守ろうと決めてここに戻ってきたところなんです」

「……そういうことだったのか」


 赤髪の女性は一度ため息を付いて、


「私の名前は宮原茜みやはらあかね。彩花の姉で大学に通ってるよ」

「お、お姉さんだったんですか……」


 いや、1年前の話で出てきていたからお姉さんがいるのは分かっていたけど、俺は正直妹だと思った。年上らしい頼れそうな雰囲気はあるけれど。


「何なんだよ、私が彩花の姉じゃ不満なのか? どうせ妹だと思っていたんだろう。彩花よりも背も低くて胸も小さいからな」


 茜さんは少し頬を膨らませた。今の態度でますます年下の感じがしてくる。

 確かに、改めて茜さんを見てみると彩花よりも身長が低くて、胸も控えめだ。それを口に出したらさっきよりも酷い目に遭うので心の中にしまっておく。


「初めまして、俺は藍沢直人といいます」

「初めまして、私は直人のクラスメイトの吉岡渚です」

「藍沢君に吉岡さんか。初めまして。覚えておくよ」

「ここで話すのも何ですから、まずは家に入りましょうか」

「そうだね。彩花が居留守を使っている可能性もあるし、もしそうなら彩花の顔を早く見たいからね」


 俺、渚、茜さんは寮の中に入り、真っ先に501号室に向かう。

 501号室の前に着き、扉を開けようと思ったとしたら鍵が掛かっていた。鍵を解錠して扉を開ける。


「彩花! いるなら返事をしてくれ!」


 俺の声が聞こえれば何らかの反応があると思って叫んだけれど、家の中からは何の反応もなかった。物音一つ聞こえてこない。


「まだ帰ってないのか……」

「帰ってないってどういうこと?」

「11時半くらいに月原高校の体育館に彩花が来たんです。そのときに俺が追いかけたんですけど、色々と事情があって校外へ逃げられちゃって……」

「そうだったんだ。いや、私はそういうことは知らなかったな。彩花から電話が来て、今日は土曜日だから家にいるんじゃないかと思ってここに来たんだけど……」

「電話があったのは何時くらいでしたか?」

「正午過ぎだな。不在着信でメッセージが入っていたんだ。藍沢君にフラれたって。だから、君に抗議しようと思ってここに来たってわけさ」

「そういうことでしたか……」


 あの後に彩花は茜さんに連絡をしたのか。俺と渚が一緒にバスケの練習をしているところを見て、自分が見放されたと思ってしまったのだろうか。それに、俺が渚の家で寝泊まりしていることも知っているようだし。


「せっかく来たから、私も彩花と会いたい。あいつが帰ってくるまでここで待たせてもらってもいいかな?」

「もちろんです。どうぞ」


 下手に探し回るよりも、ここに家で待っていた方がいいだろう。

 俺は渚と茜さんをリビングに通し、テーブルの椅子に座ってもらった。

「何か飲み物でも出しましょうか?」

「私はいいよ」

「……私もいいわ、直人」

 2人がそう言うので、俺は2人の向かい側の椅子に座る。


「浅沼達の話を聞いているなら分かると思うけど、1年前……彩花が襲われているところを私が助けたんだ」

「確か、いつもと彩花が違う雰囲気だったから後をつけたんですよね」

「ああ、そうだ。普段の彩花は幸せそうな顔をしていたけど、あの日の彩花は何か不安そうにしていたんだ。もしかしたら、彩花は感づいていたのかもしれないな。浅沼の本心ってやつに」

「じゃあ、それが見事に当たってしまったわけですか……」

「ああ。きっと、私が尾行していなかったら、あいつは浅沼達の思惑通りになってしまっていたと思う」

「でも、茜さんは凄いですよね。1人で妹さんを助けて、警察に通報もしたんですから」


 彩花よりも小柄な体で。彩花を守りたい一心だったからできたことなんだろう。


「……気づいていたらそうしていただけさ。彩花はたった1人の大切な妹だ。それに、浅沼達のしたことは犯罪だからね」


 茜さんの言う通り、浅沼達のやったことは犯罪だ。


「だけど、浅沼達は法的に裁かれ、今はもう全員、檻の外に出てしまった。そのことを彩花は恐れていたんだろうな。再び浅沼達に復讐されるかもしれないことを。彩花は高校に進学し藍沢君に出会ったことで、君を浅沼達から守る盾にしたかったんだろう」

「俺もそう思っています。だから、彩花に会おうと戻ってきたんです」


 浅沼達はきっと、彩花への復讐を実現することだけを考えてこの1年間を過ごしてきたんだ。そして、浅沼が自由の身になったとき、復讐をしようと決めたんだろう。彩花も日に日に恐怖心を募らせていたんだ。

 彩花にとって俺は唯一とも言える拠り所だったのかもしれない。不良から助けた俺なら浅沼達からも守ってくれる。そう信じていたんだ。でも、俺が他の女子と関わり続けるから、彩花は俺を側にいさせるために手錠を使ってでも束縛しようとした。


「どうして、気づけなかったんだ……」


 彩花のことが分からなければ、俺から知ろうとすれば良かったのに。そうすれば、彩花は浅沼達のことを俺に話す勇気が出たかもしれないのに。


「彩花は大人しい子だからね。本音もなかなか言えなくて……手錠で束縛するっていうのは彩花なりのサインだったんだろうな。側にいてほしいっていう」

「俺がここから離れるときも、守ってくれる人がいなくなると言っていましたからね」

「そうだったのか。そういえば、浅沼達の話は誰から聞いたんだ?」

「一ノ瀬さんです。彩花と親友の」

「ああ、真由ちゃんから聞いたのか。彼女はとてもいい子だよ。1年前の事件が起きてから少しの間、彩花は不登校になったからね。いつも彩花のことを支えてくれたのが真由ちゃんだったんだよ」

「そうだったんですか……」

「当初は女子高への受験を考えていたんだけど、真由ちゃんが月原高校を希望していたから彩花も月原にしたんだ。彼女と同じ学校なら共学でも頑張っていけそうだってね」


 彩花にとって一ノ瀬さんはとても大きな存在なんだな。それは一ノ瀬さんにとっても同じだと思う。


「そんな親友がいるのに藍沢君を求めているってことは、藍沢君のことがとても好きで信頼しているんだろうな」


 その言葉が心に深く突き刺さる。彩花の言葉を聞こうとせずに彼女から離れたということは、彩花の信頼を裏切ったことを意味しているから。


「……ねえ、直人」

「なんだ?」

「あのこと、訊いてみようよ。ほら、宮原さんが贈ってきたルピナスの花のこと」

「そうだな」


 茜さんなら彩花がルピナスの花を贈る理由が分かるかもしれないし。

 ちなみに、ルピナスの花は玄関の横に生けられている。花の色は贈られてきたルピナスの花と同じで青い。


「どうかした? 2人でコソコソ話して」

「あの、ルピナスの花のことで訊きたいことがあって。実は今朝、渚の家のポストの上にルピナスの花束が置かれていたんです。その贈り主が彩花で。ルピナスの花を贈る理由があったのかなって」

「そんなことがあったんだ。ルピナスは彩花の一番好きな花なんだよ。月原市にはルピナスの花畑があって、観光スポットにもなっているの。そこには様々な色のルピナスが咲いていて凄く綺麗なんだ。屋内にもあるから、開花時期の今だけじゃなくて、1年中ルピナスの花を楽しめるんだよ。家族で花畑に行くと、彩花が決まってルピナスの花や種を買ってもらってた」

「じゃあ、自分の1番好きな花だから贈ったということですか」

「そうかもしれないね。あと、ルピナスの花には色々な花言葉があるんだ」


 花言葉、か。そういうことについては疎いから、それは思いつかなかったな。


「どんな花言葉あるんですか?」

「貪欲、空想、いつも幸せ、欲深い心、あなたの心に安らぎを与える。色々な意味がルピナスの花には込められているんだ」


 何だか、彩花そのものを表しているような気がする。


「じゃあ、まさか……」

「浅沼達については打ち明ける勇気が出せなかった。でも、藍沢君のことを本当に好きだっていうことを彩花は伝えたかったんだと思うよ。口では言い辛いから、自分の好きなルピナスの花を贈ったんだと思う」


 俺が離れても、彩花は変わらず俺のことを好きでいてくれたんだ。今朝贈られたルピナスの花束は、俺への精一杯の愛情表現だったのか。

 それを俺は彩花に居場所がばれたと勝手に恐れて。彩花がそんな黒い心の持ち主じゃないって本当は分かっていたはずなのに。


「なんで、もっと早く気づけなかったんだろう……」

「花言葉なんて調べないと分からないもんだよ。彩花は藍沢君に自分の好きな花束を贈れたことで満足だったんじゃないか?」

「……そうであると信じたいです」

「それにしても、彩花は相当ルピナスの花が好きなんだな。1年前、浅沼達に襲われたのはルピナスの花畑だったのに」

「でも、そこって観光スポットじゃ……」

「襲われたときは薄暗くて、その日の閉園時間を過ぎていた。人気のない端の方に行けば、係の人間にも見つからないってわけさ。ルピナスの花を見れば、あの日の記憶が鮮明に蘇ると思うんだ。それでもルピナスの花を藍沢君に贈るってことは、彩花にとってルピナスの花は本当に特別な花なんだと思うよ」


 まさか、彩花の贈ってきたルピナスの花がそんなに重要なものだとは思わなかった。本当に好きな花だから、1年前のことを思い出すことになっても家に飾っているんだ。


「凄いね。直人に対する宮原さんの愛情が。直人のことが本当に好きじゃなかったら一緒に住んで、一度離れても直人にルピナスの花を贈ることなんてできないもん」

「……そうだな」


 彩花、早く帰ってきてくれないか。彩花を守るから、俺の家に引っ越してきたときのような笑顔をもう一度見せてくれないか。

 会いたい、早く彩花に会いたい。彩花を目一杯に抱きしめてやりたい。あいつのように、もう誰も失いたくないんだ。


「彩花、どこに行っちまったんだろうな。真由ちゃんの家にでもいるのかな」


 茜さん、凄く心配そうだ。気持ちが落ち着かないのか、親指の爪を噛んでいる。

「直人に追いかけられたから、ここに帰り辛いのかな」

「それもありそうだな」

 茜さんの言うとおり、一ノ瀬さんの家や香奈さんの家とかにいればいいんだけど。浅沼達のことを聞いているから、家の外にいると心配になるな。

 ――ブルルッ。

 スマートフォンが鳴っているな。さっそく、確認してみると『宮原彩花』から電話がかかってきている。


「彩花から電話だ!」

「えっ!」

「早く出るんだ、藍沢君!」

「はい!」


 俺は彩花からの通話に出る。


「彩花! 今、どこにいるんだ?」


 そう呼びかけるけれど、向こうからは何にも返事が返ってこない。


「俺はもう怒ってないから、家に帰ってきてくれないか」


 電話をしたのは良いがなかなか話す勇気が出ない可能性があるので、俺から話しやすい空気を作る。

 しかし、それでも向こうから彩花の声が聞こえなかった。


『宮原を家には帰させるわけにはいかねえな、藍沢直人』


 電話の向こうから聞こえたのは、今まで聞いたことのない男の声だった。それでも、俺にはこの声の主の正体が誰なのか心当たりがある。


「……浅沼だな?」

『ああ、そうだよ』


 声の主……浅沼が今笑っていることは容易に想像できた。

 そして、彩花がどうなっているのかも。

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