第1話『リング-前編-』

 私立月原つきはら高等学校学生寮。

 そこの最上階の端にある501号室には2年生の俺・藍沢直人あいざわなおとと、後輩の女の子・宮原彩花みやはらあやかが住んでいる。



 4月24日、水曜日。

 午後6時30分。家に帰ってきた俺は、彩花の指示でテーブルの椅子に座らされていた。

 テーブルを挟んだ向かい側の椅子には制服姿の彩花が座っている。赤い髪のセミロングヘアがよく似合う可愛い女の子だ。彼女は不機嫌そうな顔で俺のことを見ている。


「どうしてそんなに怒っているんだ? 彩花」

「とぼけても無駄ですよ。これ、どういうことですか?」


 彩花はテーブルの上に置かれている1枚の写真を指さした。その写真には、制服姿の俺がクラスメイトの女子2人と一緒に歩いているところが写っていた。


「放課後に彼女達と駅の方へ遊びに行ったんだ」

「……どうしてです?」

「俺と一緒に遊びたいって言ってきたから。それで、ゲームセンターに1時間くらいいて、その後にカラオケで2時間くらい歌ったかな」

「本当にそれだけですか? 私には……遊んだだけで終わりじゃないように思えるのですが」


 どうやら、彩花には全てお見通しのようだ。ここは嘘を付いたり、隠したりしても無駄のようだ。


「帰り際に一度に2人から告白されたよ。どっちとも付き合っていいからって」

「その告白、もちろん断りましたよね」

「もちろん断ったよ。彼女達を傷つけないよう丁寧にね」


 高校に入学した直後から、今日のように女子から放課後に遊ぼうと誘われ、帰り際に告白されるという出来事が何度かあった。

 けれど、誰かと付き合うということを考えるのはできないので、俺は告白を全て断っている。今は彩花と一緒に住んでいるというのもあるけれど。


「告白を丁寧に断るのは当たり前です。女の子は傷付きやすい生き物なんです」

「そうかそうか。俺はただ遊んできただけなんだから、もう怒るのは止めにしないか? 怒ってばっかりだと、彩花の可愛い顔が台無しになるだろう?」


 俺のその言葉に彩花の表情が緩んだけれど、それはほんの一瞬のこと。以前は今のような言葉を言えばすぐに機嫌が治ったんだけどなぁ。怒り続けるのは初めてだ。


「そんな甘い言葉を言っても私は許しませんからね」

「本当にごめん。2人からの告白は断ったんだから許してくれないか?」

「そういうことじゃありません!」


 ドン! と、彩花はテーブルを思い切り叩いた。


「直人先輩が私以外の女の子と遊びに行くこと自体が許せないんです! 私、先輩が他の女の子と一緒に楽しそうにしているだけで胸が苦しくなってしまうんですよ……」

「……すまないな。ただ、断るだけと2人に悪いと思って一緒に遊んだということは覚えておいてくれないか」

「それを考慮しても、私という一緒に住んでいる女の子のことを考えていないんですか?」

「考えてるよ。だから、毎回、彩花に帰りが遅くなるってメールをしているよ」


 彩花の気持ちも分かる。

 でも、目の前にいる女子を悲しませるようなこともしたくないんだ。毎度のこと告白を断る俺が言える立場ではないけれど。

 彩花は俺の答えが気に入らないのか、涙をボロボロとこぼす。


「……どうしてなんですか? 私は何度も告白するほど直人先輩のことが好きなのに。世界で一番、直人先輩のことを愛しているのに! どうして先輩は私のことを優先してくれないんですか?」

「彩花とは帰ればこうして一緒にいられるだろう? でも、彼女達にとっては俺に気持ちを伝える機会は一度きりしかないかもしれないじゃないか。それを俺の判断で奪うようなことはできない」

「毎度毎度、告白を断っている先輩がそんな綺麗事をよく言えますね……」


 ごもっともなことだ。俺もそう思っているよ。


「直人先輩は優しいですから、そう思ってしまうのも分かります。ですが、先輩は後輩の女子と一緒に住んでいるんですよ。別の女子と一緒に遊ぶことで私がどう感じるか、少しは考えてほしいです」

「……ごめん」

「直人先輩はイケメンでモテますからね。クラスメイトの子に、先輩と一緒に住んでいることを羨ましがられるくらいです」

「それは初耳だなぁ」


 信じられない話だ。俺と住んでいることがそこまで羨ましがられるなんて。この部屋は2人部屋だし、彩花のように俺と一緒に暮らそうと企む女子がいたのかもしれない。


「とにかく、私を第一に考えてくれないと困ります! 直人先輩は私がこの家に来たときに言った言葉を覚えていないんですか?」

「もちろん覚えているよ。俺に貰われに来たってね」


 そう、今でも覚えている。

 約2週間前、突然、彩花はこの家にやってきて、


「私、先輩に貰われるために来ました!」


 同じフロアの部屋に聞こえてしまうような大声でそう言われたことを。あまりにもインパクトがありすぎて、その時はさすがに俺も言葉を失った。

 何のきっかけもなしに彩花が引っ越してきたのではない。彩花がここに引っ越してきた前日に俺は彼女を不良達から助けたのだ。怯えた彼女の表情が視界に入った瞬間、いてもたってもいられなくなったから。

 彩花は助けられた後に俺の名前を訊いてきたので、そこから俺の住んでいる場所を知ったのだろう。

 でも、最初はとまどった。年頃の女の子と2人きりで住むなんて普通は考えられない。だから、俺は断った。

 けれど、彩花は俺が自分を不良から助けてくれた上級生という理由で、学校から寮で俺と一緒に住む許可を得ていたのだ。

 そんなことで許可を出してしまうのかと疑い、学校に確認したら許可を出したと言われたので、俺は断ることができなくなってしまった。

 彩花と一緒に住み始めてから、幾度となく告白をされ続けた。もちろん、俺はその度に断っていた。一緒に住んでいる女の子に対して酷だと思うけれど、自分の気持ちには正直でいた方がいいと思い、俺は彩花とは先輩後輩の関係でいようと考えている。また、俺が彩花からの告白を断り続けることで、彼女がここには居づらくなって実家に帰ると思っていた。

 しかし、彩花は諦めるような雰囲気は一切見せず、俺との距離をますます縮めようとしている。それ故に、俺が他の女子と一緒にいることに対して不快に思い始め、いつしかそれが怒りへと変わって表に出すようになった。


「直人先輩のことが好きだから、私は先輩に貰われるためにここに来たんですよ。そのために私は先輩へ何度も告白もしましたし、色々と尽くしてきたつもりです。それなのに、どうして私以外の女の子とこうして楽しそうにしているんですか!」


 ドン! と、彩花は再びテーブルを強く叩いた。

 俺は決して、彩花が嫌だから他の女子と外で楽しんでいるんじゃない。彩花のことは大切に思っている。それを伝えたいけれど、今の彩花には何を言っても俺の想いが伝わらない気がする。


「何にも言わないんですか。よほど言えないことがあるんでしょうね」

「そうじゃない。俺はただ――」

「こうなったら仕方ありませんね。何度言っても女の子と遊んできてしまうような直人先輩にはこうするしかないようです」


 そう言うと、彩花はブレザーのポケットに手を入れながら俺の側まで歩いてくる。


「私から離れちゃいけないことを直人先輩に教えてあげないと。先輩には私だけがいればいいんですから」


 俺の耳元で彩花がそう囁いた次の瞬間、


 ――ガチャ。


 という聞き慣れない音が聞こえた。

 俺の左腕が何かに引っ張られているのが分かった。すぐに見てみると、左手には手錠の片方がかけられていた。そして、もう片方は彩花の右手に。


「どうして手錠なんてものをかけるんだ! それに、こういったものをどこで手に入れてくるんだか……」


 手錠なんて初めて見たぞ。もちろん、かけられることも初体験。


「最近の通販サイトは幅広いジャンルのものを扱っていますからね……」

「それでも手錠は監禁のためにしか使わないだろう! そんな法に触れそうな行為を助長するものを売っていいのか……」

「手錠は罪を犯した人にかけるものです。そんな人を野放しにするなんて危険なことじゃないですか」

「今の言葉だけは筋が通っているな……」


 つまり、彩花にとっては俺が他の女子と遊ぶことが罪だと言いたいのか。

 彩花は俺のことをぎゅっと抱きしめてくる。


「あぁ、先輩の匂いはやっぱりいいですね。他の女の子の匂いが混じっていることが気に食わないですけど。私、ずっとこうしていたいです。まあ、そうするためにもかけたんですけどね」


 猫なで声でそう呟き、彩花は俺の胸の中で頭をすりすりしてくる。その度に彩花の甘い匂いがしてきて。彩花の温かく荒い吐息が制服越しに伝わってくる。

 彩花は可愛いし、手錠をかけられてなければ少しの間はこうさせてあげたい。彩花に抱きつかれることは別に嫌じゃないから。

 けれど、今は手錠をかけられている。まずはこの状況をどうにかしないと。


「彩花、手錠を外してくれないか。そうすればいくらでも抱きしめるから。俺は彩花を大切に思ってるし、そういうことをしてもいいって思ってる」

「……そのくらいのことでは外しませんよ。最低でも私と一緒にいると約束して、誓いの口づけでもしてくれないと」

「こんな状況で口づけされたって別に嬉しくないだろう」

「そんなわけありませんよ。だって、直人先輩が私と一緒にいることを約束してくれるんですよ? しかも、口づけしてくれるんです。これ以上に嬉しいことはないですって。」


 彩花は嬉しそうな笑みを浮かべて、体を更に密着させてくる。意外と豊満な彼女の胸が俺の体に当たる。こうすることで俺を落とそうとしているに違いない。


「さあ、先輩。許してほしかったら口づけをしてください」


 そう言って、彩花は俺の顔を見てゆっくりと目を閉じた。

 今の表情もかなり可愛い。俺が彩花と付き合わないと心に決めていなければ、勢いで口づけをしてしまうところだろう。

 このまま口づけをすれば俺は彼女の手中にはまってしまうことになる。それだけは絶対に避けなければ。


「口づけだけはできないよ。だって、俺がしたくないから。口づけっていうのは互いにしたいと思うことで初めて成り立つのであって――」

「つべこべ言わないでくださいよ、先輩」


 可愛い顔をしていても、至近距離で睨まれるとさすがに怖い。彩花が俺を激しく求めていることは本当だろう。


「先輩にそんなことを言う権限はありません。先輩は何回も私の心を傷つけてきた。その罪は大きいものなんですよ。だから、私の要求を呑むのは当然のことでしょう? 例えそれが口づけであっても」

「つまり、俺が口づけをしない限り、この状況は一切変わらない。彩花はそう主張するつもりなんだな?」

「正解です、先輩。だからお願いします」


 彩花は再び目を閉じた。

 できるだけ優しい言葉でこの状況を変えたかったかったんだけど、どうやらそれは無理みたいだ。

 こうなったら、こちらも彩花に勝るとも劣らない気迫でいかなければならない。幸いにも、今の状況を覆せるほどの材料がすぐ側にある。彩花を傷つけることになるのは心苦しいがやらないよりはよっぽどマシだ。


「いい加減にしろ、この生意気小娘が」

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