僕が彼女を見る時

 僕が彼女を見かけるとき、彼女は決まって本を読んでいる。

 それがまるで彼女のデフォルトであるかのように。いつでも、どこでも、どんな時でも。いかなる状況でも、だ。

 僕が見る彼女は、いつも本を読んでいた。


 本を読んでいる時の彼女は、例えようもなく美しい……と、僕はいつも思う。あえて例えるならば、それは絵画のようだ。

 単なる僕のひいき目に過ぎないかもしれないが、僕の中ではそれが真実だった。

 うつむいたまま、本に目線を落とす彼女。長いまつげに彩られた漆黒の澄んだ瞳は、光の加減かほんの少し暗く見える。

 一枚ずつ丁寧にページをめくるそのほっそりした白い指も――あえて例えるとするならば、それはまるで白魚のように――しなやかで綺麗だ。


 表情は基本、無に等しい。きっと本の内容に集中していて、真剣になっているからなのだろう。

 だけど彼女をよく見ていると、時折それが様々に変わっているのが分かる。

 いま彼女が読んでいる本の内容がどんなものなのか、いま彼女はどのようなシーンを読んでいるのか……それを読んでいるわけでもないし内容も知らない、そんな僕にまで、十分すぎるくらい伝わってくる。それほど彼女の表情は豊かだった。

 ――例えば彼女が控えめにクスリと笑ったり、笑いをこらえるように口元を手で覆っていたりする時には、面白おかしいコメディタッチで描かれたシーンなのだろう、とか。

 苛立たしげに眉をひそめるときには、何か不条理で、彼女の気に食わない描写があるシーンなんだろう、とか。

 切なそうに目を細めるときには、悲しくて苦しくて、感情移入せずにはいられない、そんなどうしようもなく切ないシーンなんだろう、とか。

 まつ毛を小刻みに震わせ、黒い瞳を濡らしながら幸福そうに微笑んでいる時には、温かくて思わず感動してしまうような素敵なシーンなんだろう、とか。

 彼女の一つ一つの表情を見ているうちに、僕自身もいつの間にか同じ風に笑ったり、腹が立ったり、胸を打たれたりしていた。

 ……そんな僕は、周りからはひどく奇怪な生き物に映るのだろうけれど。


 それでも僕は、彼女から目が離せない。

 彼女自身が一つの物語であり、それを僕が夢中で読み進めているかのように。


    ◆◆◆


 休日の図書館。

 試験勉強、調べ物、単なる暇つぶし……さまざまな目的を持つ人間たちが集う中で、僕は今日も目ざとく彼女を見つけた。羅列する本棚の端っこへ置かれた椅子にゆったりと座って、ハードカバーの分厚い本を読んでいる。

 微笑ましげに目を細めているその表情からは、物語の中で動く登場人物たちを見守っているかのような優しさが伝わってきた。

 ……あぁ、今日も綺麗だ。

 僕もつられて、彼女と同じ風に微笑んだ。


 ――と、その時。

 今までずっと本から目を離すことなどなかった彼女が初めて、ふ、と顔を上げた。

 いきなりだったので顔をそむける間もなく、ばっちりと目が合う。

 ……やばい。さすがに気付かれてしまったのだろうか。ずっと見てきて気持ち悪いなコイツ、とか思われていたらどうしよう。

 そんな風に内心焦りながら、どう対応しようか困って口を開閉させていると。


 僕から目をそらさぬまま、彼女が僕に向かって親しげに微笑んだ。

 初めて正面から見た、彼女の甘い笑顔。


 ――僕の中で、音がした。

 それは何かが落ちるような、今までと決定的に何かが違うような……そんな、甘く切ない音だった。

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