【九級車】
「うちの息子が熱を出してしまったんです」と声がする、日夜市民の安全を守る東京救急センターには12名の常駐オペレーターがついているがひっきりなしに続く通報にてんやわんやの状況だ。「ではそちらへは九級車を手配いたします、到着までお持ちください。」と一人の男性オペレーターがタッチパネルを動かしながら指示を出す、電話の向こうからは再度「わかりました。」と女性の声が返ってくる、これで1通りの対応は完了だ、休憩をとっていられるのもつかの間、すぐに次がやってくる。
首都東京では20年前から救急車の出動要請があまりにも増えすぎたため、車両のキャパシティーをオーバーし、現場到着まで最大7分の到着遅れが出てしまっていた。これでは心停止からの生還ラインである3分に間に合わず、死者は増えて行くばかりであった。右肩上がりに伸び続ける緊急性のない通報やいたずら電話、しかし応答しなければ万が一本当に生命の危機に瀕している人を救うことが出来ない。これらの大きな矛盾に頭を悩ませていた本部だったが、次の都知事の名案により、この状況は劇的に改善していった。その内容とは危険度に応じて異なる方法で現場に向かうという物だった。
全10種、3段階に分かれた階級が制定、第1から3種には最重要救命令が発令され、基本的にドクターヘリが急行する、次の4種から6種では一般救命令に格下げされるがそれでも従来と同じ緊急車両による搬送に、そして7種から9種では緊急性のない物として、付近のタクシーやボランティアチームの車両が向かう事になっている。見た通り数字が小さなものになればなるほど搬送の緊急性は上がるのだ。
この方式が確立されてから、緊急性の高い患者への到着にかかる時間が平均2分49秒となり、見事3分の壁を維持することに成功した。これには世界中から称賛の声が届き、現都知事は誰よりも都民の命を重要視した官僚だ、と政界からも一目置かれるようになった。
夏の暑さに喘ぐような8月中旬、深夜の環状線で事故が起きたと同センターに緊急通報が入った。通報者は40代の男性で、彼曰く「高速道を走っていたら渋滞が起きていた、何だろうと思いながらも見ていると少し先で黒煙と赤い信号煙が上がったので急いで電話したのだ」と言う。オペレーターの男はそれに対し「あー、では申し訳ありませんがもう少し近づいたりして詳しく情報を教えてはくれませんか?」と返す、親切な通報者は「ええ、やってみます。」と不安そうだが了承してくれた。
バクンバクンと心臓が跳ねる音が聞こえてくる、この回線をつないだ二人ともがかなり緊張しているのが容易に伺えた。十数秒後に向こうから「ひっ!」という声が流れる、オペレーターは「どうです?」と返すと通報者はしばらく黙ってからこう続けた「人が…倒れていますが…もう…どうにも…。」その声をかき消すように高速機動隊のサイレン音がけたたましく響く、ごちゃごちゃっとした雑音の後に別の声が聞こえてきた。「こちら機動隊、現場到着し、お電話代わりました。」
どうやら声の主は先ほど到着した警察官らしい、オペレーターが「状況をお願いしますと」返すと、相手は悲痛な声で「残念ながら手遅れです、第0種をお願いします」と呟くように答えた。室内には何とも言えない雰囲気が漂う、オペレーターは手で顔を拭うと、何も言わず手元のパネルを操作する。一通り動かし終わると深呼吸をしてから最後の1文を読み上げる。「零級車、手配完了しました。」
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