【Kill , Me Baby .】

 年季の入った重機が軋みを立てながらゆったりと壊れかけの建築物に手をかける、その姿は老人のように決して効率的だとは言えないが、技術は年相応に確かなものだった。バラバラと降りかかる埃やコンクリート片をひび割れたヘルメットで弾きながら、霧ががった建物内から破材を持ち出す。この仕事へは家族から逃げるように就いた、正確には15になったその日に家出をしてからアテなどなく、途方に暮れて架橋下で寝ていた時に出会ったおっさんの紹介で解体業の作業員になった。


「おいボウズ、一人か?」


その一言がこの生活の始まりだった。

あのおっさんは俺におにぎりを一つ投げ渡すと、親身になって昔話を聞いてくれた。

俺は小さいころから、両親に殴られて育ってきた、いや出来ることなら「両親」なんて畏まった言い方ではなく「1対の塵屑」と呼んでしまいたいほどだ。

父だった男はひどく酒癖が悪く、帰るなり直ぐにビールを取り出して飲む毎日だった、そんなのだから当然母との関係も良いものではなく、毎度のごとく日頃の愚痴から口げんかになり、その怒りのはけ口はいつだって俺に回ってきた。初めは素手、そこからフライパンに、木製バットに、一番痛かったのは間違いなくゴルフクラブで腹を抉られた時だったと思う。その方法も嫌というほど巧妙で絶対に顔だけは殴られなかった、そこにあざができれば学校側の介入が確実になるからだ。背中と腹の痣はいつだって消えることはなかった、他にも咥えタバコの根性焼の痕に、こっちはガラスに叩き付けられた時に出来た切り傷だ。何年もたった今でもそのことは眠ろうとするためにフラッシュバックしてくる。今だから言えるのはあれが衝動的なものじゃ無く、あいつなりの計算ずくの産物だったって事だ。飯だって朝はもちろん夜なんて代金はあいつのタバコと酒代、そしてあの女の化粧品代としてとっくに消えていた。元々俺の分なんてあの家計には存在しなかったんだ。あいつらからは、お前は俺と女のどっちにも似つかない見た目だからこそ殴りやすくて有り難いなんて笑われた事もあった。こんな風貌だからか友達と呼べるやつも出来なかったし、できれば作りたくはなかった。こんなやつとつるんだところで良い事なんてこれっぽちも無いのだから。今まで何度生まれて来なければ良かったと思ったか、その数だけは今では覚えていない。

こんな話をすると、おっさんは無言で数回頷いてからよし、ならウチで働くと良いと俺を雇ってくれた。仕事はすべて肉体労働でたしかに辛かったがあいつらと居なくとも済むってだけで何分楽だった。


「おい、ぼーっとするな死んじまうぞ」


ショベルからベテランの声が聞こえる。パラパラと破片が地面を叩くので上を見れば今まさに黒檀のように使い古された御柱が頭上を移動している真っ最中であった。重油塗れの金属ワイヤはキシキシと音を立てて引き延ばされている、雑に縛られた塊が過ぎ去っていこうとした瞬間ガンっと言う甲高い音と同時に瓦礫が俺を覆いつくすように降りかかってきた、金属疲労で捻じ切られたか細い針金のようなそれにはあれだけの重量に耐える力などさっぱり無かったのだろう。数トンの殺人者は俺の体のあらゆる場所を押し潰すようにして一角に山を作った。肺から酸素が抜け出していき、目の前の光が掠れていく中で最後に聞こえたのはあのおっさんの聞き取れやしない大声だった。


「あーもうこんな所にいらしたんですか?」


その声と共に体を揺り動かされて目が覚める。

飛び込んできた景色は予想通り病院だが明らかにおかしい部分がある、それは何かと言えば俺が寝かされていたのは間違いなく病院の廊下だったからだ。混乱する俺をよそに目の前に立ちはだかった事務員らしき白衣の男は呆れた顔で続けた。

「ダクト修理で来てくださった作業員の方ですよね?あぁもう…病院だからあれだけ綺麗な服で来てくれと念押ししたのに…まぁいいでしょう。エアシャワーを浴びれば済む話ですから」

と俺の手をつかんで引っ張り出した、しかし不思議なほどに体中の痛みは無かったかのよう引いており、彼につれられるまま病院内を移動した。

壁を見れば今年は献血年ですと書かれたポスターの下に1992年7月9日と書いてある

「古いポスターですね、いつごろから貼っているんですか?」

「え?何を仰っているんです?これはつい先週貼ったばかりですよ、急に指示が来たんでちょっと雑になりましたけどね。」

「そんな馬鹿な、今は2012年では?」

「はぁ…まだ夢心地ですか?雑談は作業後にお願いします、今回は新生児棟の方になるんで早めに直してもらわなくては困るんですよ」

驚いた顔の俺を怪訝そうに彼は睨むとエアシャワーの中へ押し込まれ、ゴウっと強烈な圧が体を突き抜けるように流れた。そこを通り抜けると新生児の病棟があり、そこのカレンダーには7月16日に丸がついていた。間違いない、この日は丁度俺の誕生日だ、一度も祝われなかったから忘れかけていたが…。病棟を眺めながら進んでいると、その小さなベッドの一つに見覚えがある名前が付けられているではないか、それはまごうことなき俺自身の名前だった。時間移動なんて信じがたいが今確かに俺は過去の俺を直接見ている。あの事故がどう作用したのかはバカな俺には見当もつかないが、それでもこれは夢でも何でもない現実だと直観した。それと同時に幼いころの酷い記憶が土石流の如く脳内に襲い掛かってきた、もしここであの赤ん坊…いや俺自身を殺せばこんな人生無かったことに出来るのではないだろうか?しかも殺すのは今の俺ではない、痛みや苦しみもなく何も感じないままリセットできる。脳が自制するよりも先に、右手は腰に提げたスパナに伸びていた。何か大きなものに突き動かされるように扉をこじ開けると看護師の制止を振り切ってその赤ん坊に重い一撃を落とした。周囲は叫び声に包まれ、金切り声が脳を裂くように飛び交った。奥から医師が飛びかかってきて俺を押さえつける、スパナはつるりと力を失った右手から飛び出し、仕切りのガラスを割って、そばに寝かされていたもう一人の赤ん坊の頭にその破片がぶち当たった。抵抗もしないまま俺は彼らに取り押さえられ、警察に引き渡された。

しかし不思議なことに過去の自分を殺したはずなのに、今の、未来の自分はまだここにいるではないか。パトカーの後部座席に乗せられてバックミラーからの光が目に当たる。まばゆい光に目を細め、暫くしてから再度その小さな鏡をよく見れば、そこに映る俺の頭には見覚えのないとても大きな傷がくっきりとついていた。

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