リクト

キンキン

プロローグ

「恥を忍んで申し上げます。あれは化け物です。人間じゃありません」


 とある部屋の一室で、迷彩服に身を包んだ陸上自衛隊員・澤田信也はそう言った。身長は180cmで筋肉隆々、顔つきもすこしごつい三十歳の若手隊員だが右腕に包帯を巻いていた。彼の前には軍服に身を包んだ五十四歳の陸上自衛隊統合幕僚長、佐上五郎が座っていた。佐上はなだめるように言った。


「落ち着け。一言目がそれだと会話が続かない」

「そう言われましても、これ以外の言葉が見つからないのです」

「しかしだな。君は『特殊戦略群』の人間だろう? その君がそんな事を言うのであれば、今後我々はどうしたらいいのだ?」


 特殊戦略群。陸上自衛隊の特殊部隊であり、隊員構成、任務、訓練内容、装備などについて一切公表されていない世界でもトップクラスの精鋭部隊である。澤田はその隊員であった。佐上は続けた。


「……念のため確認する。最初は青森だった。とんでもない怪力の男が暴れていると警察に通報があり出動、そして全滅。次は石川。同様の通報があり今度はSATが出動し、全滅。そして今回の群馬でとうとう我々自衛隊が出動した。しかし先の二件と違う所は、君だ。初めての生存者なんだ。現場で一体何が……」


佐上の言葉を遮り、澤田は口を開いた。


「違います」

「……何がだ?」

「先の二件が、私の体験したものと同様であれば、全滅という言葉は正しくないはずです。おそらく箝口令が敷かれているのでしょう」

「ではどう言えばいい?」

「……皆殺し、です」


 佐上はぞっとした。澤田の言葉には嘘偽りを感じなかった。それどころか澤田の言葉に恐怖すら感じたのだ。

 澤田は深呼吸をして、語り始めた。


「……地元警察の聞き込みにより『対象』が山奥に逃げ込んだという事が判明しました。夜になり現場に急行すると、そこにあったのは廃工場でした。周囲は鉄柵で囲われており、立ち入り禁止の看板が掲げられていました。我々は装甲車一台、隊員輸送用の大型バス二台で現着しました。上空では我々のヘリコプターが一機旋回していました。

 隊員は私を含めた二十数名。もちろん全員がライフルや防弾チョッキで武装しています。自分で言うのも変ですが、皆精神的にも肉体的にも過酷な訓練を生き残った精鋭達です。

 我々は二班に分かれ行動を開始しました。屋内班と屋外班です。私は屋外班に回されました。

 ヘリコプターからライトが照射され、ついに突入を開始しました。私は仲間と共に周囲を捜索していました。その時でした……屋内からライフルの銃声音が聞こえてきたんです。それも一つだけじゃない。複数のライフルが何十発も発射される音でした。我々は中へと急行しました。

 中は昔作業場だったのでしょう。工具や作業台、壊れた扇風機などが散乱していました。割と広く、夜でしたので奥の方は見えませんでした。先ほどの激しい銃撃音が嘘のように静寂に包まれていました。我々は奥へと向かいました。そこで……」


 澤田は言葉を詰まらせた。そして体を小刻みに震わせながら続けた。


「……そこで我々が見たものは、まさに地獄絵図でした。ある隊員は首があり得ない方向に折れていて、ある隊員は腕をもがれていて、ある隊員は体を貫かれていました。血の海という表現が瞬時に浮かんだのは初めての事でした。ほぼ全員が絶命していたのです」

「……ほぼ?」

「一人だけ、息のある隊員を見つけたのです。駆け寄って何が起こったのか確認しました。彼は虫の息で答えました。『逃げろ』と……そして彼は息を引き取りました。私は今までどんな訓練にも耐えてきました。自分を高めるために、海外の紛争地域にも赴きいろいろな惨状も見てきました。でも……あんなの見たことない……私は恐怖を感じていました」


 澤田は涙ぐんだ。佐上はどう声を掛けていいかわからなかった。話を聞いているだけでも胃がひっくり返りそうになっていた。澤田は涙を拭い続けた。


「その時でした。天井から何かがぽたり、ぽたりと落ちてきたのです。確認すると、それは血でした。私は恐る恐る天井を見ました。そこにいたのは……上半身裸の血まみれの男でした。天井の鉄の棒に片手でぶら下がり、こちらを見て笑っていたのです。瞬時に『対象』であると理解し、私は「撃て!」と叫びました。そして一斉射撃が始まりました。何度も、何十発も命中しました。命中しているはずなんです。でも男には全く効いていませんでした……全く貫通しない。すると男は飛び降りてきて、反撃を開始しました。もちろんまだ銃撃は止んでいません。しかし男は動じずに徐々にこちらに向かってきます。そして隊員の一人を殴り飛ばしました……そこからはもう、あっと言う間でした。ライフルを奪ったかと思えば握りつぶし、殴り飛ばし、蹴り飛ばし。中には顔がつぶれ、体を貫かれ内臓が飛び出ている隊員もいました。気づいた時には、生存者は私一人になってました。私はその場から逃げ出し、外に出ました……しかし男はあきらめなかった。天井を突き破り外に出て私の前に立ったのです」


 佐上は内ポケットから煙草を取り出し火をつけた。


「すまんな……吸わないと聞けない気がして……」

「いえ……一本、もらって良いですか?」

「あぁ、いいよ」


 澤田が煙草を受け取ると、佐上が火をつけた。澤田は煙を吐き出すと、体の力が少し抜けたのか、少し表情が柔らかくなった。


「吸ってたのか?」

「ええ。たまに。でもチームに参加してからはやめてました」

「……そうか」

「……今思えば、我々が追い詰めたんじゃないんです。誘引されていたんでしょうね」


 澤田はそう言うと、ヤニのせいか、目がとろけ始めぼーっとし始めた。しばらく沈黙の時間が流れた。二人はゆっくりと煙草を吸っている。それはこの後のことを出来れば話したくない、聞きたくないという気持ちとも取れた。佐上が床に灰を落とすと、澤田も習って灰を落とした。


「……床で消していいぞ」

「……はい」


 二人はそろって床で煙草の火を消した。そして澤田は続けた。


「……男と外で相対して、私は立ち尽くしていました。すると空を旋回していたヘリが私達を照射しました。そして男に向かって射撃を開始しました。もちろん男は怯みません。しかし男の注意はそちらに向きました。私はその隙に装甲車の中へと乗り込みました。男は我々が乗って来た大型バスのタイヤを外し、ヘリめがけて投げました。タイヤは命中し、ヘリは爆発し炎上しました。その時、私は猛スピードで装甲車を走らせ、男に突っ込みました。そしてそのまま建物の壁まで行き、男を板挟みにしました。私は足からペダルを離しませんでした。思いっきり踏み込みました。タイヤは徐々に地面をすり減らしていきました。しかし男は、死ぬことはおろか気絶することもなく、私に向かってまた笑ったのです。そして、装甲車を持ち上げて、投げ飛ばしました。この腕はその時折ったものです。私は横転した装甲車から辛くも這い出ました。そして、這い出た私の前に、男が立ちました。しかし……」


 澤田はそう言うと、言葉を止めた。そして少し考えた後、切り出した。


「青森や石川の件、犯人は逮捕、あるいは駆逐したのでしょうか?」


 佐上は困ったように答えた。


「それなんだがな、分からないんだ」

「分からないとは?」

「現場での目撃者が誰もいないんだ。誰が犯人で、死んだとしたら遺体は、もし生き延びていたとしたらどこにいったのか。同一犯だとしても単独犯、あるいは集団なのか。後方支援が到着した時には騒ぎが収まっていて、全滅していたと」

「そう……ですか……」

「何だ? というより、群馬ではどうだったんだ?」

「……私の考えですが、おそらく青森、石川、そして群馬の犯人は同じ能力を持った別人の可能性があります。ですが、結末だけは同じでしょう」

「……何を言っている?」

「今から言う人物を早急に探して下さい。私の予想では今後、このような事件は多発するでしょう。その時、対抗出来るのは、彼しかいません」

「彼? 他にも誰かいたのか!?」


 佐上は思わず立ち上がった。澤田は落ち着いた口調で答えた。


「それが私が今、ここにいる理由ですよ」

「……何が、あったんだ?」

「……やっとの思いで装甲車から抜け出した私の首を男は掴み、体ごと持ち上げました。私が死を覚悟した、その時でした」


 佐上は息を飲んだ。


「バイクの走行音が聞こえてきたんです。しかも徐々にこちらに近づいている。私は一瞬応援が来たのかと思いました。男もその音に気付き、辺りを見渡しました。するとそこにライダースに太めのジーパンとブーツを履いた人物がバイクに乗って現れたのです」

「ただ迷っただけでは?」

「……彼は頭に妙な物を被っていたのです」

「頭? ヘルメットじゃないのか?」

「……目出しの、鉄仮面です」

「てっ……かめん……?」

「ええ、鉄仮面です。私があっけにとられていると、なぜか男は首から手を離しました。私が地面に倒れると、男が叫んだんです。『お前か!』と」

「その二人は知り合いだったのか?」

「それは分かりません。その後、鉄仮面はバイクを降りて、一目散に男に向かって行きました。そして、男を殴り飛ばしたんです。我々がライフルを使っても倒せなかった男をいとも簡単に!」


 澤田の息つくこともせずに続けた。


「男は数メートル、いや十数メートル吹き飛びました、男はよろけながら立ち上がり、鉄仮面に向かって行きました、そして何発も殴ろうとするのですが、鉄仮面には当らず、全てよけてました、鉄仮面は男の腹を殴りました。男は苦しみながらその場にうずくまりました、しかし男は一瞬の隙をつき、鉄仮面に体当たりしました、さすがの鉄仮面を吹っ飛びちょっとの間動かなくなりました、ここぞとばかりに男は鉄仮面に近づいていきます、私には何が起こっているのか全く分かりませんでした、すると鉄仮面は立ち上がりました、男は鉄仮面に突進していきます、鉄仮面は受け止めましたが、徐々に押されていきます、しかし最後は一瞬でした、鉄仮面は男の左胸に手を突き刺し心臓らしき物をえぐりとったんです」


 佐上は思わず聞き返した。


「らしきもの?」


澤田は落ち着きを取り戻し答えた。


「……暗がりで色は見えませんでしたが、球体だったんです。少なくとも、我々のしる心臓ではありません。男は苦しみ始めました。そして体が……枯渇していったのです。鉄仮面はその球体を握りつぶしました。すると男の体は灰になりました」


 佐上は言葉を失っていた。この男は何を言ってるのだろうか、嘘なのか、本当なのか、しかし本当だとしたら……。様々な思考が頭をめぐる中、佐上は言葉を振り絞った。


「……その後は?」

「……鉄仮面は私に近づいてきました。そしてこう言ったんです。『生きている人は初めてだ』と。若い、青年らしき声でした」

「男、という事か?」

「おそらく。その後、彼は横転していた装甲車を持ち上げ、元に戻してくれました。彼はバイクに乗り、どこかへ消えていきました。私は装甲車に乗って、基地に戻りました。そのまま放置したら危険なので」

「……つまり、その鉄仮面の男が、青森と石川にも現れ、同様の事をしたと?」


 澤田は頷いた。佐上は椅子に大きくもたれかかり、しばらく考え込んだ。言葉が何も出てこない。すると澤田はポケットから封筒を取り出し佐上に手渡した。そこには『辞表』と書かれていた。


「……これは?」

「……私にはもう、続けられる自信がありません。申し訳ありませんが、特殊戦略群も、自衛隊もやめさせて下さい」


 澤田は頭を下げた。


「……一応、預かっておこう」


 澤田は頭を上げ、部屋から出て行った。佐上は立ち上がり、床にあった吸い殻を二本拾い上げた。そして辞表をじっと見つめた。この辞表の持つ意味を考えていた。そして佐上に確信に近い考えが浮かんできた。あの男の言っていることは真実である、と。真実であるからこそ、関わり合いになる事を恐れ、身を引いたのだと。だとすれば


「何が起こっているんだ……」


 佐上は静かに呟いた。

 




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る