天空のワルキューレ

憑木影

第1話

 巨大な白い石柱が立ち並ぶ中を、兵士たちが駆けぬけてゆく。三千年の歴史を持つ王国の首都トラウスは、侵略者たちの前に屈しつつあった。

 一団の兵士らの先頭を駆けるレンには、この神殿が巨大な神の墓場に思える。トラウスの中心にあるヌース神の神殿は、ただひたすら巨大な石柱と白く輝く壁が続くばかりで、白銀の雪原に迷い込んだような錯覚を覚えた。

 この巨大な純白の迷路を、数万もの兵士が制圧しつつある。しかし、戦闘は殆ど行われなかった。神官たちは無条件に降伏しており、神官兵士と呼ばれる者たちも決して人間相手に剣を抜こうとはしない。

 この巨大な神殿を他国の侵入から守っていたのは、そここそ神の地上に降り立つ場所とする信仰が生きていたからである。人々がこの場所、トラウスに抱く畏怖の念こそ、最大の防壁であった。

 今その信仰にささえられた畏怖の念は、踏みにじられている。兵士の中には神殿に足を踏みいれたとたん、神の炎により焼き尽くされると信じていたものもいたが、何も起こらなかった。

 本来はそのこと自体が衝撃的なことのはずである。しかし、レンは何も感じないように努めた。おそらく彼の周りの兵士たちも同じ思いのはずだ。戦場では、ただ任務だけを忠実に実行する。それは彼らの体の中に刻み込まれた本能のようなものであり、今はその本能にただしたがうことが彼らの精神を守っているといえる。

 レンたちは命じられたとおりに、神官たちを見つけると捕虜として連行し、指定された拠点を確保するまで前進するだけであった。その先にあるといわれるロザーヌの塔。それが何ものであるかは、何も知らなかったし教えるといわれても拒否しただろう。

 ここには壮麗な壁画や、神像、宝石に飾られた神具は無い。ここに祭られるヌース神は理念のみの存在であり、偶像を否定しているからだ。ここはただ広く、高く、空疎であった。それは知っている。

 しかし、レンは不安だった。おそらく周りの兵士たちも同じだろう。ここには何かがあるはずだ。いや、何かがなければならない。中原で最強の軍であるオーラ軍が万を超える兵力を投入して制圧しているのだ。

 ようやくレンたちは、指定された拠点の手前まで来た。後すこしで彼らの疾走は終わり、本隊の到着を待つことになる。しかし、レンたちは目的の地点にたどり着かなかった。

 レンたちはその瞬間、走ることを忘れる。それは神話が降臨する瞬間。レンたちは改めて自分たちが神の棲む場所へ来たことを知った。

 巨人である。レンたちは、目の前に現れた巨人を見つめていた。白亜の神殿から浮き出てきたように思える純白のマントを身につけた巨人。

 その髪は黄金の炎であり、その瞳は青く輝く宝石。見事に均整のとれた四肢を持つ巨人は女性の姿を持ち、しかも美しい。

 そう、美しかった。それは人間の持つべき美しさでは無い。いや、自分たちは卑小な誤った存在であり彼女こそ、その巨人こそが完全なる存在だという錯覚に陥っていく。

 最初に我に帰ったのはレンである。彼は自分の隊のものに指示を出す。彼らは四人一組のユニットから形成されており、8ユニットが一つの隊である。

 レンの配下には今二つの隊がいる。レンは一つの隊を後方に配置し、巨人の前後左右に2ユニットずつ置いて四方からとりかこんだ。

 巨人についての一応の知識は持っている。まともに戦ってかなう相手ではない。

後方の隊より数名が援軍を依頼しに走った。彼らにできることはただ足留めくらいである。

 巨人は薄く笑いながら、兵士たちが布陣を整えるのを見ていた。その笑みには嘲りが潜んでいる。レンにはそれが判った。

「道をあけるがいい、小さき者たちよ」

 巨人の声が、真白き神殿に響く。それは雪原をわたる風であり、闇を裂く月の輝きであった。レンは自分の足が震えているのに気付く。

「望んで死ぬことは無いぞ、小さき者。いくらとるに足らぬ生であっても、虫けらのように死ぬことは無い。いいか、私の望みはロザーヌの塔へゆくこと。道をあければ誰も殺さない」

 レンは自分でも理解できない陶酔がゆっくりと心を満たしていくのを、感じる。

神話と一体化し、神話を生き、神話の中で死ぬという陶酔。それこそが、今目の前でおころうとしていることであった。

 レンは自分が絶叫するのを、他人ごとのように聞いた。

「殺せ、その無様な白い女トロールを八裂きにしろ」

 兵士たちは槍を構え、攻撃体勢にはいる。その瞬間、閃光が疾った。レンは自分の視界が紅く染まったのを知る。

 目の前に八人の兵士たちが転がっていた。その兵士たちは胴を両断されている。

真っ白な石の床を、夕日が雪原に沈むように真紅の血潮が紅く染めてゆく。

 巨人は剣を抜いていた。切っ先きが戦斧のように平たくなった、半ばメイスのような巨大な鉄材を思わす剣だ。無骨な外見に似合わず、きめ細かい輝きを持つ剣である。巨人は、その剣で一瞬にして八人の兵を斬った。太刀が振られる瞬間は、肉眼では捕らえられない。ただ閃光にしか見えなかった。

 レンは夢中で絶叫する。そうしなければ、一歩も動けなかっただろう。兵士たちも皆、雄叫びをあげる。フレヤだけが残酷な女神の笑みを浮かべていた。

「殺せ、殺せ」

 レンはそう叫びながら自らも剣を抜く。そして最後にレンが見たのは、自分の血で紅く濡れた石の床であった。


 ふたりの女官が、神殿の中を駆けてゆく。一人は銀の髪、もう一人は黒髪であった。黒髪の女官が遅れ始める。銀の髪の女官は立ち止まり、後ろの女官に声を掛けた。

「エリウス様、急いでください」

「もうだめだよ、ちょっと休もう」

 黒髪の女官が発したその声は、青年のものだ。白い女性用の僧衣に身を包んだその若者は、男性らしい。しかし、その美貌は性を超越した妖精めいたものであり、声を発しないかぎり性別は判りそうになかった。

 エリウスと呼ばれたその青年は、白い布につつまれた細長い杖のようなもので体を支え、息をととのえながら銀の髪の女官に声をかける。

「ねえイリス、父さんはどうしたのかな」

 イリスと呼ばれたその女官は、サファイアの青さを持つ瞳に苛だちを宿しながらエリウスを見る。エリウスより年上らしいイリスは冷めた美貌の持ち主だが、エリウスの前に立つと見劣りすると言わざるおえない。

「王のことを言っておられるのであれば、トラウスの防衛戦で戦死されたとお伝えしましたが」

「いや、そういうことになっているのは知ってるけどね。一応、僕は肉親だよ」

 イリスの瞳は冷たい輝きを放ち、我慢の限界に来つつあることを示している。しかし、それを見るエリウスはのほほんと笑うばかりだ。イリスは溜息をつく。

「なんといわれようと、答えは同じです」

「はあ、そうですか」

 エリウスは気の抜けた返事をする。その表情は茫洋として考えが読めない。というより、その美貌の青年は何も考えていないのかもしれない。

「それにしても、結構神殿の奥深いとこまできたね。もうすぐロザーヌの塔への扉があるよ」

「そろそろ行きましょう、脱出できる地下道の入り口は、すぐそこです」

 イリスに促され、ようやくエリウスは歩き出す。イリスは、白く高い神殿の壁にある扉を押した。

 扉を抜け出た二人は、息を呑む。そこに居たのは、侵略軍の兵士たちだ。歩兵の数は三個小隊を超えているだろう。それよりも目を引くのは、その後ろにいる鋼鉄の蜘蛛を思わせる機動甲冑だ。

 漆黒の黒い装甲に包まれ、鋼鉄の八足を蠢かせる巨大な蜘蛛たちは、二十機もいるだろうか。その亜生命体である機動兵器は、中原のあらゆる軍隊を打ち破ってきた。無敵ともいえる鉄の蜘蛛たちは、その凶悪な外見にふさわしい強大な戦闘力を持つ。

 イリスはとっさに悲鳴をあげると身を伏せ、体を震わせる。エリウスもそれにならった。イリスは心の中で呟く。

(まさか、こんなに速く神殿の深部までくるとは。まるでここを目指してきたような)

「こんなところで、何をしている」

 侵略軍の歩兵が、声をかけた。

「お許しください」

 イリスが震える声で答えた。兵士はなだめるように、問いを繰り返す。

「何をしていると聞いた」

「逃げようとしたのですが、道に迷ってしまい彷徨っていました。まだここに来て日が浅いもので」

 兵士は少し相談すると、手を振った。

「行け、出口は向こうだ」

 イリスとエリウスは立ちあがり、立ち去ろうとする。その瞬間、再び兵士が声を発した。

「そこの黒髪の女、それはなんだ」

 兵士はエリウスの持つ、細長い包みを指さしている。イリスはとっさに答えようとした。

「それは」

「おまえに聞いているのでは無い、黒髪の女、おまえが答えろ」

 兵士の答えに、エリウスは微笑んだ。神々ですら魅入られるであろうその美貌。

その黒き瞳の輝きは、神秘性すら宿しているように見える。兵士たちはエリウスに目を奪われ、同時に戦慄を覚えた。

 そこにいる兵士たちは直感的に、自分の出会ったものが魔であることに気付く。

それは人の美しさでは無い。古きこの王国に潜む魔の一つに違いなかった。

 エリウスは笑みを浮かべながら、ゆっくりと手にした包みをほどく。

「もういいよ、イリス。面倒臭くなった」

 包みの下から現れたのは、漆黒の鞘に収められた剣である。柄には絹糸が何重にも巻かれていた。エリウスはもの憂げにしゃべる。

「申し訳ないけれどあなた方には、死んでもらうよ」

「貴様、」

 兵士たちの前でゆっくりと、その片刃で微かに反りがある剣が抜かれた。その剣は奇妙なことに刀身を半ばで絶ちきられいる。兵士たちはエリウスから目を離すことができない。その美しさは、見るものの心を停止させてしまう。

 漆黒の瞳が妖しく煌めく。エリウスは左手に剣を掲げたまま、一歩前にでる。

「じゃあ、誰から死ぬんだい」

「ふざけるな」

 兵士は叫ぶと、槍を構える。兵士たちは理解していない。自分たちが目の当たりにしているものが、伝説の刀ノウトゥングであることを。エリウスは艶やかといってもいい笑みを見せ、剣を構える。そして、唐突に動きを止めた。

「やあ、ひさしぶりだ」

 そう言ったエリウスの眼差しは兵士たちを通り越して、その背後を見ている。ただ茫洋と視線を泳がしているようなエリウスの見る先を求め、兵士たちは振り向いた。そして、文字どおり凍りつく。

 その瞳は、真冬の晴れ渡る空。その髪は黄金に輝く夜明けの太陽。身に纏ったマントは新雪の純白を備える。そして凶悪にして繊細な輝きを持つ剣を手にし、巨人が佇んでいた。

 その美貌の巨人は女神の微笑みを見せ、エリウスに語りかけた。

「おまえか、小僧。何をしている」

「いや、ただこうしているんだけど」

 エリウスは、見るものが陶酔に呑み込まれるような美しい笑みを見せた。

「よかったよ、フレヤ。君がこなかったら僕が死体の山を造らないといけないところだった。こういうことは、君にまかせるよ」

「やれやれだな」

 フレヤと呼ばれた巨人は、溜息をつく。兵士たちは後ろに下がり、機動甲冑が動き始めた。機動甲冑たちは、その先端部から火砲の砲身をつきだし、フレヤに狙いを定めている。

 巨人が跳躍したのと火砲が火を吹いたのは、ほぼ同時だった。紅蓮の炎が白亜の神殿を舐めまわす。白い巨鳥のように舞いあがったフレヤは、真冬の暴風となり鋼鉄の蜘蛛へ襲いかかった。

 雪原を支配するブリザードと化した巨大な剣が鋼鉄の蜘蛛を跳ねとばす。両断された2体の機動甲冑が兵士の中に墜ちていった。怒号と悲鳴が沸き起こる。

 フレヤは怒れる真白き神となった。黒く蠢く機動甲冑たちは、真紅の炎を巻き散らしながら破壊されてゆく。そこは爆煙と火焔に満ちた狂気の地獄となる。ただフレヤだけはその破壊の中心にいながら、冷たく冴えた月のような美貌に笑みを浮かべ続けていた。

 瞬く間に機動甲冑たちの半数は、壊滅している。呑気に日向で微睡んでいるようにその様を見つめていたエリウスは、背後のイリスに声をかけられ我にかえったように振り向いた。

「逃げるなら今です」

「うん」

 素直に頷いた女装の青年は、イリスに従って狂気と炎に満ちた戦場を後にした。


 汚れを知らぬ純白の神殿であったはずのそこは、炎と血によって泥濘のような色に変えられている。鋼鉄の蜘蛛たちが屍を晒し、切断された人間の破片がころがっていた。それは屠殺場の風景であり、廃物置場の景色であり、破壊神の支配が終わった場所である。

 そのどす黒く変色した血と臓物、鋼鉄の装甲が転がる神殿を黒い男が通りすぎていった。闇色のマントを纏ったその姿は、立ちあがった影である。鍔広の帽子に隠された顔からは、表情を読みとることはできない。

 漆黒の男は、白い巨人に見出された。女神の美貌を持つ巨人は、影を纏った男に声をかける。

「遅かったな、ロキ。随分待たされたぞ」

 ロキと呼ばれた黒衣の男は、感情を感じさせない声で答える。

「すまなかった。情報を引き出すのに意外と手がかかった」

 純白の巨人であるフレヤは、行く手を閉ざしている扉を指さす。それはこの白い神殿に似つかわしい、巨大で圧倒的な重量感を持つ大理石の扉だ。

「ロザーヌの塔へゆく扉は、到底破壊できるしろものでは無い。ロキよ、おまえが手に入れたという鍵が必要だ」

 ロキはフレヤの言葉に頷くと、扉の傍らにある小窓へ向かう。その小窓を開くと、数字の書かれたボタンが並んでいた。ロキは素速い操作でそのボタンを押してゆく。

 唐突にロキの手が止まる。すると、どこか深い所で巨大なものが引きずられてゆくような音が、響き始めた。

 ロキはどこか物憂げにフレヤに語る。

「ロザーヌの塔への扉は開いた。天空城へゆくぞ、フレヤ」

 ロキの言葉通りに、その巨大な大理石は左右へ動いてゆく。そこは仄暗い場所だ。

二人はその微かな光に照らされた空間へと、入り込んでゆく。

 頭上はどこまでも高く空洞が続いていた。文字通り塔の内部らしい。

「これがロザーヌの塔か。それにしてもどうやって天空城へ昇るつもりだ。第一この闇は、ただの闇では無いだろう」

 フレヤは塔の上方を見上げてロキに向かって呟く。確かに、塔の遥かな高みはただならぬ気配を潜ませている。それは通常の時空間を超えて他界へと繋がってゆく、魔道の闇であった。

 黒衣の男はその薄暗い空間に解け込み、酷く希薄な存在になったようだ。ロキは、薄く笑みを浮かべたような表情でフレヤに答える。

「心配するな、もうすぐ箱が降りてくる」

 ロキの言葉と同時に、頭上の闇から何かが軋むような音が聞こえはじめた。それは、ロキの言ったとおりに箱が降りてくる音である。フレヤは銀色に輝く円筒形の物体がゆっくりと降りてくるのを見た。

 夜空を支配する三日月の輝きを宿したその円筒形の箱は、異界を渡る船である。

魔道の闇をゆっくりと切り裂き、真白く輝くマントを纏ったフレヤの前へ銀の箱は降りた。

 銀の光を浮け、守護天使の輝きを得たフレヤはロキに問いかける。

「これに乗るというのか」

「そうだ」

 手短に答えたロキは、その円筒形の物体に手を触れる。そこに丁度フレヤが通りぬけることができそうな、空間が開く。銀の箱は内部も銀色に輝いていた。

 フレヤは箱の上を見上げる。幾筋かの光が上方へと伸びていた。銀色の糸によって、その箱は吊るされているようだ。

 先に銀の箱に入り込んだロキに続き、フレヤも入り込む。二人が乗り込むのを待っていたように銀の扉が閉ざされ、箱はゆっくりと動き始めた。

 フレヤは箱が上昇するのを感じると同時に、奇妙な眩惑を覚える。フレヤの方向感覚は、次第に消失していく。フレヤはその箱が昇っているのか降りているのか、判らなくなっていた。

 それは次元界を超える時によく感じるものであり、フレヤはその感覚を自然なものとして受け入れる。フレヤたちは、次元界を超えたどこかへ向かっていた。

「長いな」

 フレヤの言葉に、ロキが答える。

「いや、もう着く」

 ロキの言葉通りに、眩惑をもたらす時空を超える感触は急速に薄らぎ始めた。唐突といってもいいタイミングで、箱が止まる。ロキが手をかざすと銀の扉が開いた。

 そこに広がる青空を指し、ロキが言う。

「ここが天空城エルディスだ」

 フレヤはロキに続いて箱から出る。銀の箱は、石でできた建物の中にあった。その建物の天上は空に向かって開いている。足元には、底知れぬ闇があった。二人は石でてきた建物から歩み出る。二人が入っていたのは、小さな石の塔であった。前方には森が広がっており、塔の後ろには城壁が続いている。フレヤはその城壁の向こうを覗いて見た。想像した通りの景色がそこに広がっている。

 無限に広がる青。そこは大空の中であった。城壁から下にはただひたすらに続く空と、時折大海に浮かぶ小島のような白い雲が流れていくのが見えるだけだ。ロキがエルディスと呼んだこの場所は、天空のただなかに浮かんでいる大地である。

 フレヤは振り向くと森を見た。それは地上の森を抉りとって空にそのまま浮かべたような、森である。木々は鬱蒼とおい茂り、様々な生命の息吹をその内に宿していた。それは昏い太古の闇を内に秘めた森だ。

 そしてその向こうに小高い丘があり、その丘の頂上に城が見える。フレヤはその城へ続く道が、森に向かって伸びているのを見た。

「ではあの城に、暗黒王ガルンを倒したラフレールの師にあたる魔導師がいるのか」

 フレヤの問いに、黒衣のロキが答える。

「そうだ。おそらくこの世界で最も強大な魔導師である、マグナスがあそこにいる」

 フレヤはロキの言葉に頷き返すと、城へ続く道を歩み始めた。その真白き巨人の後ろを、影を纏った男ロキが歩む。

 フレヤとロキは、森の中へと入っていった。森は、天上世界とは思えないような自然の息吹を感じさせる。緑の天蓋が二人を覆い、その向こうに城が見えた。

 このエルディスの中心にあるであろうその城は、巨大な円筒形をしている。その城は装飾を持たずただ灰色の石に囲まれた、墓標にすら見える単調な建築物だ。

 やがて木々がまばらとなり、丘陵を貫く道へと入る。より明瞭に見え始めたその城は、異形であった。窓のない城壁に囲まれた城は、人の手により作られたものとは思えないところがある。

 少なくとも、人が住む建物ではなさそうだ。フレヤが呟く。

「ここは、静寂につつまれているというよりは、死に絶えた世界のようだな」

 フレヤは先にある城を指さす。

「あれは、ただの廃墟ではないのか」

 ロキは首を振る。

「この地が本来持っていたはずの意味は失われた。忘れ去られた場所ではある。しかし、廃墟ではない」

 影を纏った男は、冷たい瞳を空に向ける。

「ただ支配するものが、生ある存在では無いということだ。その証拠に見ろ」

 フレヤは城から空へと、舞いあがったものがいるのを見た。それは、白い鳥のような存在だ。次第に白いものは近づいてくる。そしてその姿が明瞭になっていった。

 それは、天使とよばれるものだ。人の姿に純白の翼を持つ。そして息をのむほどの美しさを備えている。

 しかし、フレヤは知っていた。天使は神が造った戦闘機械であることを。それがあらゆる生き物を絶滅させる為に造られた存在であることを。

 降りてくる天使は、三体であった。優雅といってもいい軌跡を描き、ゆっくりと天使たちはフレヤの前へ舞い降りてゆく。

「まだ、こんなものが残っていたとはな」

 フレヤは眼の前に降りた天使たちを見て、思わず呟いた。身の丈はフレヤと同じで、通常の人間の倍以上はあるだろうか。その透明に近い青さを持った瞳は、機械に特有の冷たさを秘めている。

 純白の鎧を身につけた姿はフレヤと似ているといってもいい。神の造形物にふさわしい完璧な均整を備えていた。背中に生えた翼は、神々しく輝いているように見える。その姿はある意味でフレヤ以上に完璧さを備えていたが、それは生を持たぬがゆえの端正さといえた。フレヤが持つ、無限に変化してゆく黄金の炎のような激しさは感じさせない。

 しかし、それはむしろ天使たちの危険さを現している。あらゆる生あるものと相反し、そうであるが故に生の絶滅の為に戦うことができた。天使とはそういう存在である。

 中心に立っている天使が口を開いた。

「ここは生あるものが来るべき所では無い。立ち去るがいい」

 フレヤは笑みを浮かべて答える。

「生ある存在がここの主のはずだ。おまえたちの主、魔導師マグナスに会いに来た」

「我らの主はヌース神のみ。マグナスは我らの主では無い」

「ほう」

 フレヤは、皮肉な笑みを見せる。

「邪神グーヌとの戦いが終わり、地上から離れた場所で永遠の眠りについていたおまえたちを目覚めさせたのはマグナスだろう。そしてそのマグナスに操られているのに、主では無いというのか」

「我らはマグナスを必要としているが、支配されている訳では無い」

 フレヤの後ろでロキが口を開く。

「旧世界の戦闘機械よ。おまえたちの役割は終わった。封印の中にもどれ。我々に道をあけるがいい」

 天使は、静かな怒りを潜めた声で言う。

「おまえを通すのはかまわない、ロキよ。しかし、巨人は敵だ」

「黄金の林檎を探索するのに、必要な存在だ」

「巨人は殺す。それが我らの使命だ」

 フレヤは嘲りの笑い声をあげ、冷たい輝きを放つ剣を抜く。あたりの空気が真冬の清冽さと、燃え盛る炎の激しさを同時に帯びる。

「だったらやってみろ、神の玩具ども。古にそうしたように、おまえたちを破壊してやる」

 フレヤの声に応えるように、中央の天使が口を開く。その口から迸ったのは、声では無く灼熱の火線であった。

 火線は、緑茂る大地を焼く。炎が、真紅の矢となって野を走った。しかし、白い巨人は火の中にはいない。フレヤは天使たちすら把握できぬ速度で移動し、火線を放った天使の目前に立った。

 純白の翼を持つ戦闘機械である天使は、怒りの絶叫をあげるように口を開く。しかし、その叫びが放たれることはなかった。フレヤの剣が聖画より抜け出した美貌を両断する。

 残った天使たちは冷酷な美貌に真冬の怒りを秘め、フレヤの頭上に舞い上がろうとした。しかし、蒼ざめた暴風と化したフレヤの剣は、天使の羽ばたきを薙取る。

胴を両断された二人の天使が、青い火花を放ちながら大地に墜ちた。

 顔を両断された天使が尚フレヤに掴みかかろうとするのを、蹴り倒し胴を踏みにじりなからフレヤは侮蔑の笑みを見せる。踏みつぶされた天使の身体は青白い火花をあげながら大地で無惨にのたうち回った。

「愚かなふるまいだぞ、フレヤ」

 醒めた口調で声をかけるロキに、フレヤはうんざりした調子で応える。

「おまえのやりかたでは、押し問答を百年はすることになる。神の造った自動人形はそれでもいいだろうが、私は違う」

 ロキはそれに反論することなく、黒き腕をあげると空を指さした。果てしなく青く広がる空に、純白の天使たちが舞い上がっていく。古の、神々の戦争では空一面を天使が覆い尽くしたと語られているが、それを思い起こさせるほどの天使たちが空へ昇っていった。彼らの目標は間違いなくフレヤである。

 フレヤは満足げといってもいい、凶暴な笑みを見せた。

「馬鹿な鳥どもがいくらきたところで関係ない。先にいくぞ、ロキ。城で会おう」

 その言葉と同時にフレヤは真冬の空を駆ける風と化し、緑の大地を蹴っていた。

そのフレヤを追うように天使たちの放つ火線が大地を焼き払う。それは白き雲が放つ怒りの炎と化して、森と草原を火焔の園へ変えた。

 ロキは、無言のまま炎の中を歩み始める。黒衣を纏い、燃え続ける森の中を進むロキの表情に変化は無かったが、その瞳には苦笑の色があった。


 ロザーヌの塔への扉は再び閉ざされている。その前の通路には、オーラの機動兵器である黒い鋼鉄の蜘蛛たちが並んでいた。その前には既に剣を納めたオーラの兵士たちが立っている。戦闘は終わった。

 そして、ロザーヌの塔への扉の前に、白い僧衣を身につけた老人が立っている。

僧である老人にはむろん戦う意志は無い。その周囲に立つ兵士たちも別段その老人を監視する意識はないようだ。彼らは待っている。一人の男を。

 その男は、悠然と現れた。敵地の心臓部に入り込んだというのに、自分の家の庭を歩くような調子でロザーヌの塔の扉へと近づいてくる。

 そしてその男の後ろには、フードのついた灰色のマントに身を包んだ者が続いていた。フードに覆われた顔は見ることができなかったが、そのマントに身を包んだ者を見る兵士たちの瞳には、明らかな怯えがある。ある意味でそのマントを纏ったものは、戦場で遭遇する敵以上の恐怖を兵士たちに与えているようだ。

 前をあるく男は、漆黒の髪をゆったりとかきあげまるでパーティの会場で友人にであった時にみせるような笑みを神官に投げかける。その男は、黒曜石の輝きを持つ瞳で神官を見つめていた。

 部隊の長である印を武具につけた男が、黒髪の男の前に立つ。

「ブラックソウル様、被害の報告をします」

 ブラックソウルと呼ばれた男は楽しげな笑みを見せながら手をあげると、男の報告を止めた。

「いや、それは後でいいよ。巨人が現れた話なら聞いている」

 ブラックソウルの笑みを湛えた黒い瞳は、神官を見つめ続けている。神官は、無表情のままブラックソウルの視線を受け流し、吐き出すように言った。

「うざいぞ、小僧。殺すならさっさとやれ」

「いやいや、大神官モエラス殿。あなたを殺すなどとんでもない。我々とて敬虔なヌース教徒ですよ」

 さすがに、モエラスと呼ばれた神官は苦笑を浮かべる。

「それならば、ただちにここから立ち去るがいい。おまえたちの振る舞いは信仰を土足で踏みにじる行為だ」

 ブラックソウルの目に始めて酷薄な光が宿った。

「そう仰いますが私どもはのうのうとして何もしないあなた方に変わって、血を流す決心をしたのですよ。モエラス殿、あなたにも是非とも協力していただきたい」

 モエラスは嘲るような光を瞳に浮かべ、ブラックソウルを見る。

「協力?神殿を蹂躙したおまえたちは、必要なものは全て奪いとったはずだ。おまえたちにできることといえば、私を殺すことだけだよ」

 ブラックソウルの口元に、皮肉な笑みが浮かぶ。

「いいや、モエラス殿。あんたは協力したくなるよ。おれの話を聞けばね」

「ほう」

 モエラスは、どちらかといえば投げやりな視線をブラックソウルに向ける。

「どんな話を聞かせてくれるのかね」

「黄金の林檎の話だよ。聞きたいだろう」

 ブラックソウルは狡猾な狼の笑みを見せた。対照的にモエラスの顔は蒼ざめ強ばる。

「多分知っていると思うが、黄金の林檎は魔導師ラフレールと共にウロボロスの輪を超えて、この次元界から消えた。しかしな、」

 ブラックソウルの顔は、僧侶を誘惑する堕天使の表情を張り付けている。

「戻ってきたんだよ、我々の世界へ」

 モエラスは呻き声をあげる。

「まさか…」

「本当だ」

 ブラックソウルの後ろに立つマントで身を包んだものが口を開くとともに、そのフードをはねのける。

 そこに現れたのは黄金の髪に漆黒の肌、死滅の太陽を顔面にはめ込んだように金色に輝く瞳を持った魔族の女であった。叩き割ったグラスから水が流れ出ていくかのごとく、瘴気があたりを覆ってゆく。

 回りに佇む兵士たちは、思わず後ずさっていた。本能的な身体の動きである。モエラスだけはさすがにその魔族を見据えていたが、その身体は微かに震えていた。

「おまえが、魔族の女王ヴェリンダか」

「そうだ、家畜どもの神官。正確にいうとラフレールが戻ってきたのではなく、ラフレールの使い魔が現れたというべきだろうな」

 モエラスは絞り出すようにしてヴェリンダに話しかける。

「どうでもいい。黄金の林檎は地上にあるのか、どこにあるんだ?」

「判らないんだよ、それが」

 ブラックソウルは優しく言った。

「ヴェリンダの力を持ってしても、黄金の林檎が地上にあるのは判るが、その位置は特定できない。むろん、それができればとっくの昔に我々は黄金の林檎を手にできたんだがね。そこでだ。あんたの力を借りることになるのさ、大神官」

「わ、私の」

 モエラスは病んだ者のように震えた声で言った。

「力だと」

「そうさ」

 ブラックソウルは満面に笑みを浮かべる。

「ロザーヌの塔への扉を開いてくれればいい」

「ロザーヌの塔だと」

「ロザーヌの塔からは、天空城エルディスへの通路が開かれている。そこにはラフレールの使い魔がいる」

 モエラスは呆然として塔への扉を見る。

「しかし、」

「何を躊躇う、大神官殿」

 ブラックソウルは歌うように語りかける。

「我々の目的はただ一つ、黄金の林檎の奪回。それこそヌース教大神官であるあんたの悲願じゃないのか。まあ、我々はそのおまけとして中原における政治的イニシャチブをとるという目的もある。しかし、あんたにとっちゃどうでもいいことだろう?モエラス殿。それこそこの神殿が焼き尽くされ灰になったところで、黄金の林檎さえ戻れば、あんたには何の文句も無いはずだ。まさにそれが、信仰の証というやつになる」

 モエラスは夢遊病者のように歩き始める。ロザーヌの塔へ向かって。

「そうだ、モエラス殿。それでこそ信仰篤きものだよ、大神官」

 ブラックソウルの言葉が耳に入っているかは判らないが、モエラスは扉にたどり着いた。そこで、扉のそばの小窓を開く。

 モエラスは夢中でその小窓の釦を操作した。どこかで、何か巨大なものが引きずられる音がする。

「やったな」

 ブラックソウルの楽しげな声を、ヴェリンダが遮る。

「だめだ」

 扉は開かれなかった。

「どう思う、ヴェリンダ」

 ブラックソウルの問いに、ヴェリンダが答える。

「おそらく、ロキの仕業だろう。やつらがここへ来たのであれば」

 ブラックソウルはうんざりした顔になった。

「やれやれだ」

 モエラスは扉の小窓を操作し続けている。その瞳には、偏執的な光が宿りはじめていた。ぶつぶつと何事か口の中でつぶやき始めている。

「役にたたねぇな、全く」

 ブラックソウルの右手が一瞬閃く。光が一筋宙を切り裂いた。モエラスの首筋から血潮が吹き出す。

 ブラックソウルの右手には、手のひらに収まるほどの大きさの透明な水晶剣が持たれている。ブラックソウルはその水晶剣をエルフの紡いだ絹糸で操るユンク流剣術の使い手であった。

 モエラスは自分が斬られたことに気付かぬように暫く小窓の操作を続けていたが、唐突に崩れ落ちる。兵士たちがその死体を運び去った。

「三千年続いた王都を制圧した結果、無駄足だったと知れればおれは抹殺されるかもしれねぇなあ、オーラの長老たちに」

 ヴェリンダは少し肩を竦めると言った。

「どうするんだ、ブラックソウル」

「どうもしねぇよ。というより待つしかねぇだろ」

「待つ?何をだ」

 ブラックソウルは楽しげな笑みを浮かべている。

「ラフレールの使い魔として古の暗黒王ガルンがアイオーン界から呼び戻されて復活した。それもラフレールの師であり、ラフレール以上の魔力を持つマグナスの元へ。マグナスはラフレール程には狂っていない。つまり神々の約定に逆らう気はないはずだ。だからロキを自分の元へ招いた。今のところラフレールの意図は読めないけれどな。マグナスはヌース神の僕であるロキを呼び出しているが、やつは神々の戦いについて中立の立場をとりたいはずだ。当然、邪神グーヌの僕も自分のところに招くだろう」

 ヴェリンダは表情を変えぬまま言った。

「つまり、ガルンが私の夢に現れたのは、マグナスの差し金ということか?」

「そうだ。おそらくやつは我々も天空城へ招きたいはずだ。ロキはロザーヌの塔を封じたが、別の道をマグナスが用意するはずだ。おれの予想以上にやつが狂っていないかぎり」

 ブラックソウルは、言い終えると来た道を引き返しはじめる。ヴェリンダはフードを被るとその後に続いた。

「それにしてもやれやれだな。この神殿を制圧したことに何の意味もなかったとは。

とんだお荷物を背負いこんじまったわけだ。おれは」


 焼けこげた大地は、無数の天使たちの残骸で埋め尽くされた。漆黒のマントで身を包んだロキは、その真白き残骸の中をゆっくりと歩いてゆく。天使たちの折れた翼や切断された手足は時折青白い火花を放ち、蠢いていた。

 フレヤは天使たちの残骸が築いた山の中心に立っている。遠い昔。神話の時代。

その時おそらくこの巨人は、今のような姿で神へ挑んだのであろう。今のような姿で、神を嘲弄する眼差しを放ったのであろう。

 そして、フレヤの背後には円筒状の城が聳えていた。フレヤは天使の残骸で築かれた山から降りる。その後を追うように、天使の残骸から切断された頭が転がり墜ちてゆく。宗教画の中に存在するはずの完璧な美しさを保った天使の顔は、むしろ無惨さを際だたせた。フレヤは足下に転がってきた天使の頭を踏みつける。それは、微細な稲光に包まれて粉砕された。

 フレヤは凶悪な獣の笑みを浮かべている。ただ、その顔は美しかった。彼女の足下に切断され放置されたどの天使たちよりも遙かに美しく輝いている。

「ようやくついたか、ロキよ」

 フレヤの言葉に無言で頷くと、ロキは城の壁に手をあてる。壁の一部が消失し、城の内部へと続く通路が現れた。ロキはその昏い通路の中へと入り込んでゆく。あたかも闇と同化し、その一部と化してゆくように。

 純白の鎧に身を包んだフレヤが、闇を切り裂くようにその通路の中へ入り込んでった。通路は微かに傾斜し、上へ向かっている。

 唐突に通路はとぎれ、ロキとフレヤは光の中にでた。そこは、円筒形の巨大な螺旋である。二人はその螺旋の中心に立っていた。

 二人の立っているのは円形のステージのような場所である。その足下に空いていた黒い穴が二人の歩いてきた通路の出口であったが、その穴は自然に光に吸い込まれるように消え去っていた。

 二人の立っているステージから螺旋状に階段が延びている。その階段は、円形の城壁の内側へと続く。そして城壁にそって階段は螺旋状に上昇していった。

 上方は光に満ちており、あまりの眩しさによく見ることができない。螺旋階段は無限の高みへ向かって延びているように見えた。そこは、白い光に満ちた空間である。ロキはその神々しい世界に墜ちた小さな影に見えた。

 上方へと延びてゆく螺旋階段には天使たちが並んでいる。それはあたかも彫像のように見えた。礼拝堂に描かれる天使の像そのままの、戦闘機械たちは美しい翼をたたみ微動だにしない。

 しかし、天使たちは生きている。その瞳の奥底には、氷原を渡る凍てついた風のような怒りが潜んでいた。その怒りはあからさまにフレヤへ向けられている。

 フレヤは嘲るような笑みを口元に浮かべ、天使たちを見渡した。フレヤが外で葬ったのは百体にも満たない天使たちだ。しかし、ここに並ぶ純白の殺戮機械は、千体を遙かに越す。その天使の攻撃が始まれば、フレヤとて無事で済むとは思われない。しかし、フレヤは挑むように天使たちを見つめる。口元に笑みを浮かべたまま。

 フレヤは記憶を失っている。しかし、彼女は本能的に知っていた。ここにいる天使たちより遙かに凶悪で大量の戦闘機械を自分が葬ってきたことを。

 フレヤは剣を抜く。真冬の日差しの光を宿した剣が、高く掲げられた。

「いつでもいいぞ、天使たち」

 フレヤは頭上に向かって叫ぶ。

「おまえたちが欲しいのは、私のこの命だろう。神の摂理に逆らって生きるこの命。

欲しければ奪うがいい。おまえたちにそれができるのならばな」

 天使たちはフレヤの叫びに答えるように、囁きあった。人間の可聴域を遙かに超えたその声。その囁きは次第に高まってゆき、城の空気を超振動で満たしてゆく。

 城の内部は天使たちの聞き取ることができない声によって、凄まじい波動に満たされた。もしもその場に生身の人間がいたとしたら、全身から血を吹き出して倒れたであろう。フレヤはただ、その瞳にやどる凶暴な光を強めただけであった。ロキは物言わぬ影と化して、フレヤの傍らに佇んでいる。

 天使たちの声が叫びに変わり、全てを粉砕する破滅の歌へ高まってゆこうとした時、人間の叫び声が城を貫いた。

「やめろ、そのものたちは私の客人だ」

 一瞬にして城の内部を満たしていた波動が、消失する。一体の巨大な天使が頭上の眩い光の中から降りてきた。そのフレヤより頭一つ背の高い、強靱な肉体を持った天使の肩には一人の少年が座っている。

 天使はその大きさを感じさせない優雅な動きで舞い降りた。白き羽を大きくひろげ、フレヤたちの立つステージに降り立つ。天使が羽を畳むのと同時に、その少年はフレヤの足下へと降りた。

 その銀色の髪を持つ少年は、白い僧衣を身につけている。その少年の青い瞳は年を経た古き者のみがもつであろう、退廃した落ち着きがあった。そして、その少年が纏う美しさは、邪悪で多くの血を見てきた者のみが持つ、背徳の輝きがある。

 ある意味でその少年は、中原でもっとも古き王国の王子、エリウスと似ていた。

しかし、その瞳の奥に潜む荒廃は、エリウスから最もかけ離れたものでもある。

 ロキは、少年に跪いて礼をとった。神の造った自動人形にとっては異例のことである。

「お招きにより参上した、魔導師マグナス殿」

 マグナスと呼ばれた少年は、鷹揚に頷く。

「わざわざ来てくれてありがとう、ロキ殿、そして、フレヤ殿」

 ロキは立ち上がり、マグナスを見つめる。マグナスはロキの無言の問いに微笑で答えた。

「なぜあなた方を招いたのかを説明します。私と一緒に来て下さい」


 ロキとフレヤがマグナスにつれてこられたのは、城の最上階であった。そこから見る空は青さを通り越し、銀灰色のような輝きを放っている。その透明な光を放つ空の下には、極彩色の花々に彩られた庭園が開けていた。

 そこは、エルフの住む城である妖精城を思わせる。そこは華やかで精緻な造りの庭園であるが、古き者が造ったものに特有の時間が凍りついているような感覚があった。

 マグナスたちは螺旋状に中心へと向かう小道を辿り、庭園の中央へ向かう。庭園の中央には円形の小さな広場があり、円形の石でてきたベンチが配置されていた。

その中心には頑丈そうな木で造られた棺桶が置かれている。マグナスは、ベンチに腰を降ろすと口を開いた。

「かつて、王国の全ての機能をこの天空城へ移設する計画が立てられていたそうですね」

 ロキはいつもの無表情で頷く。

「このエルディスは、星船をコントロールするための場所であり、同時に黄金の林檎のエネルギーをコントロールするための場所でもある。最終的には王国はこの城に移され、地上から撤退するはずだった。今は混乱とともに忘れ去られているが。

そんなことより」

 ロキは視線を棺桶にむける。その漆黒に塗られた箱は、陰鬱な威圧感をあたりに放っていた。マグナスは苦笑する。

「不死人たるあなたが、人間である私よりせっかちである必要は無いでしょう。あなたは、何番目のロキでしたっけ」

「四番目だ。私は不死ではない。魔神と契約を交わしたあなたより遙かに短い寿命のものだ」

 マグナスは、美しい顔に少し憂鬱そうな笑みを見せる。

「私は、生きてるのか死んでいるのかよく判らない存在ですからね。しかし、あなたの本体は永遠でしょう。現に三番目のロキが持っていた記憶は、全てあなたもお持ちだ。まあ、無駄口はこれくらいにしましょう。あなたより先に、フレヤ殿の逆鱗にふれそうだから」

 ロキの後ろに佇んでいたフレヤが苦笑を浮かべる。

「さて、そこの棺桶には魔族の前王であるガルン殿が眠っています」

 ロキは無言のままだが、その瞳はマグナスの言葉に反応して鋭い光を放つ。

「そう、かつて三番目のロキを殺し、エリウスⅢ世に殺されたあのガルンだ。王国を今の混乱に陥れた張本人です」

「それで」

 ロキは感情を感じさせない、重い声でいった。

「私に何を望むのだ」

「ガルンを復活させたのは私の不肖の弟子であるラフレールです。あのものが私にガルンを託しました。どう思います?」

 ロキは首をふった。

「そんなことができるはずがない。死んだ魔族を甦らせるというのも不可能であれば、ウロボロスの輪の彼方にいったラフレールがそれを為すなどと」

「いや」

 ロキの言葉を否定したのは、意外にもフレヤであった。

「やつは、黄金の林檎を手にしている。その力を持ってすれば不可能ではあるまい」

「たとえそうであったとしても、だ」

 ロキはフレヤを振り返ると、冷たく言い放つ。

「そんな行為になんの意味もない」

「それを言うのであれば、神々が人間に黄金の林檎を委ねた行為にしても、意味などないだろう」

 フレヤはせせら笑った。ロキは憮然として答える。

「つまり、これはラフレールの賭けだというのか」

「そうだと思います」

 マグナスはどこか物憂げに笑うと言った。

「ラフレールは死せる女神の娘といってもいいあなた、フレヤ殿にこだわっていました。ラフレールは黄金の林檎を封印するだけでは満足しないでしょう。神話の時代を終結させるならフレヤ殿、あなたも一緒に封印しなければならない。ロキ殿、あなたは逆にフレヤ殿と共にいれば必ず黄金の林檎へ導かれると知っている。これはラフレールがあなたたちに仕掛けた賭けです」

 フレヤは野獣の気配を漂わせる笑みを見せた。

「面白い」

 フレヤの蒼く煌めく瞳が、漆黒の棺桶を見据える。

「では、狂王ガルンに挨拶をさせてもらうぞ」

 フレヤはロキが制止するのを無視すると、棺桶の前に立つ。強引にその蓋を開いた。棺桶の中は深紅のビロードが敷き詰められている。そこに入っていたのは、漆黒の液体であった。

「これは」

 フレヤは呻く。彼女が期待した魔族の姿はどこにも無く、ただあるのは波打つ漆黒の液体であった。それはあたかも闇そのものが蠢き、息づいているように見える。

「急ぐ必要はありません、不死の巨人」

 マグナスが、フレヤの後ろから声をかける。

「いくらラフレールが優れた魔導師で黄金の林檎を手にしていたとしても、死滅した肉体まで甦らせることはできません。いいですか、そこにあるのは魂の入れ物です」

 ロキが呟くように言った。

「メタルギミックスライムか」

 マグナスは喉の奥で、陰鬱に笑う。

「その通りです」

 美しい少年の顔に老人の笑みを張り付けたマグナスは、棺桶のそばに立つ。

「あらゆるものに形態を変化させ擬態する流体金属の生命体、メタルギミックスライムがここにいます。この自身の姿を持たぬ生命体はガルンの憑坐となったわけです」

 そう言い終えると、その昏く沈んだ瞳を漆黒の液体に落とし、歌うように言った。

「魔族の魂はその肉体が滅んだ後に、アイオーン界の奥深くへと沈んでゆく。人間たちの魂はその肉体が滅んだ後に、シーオウルへ還ってゆく。人間は再びシーオウルから戻ることもあるが、アイオーン界の深淵に沈んだ魔族の魂は戻らない。ラフレールはガルンが死ぬ時になんらかの印しをその魂に付与したのでしょう。だから、再び私の元へ召還できた。そしてこのメタルギミックスライムに憑依した」

 フレヤはうんざりしたように言った。

「ガルンの魂は今はここから彷徨いでているというのか」

「そうです」

 マグナスは申し訳なさそうに言う。

「何しろ久しぶりに地上へ戻ってきたのだから、あちこち出歩きたいのでしょう、彼も。例えば故郷である魔族の王国アルケミアだとかね。あなた方がここに来るころには、戻っている予定でしたが」

 フレヤは苦笑する。

「我々が早くきすぎたといいたいのか」

「いえいえ」

 マグナスは肩を竦める。

「もう少し待って下さい。待つのは苦手ですか?」

「いや」

 フレヤは嗤う。

「古きものとつき合うには、待つことが大事らしいからな。待たせてもらうよ」

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