ばうんてぃくえすと~えふぇす~

さる☆たま

ビギナーハンター!

その1 はじまりはいつも唐突で

はじまりはいつも唐突で(1)


「変わった得物だな。それ、お嬢ちゃんのかい?」


 荒野をひた走る乗合馬車の揺れは激しく、身体が上下する度に居心地の悪さを感じては小窓から外を覗く。

 外から漏れる蹄鉄の音は忙しく、時折けたたましいほどのいななきが車内にまで聴こえてくる。

 不精に伸ばした顎鬚ビアードを長い骨太な指で弄りながら、サシム・エミュールは少し落ち着かない様子で正面に向き直る。と、その視線の先で腰を掛けている少女が退屈そうにあくびをしていた。

 歳の頃なら十四、五ほどだろうか。身の丈は同年代の娘たちよりやや高めで、垢抜あどけなさの残る顔には余り似つかわしくない牛皮のジャケットの下に真っ赤なシャツを着込み、お気に入りなのだろうか首元には黄色いスカーフを巻きつけている。

 世の中の汚い部分などまだ何も知らないであろう円らな瞳は翡翠石のように綺麗なみどりで、肩の上まである鮮やかな栗色の髪をつむじの辺りから三つ編みにし、そのポニーテールを留めるように黒い紐を蝶々結びにしていた。

 人形のように白い柔肌をみると、幼さの残る顔立ちも相まって少しばかり悪戯心がそそられる。が、ギリギリの所で自制心を保っていたのは、歳が余りにも離れすぎていたことと、その少女が余りにも無防備過ぎたからだ。

 まるで緊張感の欠片も無いその表情。年頃の生娘が、で馬車に乗っているこの状況で警戒する素振りがまったく無い。


 馬鹿なのか?

 ただの世間知らずなガキなのか?

 それとも、俺が手を出さないとでも踏んでいるのか?

 走行中の馬車の中なら安全だと高をくくっているのか?

 あるいは――――


 男は思いつくだけの推測を立てながら、最後に決して考えてはならない可能性を示唆してみる。


 そういう行為ことに興味を持ち始めているのか?


 思わず喉が鳴った。


 ………………って、何考えているんだ俺は。まだ乳臭え小娘ガキだぞ!

 …………落ち着け………………早まるな………………早まるな………………


 男は傍らに置いていたつばの左右が上向きに曲がった黒い帽子を目深にかぶり、必死に堪えようと頭の中で抑止の言葉を繰り返す。

 なぜだか、ここで一線を越えたら絶対駄目な気がしたからだ。


『大陸』広しと言えども「年端もいかない生娘に手を出すな」などという法律が存在する都市など、かの『学術の都』くらいなものだろう。

 それも肉体的な成長と伴に精神的な妊娠適齢期まで計算して、科学的観点の元に検証した結果に因るもので、道徳云々という話ではない。

 この大陸西方に於いて絶対の権限を持つ聖教の経典でさえも「婚前の契り」を禁じているだけで、別に年齢制限を設けているワケではない。

 南方の太陽神も東方の神仏思想もそんな戒律を制定していないだろうし、極東のエデンに至っては妾にすること前提で幼い娘子に淑女教育を施していく貴公子ロリコンの物語まで存在する。

 ならば、何故そう思ったのか?


 それは、ただ一つのちっぽけな矜持プライドがそれを拒んでいたからだ。


 彼には現在、妻も子も居ない。正確には離別しているのだが。

 ともあれ、今は気ままな独身貴族というワケだ。

 貴族というのはもちろん言葉の綾で、彼自身はしがない平民出。日々の食い扶持を稼ぐため、ギルドに登録した賞金稼ぎバウンティハンターに過ぎない。

 右目に洒落た金縁の片眼鏡モノクルなんぞかけていたりするが、こいつもその仕事道具の一つ。良く見ると縁は三重構造になっていて、真ん中には歯車のような小さな凹凸がある。そのレンズの色は薄い翠色みどりいろをしていた。

 そんなバツイチ独身ライフを満喫している中年男――取り分け、彼のような裏家業を営む人間――にとって旅の弊害となるお荷物は極力作りたくない。だが、一夜限りの相手なれば話は別のハズだ。

 それでも、かつては分不相応とまで言われた妻と「蝙蝠が翼竜鳥ワイバーンを産んだ」と称されたほどの自慢の娘を養っていた身だ。

 もう何年も会っていないが、今生きていればちょうど彼女くらいの歳になっているだろうか。それ故に、

「こんな小娘に欲情するほど飢えちゃいねえ」という強い自尊心が、ギリギリのところで彼を踏み止まらせていた。


 一方の少女はそんな四十男の葛藤など知るよしも無く、組んだ腕を枕にバタバタと蒼いニームの長ズボンを履いた脚をぶらつかせている。そういうファッションなのか、ニームは膝や太ももの辺りで所々破けていたりする。

 どうやら、その子供っぽい仕草にも幾分か救われているようだ。

 ともあれ、この状況でひたすら沈黙が続いていくのも、いい加減苦痛に思えてきた。

 停車場までは、まだ四半日近くあるのだ。

 そこで男は何か話のきっかけとなるものを探そうとして、ふと少女の隣に立掛けられたある物に目をつける。

 それは、一風変わった大きな長剣ながもの

 柄の辺りに突起が二本、片方はつばの下に隠れるように、反対側のもう一本は鍔から飛び出るようにして伸びていた。

 何かのレバーか?

 そう思いながら、男は娘の方に視線を戻す。

 やはり少女は、こちらを余り気に留めていない。

 他人の目に慣れているのか、無神経なだけなのか?

 どちらなのかは判別付かないが、男は話しかけるならだと的を絞った。

 だから、

「変わった得物だな。それ、お嬢ちゃんのかい?」

 手始めにそう話しかけた。

「ほぇ?」と、そこで初めて気が付いたかのように少女がこちらを向く。

「うん、今はね」

 少女は短く答えた。屈託の無い笑みを浮かべて。

「今は……ってことは、前は誰かのものだったのか? それともこれから誰かのものになるってことか?」

「貰ったんだ、母さんにね」

「母親に?」と、首をひねるサシム。


 一体どこの世に、こんな物騒な物を年頃の娘にやる母親がいるんだ?


 一瞬、そんな疑問が沸いた彼だが、少女の次の一言でそれも合点が行った。

「うん、父さんの想いが詰まった大切な物なんだってさ」


 ああ、そういうことか。つまりは「親父の形見」ってヤツだな…………


 などと、独りうなずくサシム。

「そいつは、悪いこといちまったな」

「ほぇ?」と、今度は少女が首をひねった。

「いや、なんでもない。それより、母親の方は元気なのか?」

「どうだろ、もうずっと会ってないし。多分、元気でやってんじゃないかな?」

「…………………………そうか」

 一言そう返すと、男は再び窓の外を覗いた。


 こんな華奢な小娘が父を亡くし、母とは生き別れ、ただ独り広大な世界を旅しながら生きてきたってワケか…………

 あの剣はきっと、離れ離れになる直前に母親から手渡された物なんだろうな。


 そんな風に想像を膨らませながら黄昏に浸るサシム。その目頭からは、わずかばかり熱い物が込み上げていた。

 身にまとっている麻布あさぬの外套マントで顔を拭い、窓から漏れる西日に身を委ねる。

 蹄の音は相変わらず忙しく、日没までに荒野を抜けようと二頭が懸命に大地を蹴る。その音律は常に一定で、乱れることがない。

「そういえば、嬢ちゃんはコルビアへは何しに行くんだ?」

 この馬車の目的地。

『開拓の都』などと呼ばれる『大陸』の西南端に位置する都市だ。

 その二つ名の通り一昔前までは未開だったこのエストーラ半島の中心に位置し、内陸部との玄関口にもなっている。

「ほぇ、なんだろ……?」

 少女は、しかしそれに答えるワケでもなく、なぜか匂いでも嗅ぐように鼻孔を動かしながら、三つ編みにした栗髪のポニーテールを揺らしている。

 男は眉をひそめながら、こちらの質問に答える様子のない彼女を見て諦めるように溜息をつく。そして三度みたび窓を覗き、蹄の音に耳を澄ませた。

 瞼を閉じて、ただ闇と音だけの世界に戯れる男。

 重なり合った蹄鉄が奏でる自然のオーケストラに耳を傾けていると、まるで大地と一体になったかのような感覚に包まれる。

 その音が徐々に増していき、前から後ろから左右を取り囲むようないななきと蹄鉄の音が見事なまでのハーモニーを響かせていた。


 ………………………………取り囲む音だと?


 そこで、はっと目を開けて外を見る。すると、


 見慣れたくろがねの口が、こちらを向いて突き出していた。

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