第289話 嫉妬
ルナリアまる飲み事件から丸一日。
昨日あれだけいろいろあったのに、今日も休むことなく働く俺は囚人の鑑だと思う。
体は痛むものの、壁の外から帰った後にまたルナリアから謎の注射器をブスリとやられたら調子が良くなっていた。
一体何を使ったらそんな簡単に回復するものなのか、逆に恐ろしくなってきた。
知らぬうちに痛みを感じぬ体にされているのも怖いので、成分は一体なんなのか? と聞くと「本当に知りたいんですか? 後悔しませんか」と念押しされて怖くなって聞くのをやめた。
「時間だ、休憩!」
看守の声が作業場に響き、俺たちは手を止める。
時刻は午後一時、強制労働の昼食休みだ。
まだ配給係の看守は来ていないのだが、いつも通り少ない昼食を受け取りに囚人たちは集まり始める。
俺もクリスと共に、形成されつつある列の最後尾に並ぶ。
「はぁ……疲れた」
前に並ぶクリスが艶めかしい吐息と共に俺にもたれかかってきた。
今の彼は男の姿で誰もが振り向く美青年なのだが、中身は女だ。
クリスは俺の方をチラリと見やる。
「昨日何してたの?」
「夜話しただろ?」
「顔色悪くして帰って来て、ちょっと遊んでたじゃわかんないよ」
いや、もっとちゃんと説明したはずなのだが。
なんで夜遊び好きのチャラ男みたいになってるんだ。
「はぁ……女を置いて遊びに行っちゃうなんて罪な男だね君は」
「今お前男だから」
「気持ちはいつだって乙女さ」
「今お前の半生くらい全否定したな」
クリスの過去の話を少し聞いたが、厳しい劇団の育ちでずっと男優として育てられてきたらしい。
その為普段生活するときも、学舎に通う時も男として生活していたとのこと。
そんな徹底した生活が続いた上に、ヘックス王にガチャ召喚で呼び出された時、体の性別を自由に入れ替えられる特異体質へと変化した。
これで名実共に男へと成ったわけだが、気づけば男の生活が長く続いたことによって、男心より女心を深く理解してしまったらしい。
「いいよ、僕は待ち続けて騙され続ける女でも。君に貰うものなら痛みだって愛さ」
「たかだか一日いなかっただけで、
「冗談だよ」
クリスはクスクスと人懐っこい笑みを浮かべる。男の姿でその眩しい笑顔は罪だと思う。
しばらく待つと、いつも昼食を配ってくれるはずの看守が今日は手ぶらでやってきた。
これには囚人たちがざわつく。
「あれっ? いつも黒パン入りの紙袋いっぱい持ってくるはずなのに」
「まさか昼飯すらなくなったんじゃないだろうな……」
「えっ、でも今朝皆にリンゴかバナナ配られてたよね?」
クリスが首を傾げる。
そう今朝初めて、この監獄で朝食が配られたのだ。
こんなことは初めてだったが、朝にエネルギーをとれるというのは過酷な労働を強いられる囚人たちにはありがたいことだった。
「その朝飯一つで丸一日働かせるつもりじゃないか」
「ま、まさか……」
ないと言い切れないのが恐ろしい。
こっちの命なんてあいつらの掌の上だからな。
しかし予想は良い意味で裏切られ、人間の看守にかわり尻と胸の大きい悪魔看守たちが大きな鍋を台車に乗せてやって来たのだ。
三つの大鍋の蓋が開かれると、コーンのスープ、シチュー、野菜スープが湯気をあげ、同時に良い匂いを辺りに充満させる。
この食欲をそそる香り、今まで黒パンしか食ってなかったから、久しく匂いという概念を忘れていた。
「うぉ……」
調理された料理を前に囚人たち一同は言葉を失う。
労働によって疲れた体と、質素な食事に慣れてしまった胃が同時に覚醒する。
「す、凄いね……」
「あぁ、全部汁物だな……」
「いや、そうじゃなくてさ。こんなご馳走初めてじゃない。一体何があったんだろ……」
悪魔看守たちは特に説明することもなく、皿にスープとシチューを盛りつけていく。
「早く受け取りに来い」
悪魔看守がそう言うと、既に形成された列が進み順次料理を受け取っていく。
俺たちも呆気にとられながら料理を受け取って戻って来た。
「まさか本当に食事を貰えるとは……」
しかも三種の中からどれか選ぶものだと思っていたら全部くれた。それに白パンとリンゴのデザート付きである。
これ下手な貧民層の飯より良いものじゃないのか?
隣のクリスも同じことを思っているようで、なぜ急に食事が良くなったのか理解に苦しんでいた。
「これ、最後の晩餐とかいうオチはないよね?」
「恐いこと言うなよ。段々そう思えてきたじゃねぇか……」
お前たちの役目は今日で終わりだ。全員処刑するから今日ぐらい良いものを食わせてやる。なんてことを後から言ってきそうである。
眺めていても冷めるだけなので、俺たちは料理に口をつけた。
「うわ、美味しい……」
「ほんとだな……なんか懐かしい気がする」
どこかでこの料理を食ったことがあるような気がする。自分の舌にピッタリとあった味付けに驚いた。
他の囚人たちも、もう食べられないと思っていた暖かい料理に涙を流すものまでいた。
「でも、これ絶対なにかあるよね?」
「デブルの野郎が慈愛の心に目覚めたのかもしれないぞ?」
「ない。
「俺もその意見に賛成だ」
となるとやはり給仕をしてくれた悪魔看守たち、つまりはルナリアやイングリッドさんたちが関係してるとみて間違いないだろう。
「君何か心当たりないの? こういう変化が起きる時って大体君絡みでしょ」
「人をトラブルメーカーみたいに言うな。あるとしたら昨日のことくらいだが」
「君が逃げられるチャンス潰したってこと?」
「うぐ、間違いではないが」
「冗談だよ。別に僕らの事は気にしなくても大丈夫だから、逃げられるチャンスがあるなら一人で逃げてもいいからね」
「本心は?」
「僕を一人にしないで!」
くっついてきたクリスの髪をくしゃっと撫でる。
おっぱいのついたイケメンだが性格は可愛い奴である。
しかし男の状態で抱き付くな。周りのおばちゃんたちが色めきたっている。
「それで結局心当たりないの?」
「え~っと、ハイドドラゴンを倒して監獄に戻った後、悪魔軍の司令官と仲良くなってさ」
「シレッと言ってるけど意味わかんないよね。何があったら悪魔軍司令と仲良くなれる出来事があるの」
「妹とその他二人を助けた褒美をやる。なんでも好きな望みを言うがいいって言われた」
「何なのその人、願望を叶える魔人なの」
「俺はじゃあ囚人全員解放してって言ったら、それはダメ、調子乗ると殺すぞ(ハート)って言われてさ。じゃあもうちょっと囚人の待遇良くしてって言ったらそれならいいよって」
昨日監獄に帰ってからイングリッドさんとのやりとりを100倍柔らかくして伝える。
「それじゃないの?」
「そんな昨日言って、今日できるものなのか? しかも囚人の一言で」
「わかんないけど」
二人で首を傾げながらランチタイムをとっていると、件のまる飲み少女が作業場の入り口へとやって来ているのが見えた。
白衣のメカオタク少女はチラリと作業場の中を確認すると、すぐにはけようとしたみたいだが、俺は思いっきり手招きして呼び寄せた。
ルナリアは赤茶けた長い髪を弾きながら興味なさげにこちらにやって来る。
「なんですか。一応これでも私偉い人なので、気軽に呼びつけられるのは困るんですが」
「これなんですか?」
俺はスープとシチューが乗ったプレートを掲げる。
挨拶その他をふっとばして今日の食事について尋ねる。
「スープじゃないですか?」
「見ればわかりますよ。今バカにしました?」
「気づいてくれて嬉しいです」
「そうじゃなくてですね。なんでいきなり料理が3ランクぐらい上がったのか聞いてるんです。いつも石みたいな黒パンだけだったのに」
「貴方が待遇良くしろって言ったからじゃないですか」
「じゃあやっぱりルナリアさんが」
「私というより姉がデブル監督官に圧力をかけました。食事や待遇の面で体調を崩している人間がいるのは事実ですし、それが生産力の低下に繋がると驚きの正論を振りかざして認めさせました」
「確かに、あの人にやれと言われたら断れないな……」
俺なら例え正論じゃなくても二つ返事でやってしまうだろう。
「なるほど。やはり実質的なここのトップはデブルじゃなくてイングリッドさんで間違いないってことか――あっつ!」
俺は料理を食べながら話をしていたのだが、よそ見をしていたせいで盛大にこぼしてしまった。
「あぁもう、何やってるの」
「あぁもう、何やってるんですか」
スープをこぼした俺の服を拭こうとクリスとルナリアの手が同時に伸び、お互いの手が触れ合う。
二人は視線を交わらせると、一瞬バチッと何か火花のようなものが散った気がした。
「看守様のお手を煩わせるわけにはいかないので、彼の事は気にしないで僕に任せてください」
「いえいえ、気にしなくていいですよ。この人ほんと一人だと何もできないので」
「へー、彼のことわかった口きくじゃない……」
クリスの目がスッと細くなる。
「いえ、理解するつもりなんて欠けらもなかったんですが、あまりにも私の前で無防備なので」
対するルナリアは終始笑顔のままだ。
「「…………」」
えっ、なんで君らそんな急激に仲悪くなってるの?
や、やめなよ女子……。と仲裁しようとするが、俺のことは完全に眼中に入っていない。
「へ、へぇ無防備ってどういうことかな。僕夜は彼とずっと一緒に寝て無防備な寝顔見てるんだけど」
「私彼の治療中にもっと凄いことしてますから」
待ってその話聞いてない。
「大体あなた、それだけ顔が良いのになぜこんな冴えない人につきまとってるんですか? もっとまともな人と付き合ったらどうなんですか?」
「僕はちょっと頭おかしいくらいの人が好きなんだよ!」
なんで俺力強く頭おかしいって言われてるんだろ。
君らさりげにツープラトンで俺を責めてません?
「あなた何か気に入らないんですよ……」
「偶然だね僕もだよ……」
なにこれ、この辺凄く空気薄いんだけど。
っていうかおかしくない。
クリス(♂)→俺(♂)←ルナリア(♀)の図が出来上がってるけど、両方女性じゃないとこのトライアングルは成立しないだろ。なんで俺の翼、片側男なんだよ。
何か話題を変えようと思い、俺は彼女の側頭部に飾られている黄色い花に気づいた。
「そ、その花まだつけてくれてるんですね!」
「まぁ頂いたものですから、色も気に入ってますので枯れるまではつけてあげますよ」
クリスはじっくりと花を見つめると、異変に気付く。
「な、なんですか?」
「…………その花、めちゃくちゃ魔力で
クリスが花に帯びる魔力を感じ取って鋭く指摘する。
「二重、三重どころじゃない。その花何百枚もの防御障壁で包まれてるし、多分ギガンテスに踏まれてもその花だけは助かるよ」
「ちょっと何言ってるかわからないです」
いや、わかるだろ。
「それに君……今までしてなかったのにピンクのリップ引いてるし、髪とかめっちゃ綺麗にしてるじゃん。スカート丈も短くなってるし……」
「すみません、私忙しいのでこれで帰ります。それではさようなら」
ルナリア小刻みに首を振ると、逃げるようにして俺たちの前から去って行った。
クリスはその後姿を苦々しい表情で見送りながら「勝ち逃げされた……」と呟く。
一体なんの勝負をしていたんだ。
「あれ、君の仕業でしょ。あの子、君に見せに来たんだよ」
「なにを?」
「オシャレしてみたけど気づくかなって」
「俺が気づくわけないだろ」
「だよねぇ……。あの子多分もっと綺麗になるよ」
「確かに成長したら美人になるだろうな。姉のイングリッドさんは凄いからな」
「…………朴念仁。女が綺麗になるときって言うのは――」
クリスは「まぁいいや」と途中で言葉にするのをあきらめて、これ見よがしなため息をつく。
それから数日、囚人たちの大幅な待遇改善が実施され、労働時間の見直し、食事の改善、週に二度の温水での体の洗浄と、ようやく人間らしい生活が帰って来たのだった。
◇
しかしその囚人に優しい環境は、思わぬ人物の怒りを買うことになったのだった。
ヘックス城王室にて形だけの王デブルは、爪を噛み、額に青筋を浮かべていた。
周囲には暴行された裸の美少年たちが苦し気に呻いている。
男色家のデブルは抑えきれない苛立ちを、顔の良い囚人たちにぶつけていたのだった。
「忌々しい、あの悪魔どもめ……。ワシのやることに文句ばかりつけおって……」
バンッと大きな音をたて、王室の扉が開かれた。
監獄には不釣り合いな、煌びやかなドレスを着たハラミが、眉間に皺を寄せながらデブルのもとへ一直線に向かって来る。
「お父様!」
「……なんだ」
「今のヘックスがどのような状況かご存知ですか? 皆口々にイングリッドと
ハラミが父に怒りをぶつけると、デブルは近くにあったワイングラスを床に叩きつけた。
鮮血のようなワインが絨毯にぶちまけられる。
「そんなことはわかっている! ここの王はワシだ!」
「ならなぜあのよそ者に好き勝手やらせているのです! 看守の中にもあの女に傾倒するものが現れはじめているのですよ!」
「ペヌペヌ懇意の商談相手を無下にはできんだろう。奴がワシの出世の要なのだぞ」
「お父様! あなたはこの国の王なのですよ! 王が一介の傭兵屋に頭を垂れると言うのですか!」
「ぬぐぐぐ」
「あの悪魔どもに内政干渉する権利はありませんわ! このままではこの国はあの女に乗っ取られてしまいます!」
デブルは娘の言葉に重々しく頷く。
イングリッドが来て以降、自分が添え物のような扱いを受けているのは身に染みて理解していた。
「ああそうだ。ワシの地位を脅かすものは目障りだな」
「邪魔な客人にはお帰り願いましょう。ここは我々の
嫉妬深い二人は一体誰がこの壁の中の支配者なのかわからせてやると、不敵に口元をつり上げていた。
「……よし、魔軍に撤退要請を出す。この国はワシの物だ。好き勝手させてたまるものか」
「ええ、
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