第288話 なんですか口説いてるんですか?

「殺しましょう、お嬢様に欲情するとは生かしておけません」


 イングリッドの爆弾発言にいきり立つバエル。それと対照的に紅は笑いが止まらないといった感じだ。


「うえ゛え゛え゛え゛はねーだろ、うえ゛え゛え゛は。ああおもしれぇ。いいじゃねぇか、お嬢だっていいかげん交尾相手くらい必要だろ」

「人間の前にまずお前を殺した方がいいな。大体顔が好きとはなんだ、バカにしているのか!」

「顔が好きって一番の褒め言葉じゃねぇのか?」

「ふざけるな! そのような外見のみを評価した俗物的な――」

「なんでぇ内面を好きになれとかバカみてぇなこと言うんじゃねぇだろうな?」

「当たり前だ。交際とはまず文通から始まり、お互いの心の距離を少しずつ縮めて――」

「バカじゃねぇのかあいつ」


 紅はバエルをばっさりと切って捨てる。


「で、お嬢はどうなんだよ? 問題はそこだろ」

「ふざけるな人間のような猿と、お嬢様が吊りあうわけがないだろう。それに奴は囚人、立場の差もある!」

「お前には聞いてねぇよ。なっ、お嬢どうなんだ?」


 紅がニヤニヤ顔で聞くと、ルナリアは落ち着き払った表情で答える。


「ありえませんね、相手は人間ですよ?」

「なんでぇつまんねぇの」

「当たり前だ。お嬢様があのような路傍の石に心を動かされるわけがないだろう。お嬢様に相応しい異性はこのバエルが必ずや見つけ――」


 バエルの言葉を遮り、ルナリアは立ち上がる。

 彼女の裸体に光が差し、煌めく雫が零れ落ちる。


「もう汚れも落ちたでしょう。そろそろ戻りましょう」

「そうですか? では」


 紅とバエルも一緒に立ち上がろうとするとイングリッドが引き留める。


「お前らは残れ。少し説教がある」

「うぇぇっ、マジですか」

「我々の失態で、組織に迷惑をかけたのだ。叱責は当然だ」

「マジメかよ」


 川の中で正座するバエルと紅たちを置いて、ルナリアは生乾きの軍服に袖を通し、飛行船の前まで戻った。

 するとそこには花畑の真ん中で手を組んで横たわっている少年の姿が目に入った。

 し、死んでる!? とルナリアは驚き、慌てて近づいていく。

 しかし上から顔を覗き込むと、呼吸は安らかでただ眠っているだけのようだった。

 ホッと安堵して周囲を見ると、野生の動物が一緒に寝ている姿が見える。


「人騒がせですね……」


 そう呟いて、彼の寝顔を見やる。

 傷が多く、無事なところの方が少ない。

 きっと疲れているのだ。連日の強制労働に、鉱山での毒ガス事件、看守に暴行を受け、慣れないヴィンセントに乗ってここまでやって来た。

 体はもう限界で、きっと悲鳴を上げ続けている。


「私が……そうさせてるんですよね」


 可哀想などと言ってはいけない。彼を捕えているのは自分達であり、毒を吸ったのも傷を負ったのも自分のせいである。

 加害者が被害者に同情するなどあってはならないのだ。

 あくまで自分と彼は敵同士。その立位置を間違えてはならない。

 そう思うと、なぜかぐっと胸が締め付けられるような痛みが走る。


「あの、起きて下さい……」


 恐る恐る彼の頬に触れてみるが、死んだように眠っていて反応はない。

 それ以前にルナリアの声はか細く、むしろちゃんと寝ているか確認をとっているようにも思える。

 彼女は完全に寝ていることを確認すると、その無防備な寝顔に自分の顔を近づけていく。

 これはどこまで接近したら起きるか試しているだけ、からかっているだけだから、そういうんじゃないから、ほんとやめて、そういうすぐ男だ女だとか言うのほんと迷惑、と自分自身に言い訳をする。

 しかしいくら顔を近づけても全く起きる気配がない。

 まずい。

 このままではどことは言わないが触れ合ってしまう。

 そんな不意打ちみたいなことはよくない。

 だが、自分は悪魔。時には奪うという行為があってもいいのではないだろうか?

 頭の中でエンジェルルナリアとデビルルナリアが血で血を洗う争いをしていると、少年は目を覚ました。


「ん……」


 傷のある瞼が開き、至近距離で目と目があった。


「!」


 その瞬間ルナリアは彼の額にヘッドバッドを見舞った。



  ◇


 ゴッと嫌な音と鈍い痛みが頭蓋骨に伝わり、俺は額を押さえてのたうち回った。


「いった……嘘だろ。普通起きた瞬間ヘッドバッドとかします?」

「す、すみません。もう一度眠ってもらおうと思って……」

「凄い理由で頭突きしますね、あなた」

「いきなり目を覚ますからでしょう! 起きるなら起きるって言って下さい!」


 The理不尽。

 俺は痛む額を押さえながら、上半身を起こしてルナリアを見やる。

 どうやら川から帰って来たところらしく、髪は乾いておらずしっとりとしている。

 着ているシャツもところどころ透けていて目のやり場に困る。

 風呂上がりのようなちょっとした色気があり、あまり直視しないように目を逸らした。


「この辺りは日差しが良くて、ついうつらうつらしてしまいました。監獄の中より100倍寝心地が良いです。寝起きは酷いものでしたが」

「……すみません」


 どうしたのだろうか、ルナリアは先程から視線が彷徨っておりキョロキョロとしながらもこちらの様子を伺っている。


「別に頭突きは気にしてませんよ」

「いえ、そっちは全然気にしてないんですが」


 少しくらいは気にしてほしい。


「その……大人しく待ってたんだなって」

「今更逃げたりしませんよ。脱獄者は処刑って聞いてますし」

「…………逃げてしまえばよかったのに」

「えっ?」

「全部捨てて逃げてしまえばよかったのに。なんで逃げないんですか」


 囚人を監視する立場とは思えないセリフに俺は驚いた。

 むしろ逃げないことに怒っている、そんなニュアンスすら感じられる。


「ダメですよ。あそこにはたくさんの人がいる。見捨ててはいけない」

「あなた一人が戻ったところで何もかわりません。それなら……全部捨てて逃げちゃえばいいじゃないですか。そうすれば……もう痛い目にあわなくてすみます」

「やっぱりダメですよ」

「どうしてですか? 誰も見ていませんよ」


 ルナリアは自身の両目を掌で覆う。


「誰も見てなくても自分が見てるのでダメです」

「面倒な人ですね。早死にするタイプです」

「俺もそう思います。生きるって大変ですね」


 ルナリアは何か文句言いたげに唇を尖らせる。

 参ったな、逃げなくて怒られるとは思わなかった。

 何か機嫌を良くさせる話題はないかと思い、閃いた。


「そうだルナリアさんにこれをあげますよ」


 俺はさっき飛空艇の中で見つけた一輪の花を差し出す。

 名も知らぬ黄色い花で、星のような五枚の花弁がついている。

 彼女に似合いそうだと思い摘んでおいた。


「…………なんですか口説いてるんですか?」

「いや、そんなことないですよ」


 俺は苦笑いしつつ、ただあなたに似合うと思っただけと口にした。

 彼女は顔をしかめ、しばらくの間、親の仇のように花を睨んだ。


「騙されるな私、こんな花一本でグラグラきてどうする。ドーパミンによって脳が一時的に興奮し、錯覚を引き起こしているだけ、勘違いするな私。おさまれ私の心、相手はこの人ですよ。これなら実験体のラットに恋したといった方がまだ説得力があります」


 凄い早口でなにか言ってるな。この人さっき川に入って来たのに、なんでもう汗だくになってるんだ。


「フフッ、この程度で私を懐柔できると思ってるんですか? そもそもお花なんて私のような鉄臭く、陰気で、根暗な女に――」


 俺は彼女が何か言い切る前に、花を彼女の髪に挿した。

 ルナリアの側頭部から伸びたコウモリの羽の上に星型の花が咲く。


「あっ……」

「いいじゃないですか。可愛いですよ」

「…………」


 彼女は目をパチクリさせながら花に触れる。


「ルナリアさんには機械もいいですけど、花も似合いますよ。うん、とても綺麗だ」


 そう言うと彼女の顔が真っ赤に染まる。

 先ほどまで無風だったはずの森に、強い風が吹き抜け、ルナリアの長い髪を揺らす。

 周囲に咲き誇る花が大きく揺れ、色とりどりの花吹雪が舞った。

 それと同時に壮大な鐘の音が聞こえたような気がする。

 この辺に教会でもあるのだろうか。


「ぅあっ…………ありがとう……ございます。嬉しいです」


 赤くなった頬をおさえ、彼女は小さな声を喉から絞り出すが、風によってかき消されてしまった。



 その様子を木の陰から見守る紅とバエルの姿があった。


「初撃を必死に耐えて心の防衛線を張ったが、二撃目ワンパンで防衛線決壊、心むき出しにされたところをクリーンヒットしたってところか。耐性のないお嬢には一撃必殺の効果だ。ありゃ完全に落ちたぜ」


 紅が的確にルナリアの状況を分析すると、バエルが怒りに震えながら声を荒げる。


「バカを言うな、お嬢様があの程度で落ちるわけがないだろう!」

「今まで鉄と油にまみれ、友達は120型徹甲砲弾とか言い出すお嬢が、気になる男から花のプレゼント、からのそなたは美しいだぞ。そりゃお嬢も禁断の恋に目覚めるわ」

「ありえない! あんな花たかだか野に生えているものだぞ!」

「お前が食ってるもんも着てるもんも、大体野に生えてるか走ってるもんだよ」

「わかった、この私があんなものより素晴らしいプレゼントを贈ろう。それでお嬢様の心を取り戻す!」

「なんでお前男側に回ってんだよ」


 紅はキーキーわめくバエルを押さえる。

 イングリッドは古木に背を預けながらクスリと笑う。


「玩具ばかりいじくってたあれが、ようやく生物ナマモノに興味を示したか」


 その後すぐに魔軍の回収班が到着し、一同は監獄へと戻ったのだった。

 その時もルナリアの髪には花が飾られたままだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る